○観劇前
オルツィの原作「紅はこべ」を読んだのは大学生の頃だったかな。
上原きみこの漫画「マリーベル」に出てくる青いバラの元ネタと教えてもらったのがきっかけ。
読後印象としては、「イギリス人作家の描くフランス革命物(+o+)」に抱く思いをこれにも感じたものだったかな・・・・・・≪豊かな外野が貧困の当事者に好き勝手な正義感を抱く図≫とか思ってました。マルグリットとパーシーの関係がなんだかしっくりこないし。
そんなわけで、星組公演「スカーレット・ピンパーネル」に対する私の期待度はさほど高いわけではなかったのであります。とうこちゃん(安蘭けい)主演公演なので、8月1回、9月1回、10月1回と3回ほどチケット確保したわけですが。
○1回目観劇後の思い
アメリカ人作品ならではの娯楽大作。
フランス革命政府に対するイギリス貴族パーシーの正義感は、突き詰めて考えれば、例えばイスラム世界や社会主義世界に対するアメリカ人の正義感に似たものも感じないでもないですが、観劇中にダイレクトにそう感じてしまうほどでもなく。
あまりにも娯楽大作として作られている作品だったので。
まあ、いいか、単純にアメリカ版水戸黄門みたいなもんだと思えば。といった感じで、すんなり楽しんだ・・・・・・・^^;
マルグリット視点の原作を、パーシー中心に切り替え、パーシーとスカーレット・ピンパーネルの活躍が前面に押し出される。それゆえ、パーシーの真実がわからないマルグリットの悩みが馬鹿に見えてしまうというデメリットが生じ、マルグリットがパーシーの正体に気づくくだりに関する舞台上の展開がマルグリットをさらに馬鹿に見せてしまってはいるけれど。
そして告白しますならば。
柚希礼音くんのショーヴランが「裏町のドブを見て育った」と歌うのを聞いた時、とうこちゃん(安蘭けい)、お貴族さまよりもそっちが似合ってないか?なんてことも思ってしまった・・・・・・・・・・。
楽しかったーーーと思いつつも、どこか斜に構えた感想だったなあ。
○2回目観劇後の思い
やはり楽しいわ。
そして、楽しいと感じる自分を否定するのをやめてみることにする。
ついつい≪その単純思考はファッショをも呼ぶ≫と型にはまったマイナス思考ばかりしてしまう変な癖が私にはあったんだけど。
ここはフィクション。美しい夢にひたりながら、まぶしく見つめながら、憧れ続けたっていいじゃないか・・・・・。
素直に恋の感情を認めてみたら、いきなり自分の中でわーっと感情があふれ出す(笑)
ピンパーネル団結成からデイドリーム号でフランスに向かうまでの流れのワクワク感! 信念の人パーシーの両脇を、兄貴分的なデュハーストと上品な優等生の弟分フォークスがかため、元気で若々しい青年達がさらにまわりをかためる並びの良さ。これを楽しまずに何を楽しめというの?というようなワクワク感!
パーシーVSショーヴランの最後の戦いの盛り上がり。形勢が一気に逆転する瞬間の痛快さ。これを楽しまずに何を楽しめというんですか、といった場面がたっぷり。
○3回目観劇後の思い
「ひとかけらの勇気」や「栄光の日々」の歌詞を聴きながらぼろぼろと泣いてしまうようになる。
正義を愛し、非人道的な行為を憎み嘆き、自分はどう行動したらいいのかとまっすぐに自分に問いかける。
パーシーの思いが真っ直ぐすぎて。まぶしくて。
「どうしてだろう、この世の中に欺瞞と不正溢れている」
「遠国に嵐吹き荒れても僕は見逃しはしない。ひとかけらの勇気が僕にある限り」
「今度こそ本当の自由を手に入れるために闘う、幻に惑わされずに」
そんな言葉が、あの説得力のある歌声にのっているんですよ。
これを素敵に言わずに何を素敵と言えというのだ?
そうした、強い信念の中で生きながらも、一人の女を前にすると突如愚かなちっぽけな男になり下がって苦悩する様が素敵。とうこちゃんが千秋楽だからということでコメディに走り過ぎないかなと観劇前はちょっと心配していたのだけど、千秋楽的お遊びはそれがリピーターに期待されるお約束場面のみに限定され、パーシーという人の思い、マルグリットとのすれ違う思いの表現において熱い勢いのある舞台になっていた。
マルグリットが「ひとかけらの勇気」を歌う姿で、疑念から完全に開放され再び彼女への激しい恋に陥るパーシーの姿があまりにも怪しげなグラパンであるってのが笑えますが、彼の揺れ動く心が可愛くていとおしくて、その場面でマルグリットを見る余裕が全然なかった馬鹿ファンの私・・・・・・・・。
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