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2009年7月

2009年7月30日 (木)

その感想は世代差ゆえなのか個人差ゆえなのか?ーーー中1の娘「キャンディキャンディ」を読む

 図書館から私が借りてきている文庫版「キャンディキャンディ」(全6巻)を夏休み中の娘が読んだ。

 ハハの所蔵漫画をもそれなりに楽しんでいる娘ではあるが(川原泉と遠藤淑子を愛読している・・・・・・)、この作品は全然うけつけなかったらしい^^;

「なんで恋愛だけでそういう行動をとるの?恋愛が人生のすべてなの?納得いかない!」
真っ先にそういう感想が出てきた。

 恋愛ってのは大昔から少女漫画の軸だったりするんですけれど?(笑)
 と、びっくりしたハハは、面白がって感想の続きを促してみる。

「恋愛ゆえに学校を勝手にやめるの?そうやってすべてを放り出すの?」
「恋愛ゆえに、仕事の当番を無断で放り出すの?許せないっ!!!!!!」

 二つ目はわかる。リアルタイムで読んでた当時、私もこの場面はすごく嫌だった。しかし、一つ目の方は考えたことなかったなあ^^;

 いやでも、確かに・・・・・・・・この不況の中で私立中に通っている真最中の娘からは、その感想は当然のように出てくる事柄なのか^^;聖ポール学院が、キャンディ自身の選択した道ではない、とか、キャンディ自身が欲しい知識を得られる場ではない、ということは、キャンディの選択を容認する理由にはできないだろうなあ、我が娘には。

「塾や予備校に行きたいって言ってもどっからもお金出さないわよ。出せないわよ。学校生活をがっちりやって、がっちりもととるような勉強をしてよね!ああああ、子どもが一人で良かったよぉぉ。周囲に『もう一人産まないの?』『なんとかなるわよ』と何度も何度も何度も何度も何度も言われたけれど『なんとか』っていうのは≪なる≫ものじゃなくて≪する≫ものなのよ。≪なんとか≫≪する≫のは誰なのよ!』とかわし続けてきたのは本当に正解だったよぉぉ!」
と毎晩ハハが通帳と睨めっこしながらパニクっているのを聞かされている娘。過去に、少子化問題に関連して出産する女性を機械にたとえたことで大きくとりあげられてた大臣さんがいたけれど、私はあの発言は機械云々なんぞよりも「頑張ってもらわなければ」と若い人個々の努力の問題という結論にもっていく発言を政治家がしていたという無策ぶりこそがはるかに問題だったと思うのだがなあ・・・・・・・。年齢が大台にのってはいるものの結婚して何年もたってない私の妹は、ダンナが子ども大好きであることもあり体力ばりばりで健康であることもあり、高齢出産することに恐怖感とかは全くないらしいんだけど、カネと手助け人員欠如ゆえに出産を諦めてる。ダンナは派遣社員、自分はパート、お姑さんとの仲は最悪、うちの方の親類で赤子の世話を手伝える人員はなし、保育園大不足地域。あらららら、キャンディキャンディの感想の相違の話のつもりが、話がそれまくってる・・・・・・・・。

 そう、今の時代、お金のことを考えると、物語をすんなり楽しむことも出来ないのよ・・。親も子も・・・・・・・。

 学費を出してくれたウィリアム大おじさまに事後承諾させる形で学校をとびだしたキャンディ。大金出してもらってはいたものの、学業に対してさほど熱心でもなかったキャンディ。
 今いる自分の環境と正反対な状況が許容されている世界は、中学生にとってはそりゃ納得いかないものなのかもしれないわよね^^;

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2009年7月29日 (水)

「ブラックバード」観劇記

 世田谷パブリックシアター3階センターブロックにて観劇。

 雑誌「悲劇喜劇」に台本翻訳が載っていることは知ってはいたのだけど、事前に読んでおく余裕のないままの観劇となった。

 内野聖陽と伊藤歩の二人芝居・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 二人芝居、ね。なるほど(笑)
 事前予習しなかったのは正解(笑)

 登場人物は中年男レイと若い女ウーナ。
 レイは15年前に未成年者に対する行き過ぎた行為で有罪判決を受けた男。名前も住む場所も変えて新しい人生をはじめている。
 そんなレイのもとにある日突然女が現れる。事件の被害者とされた女。彼女は、男のように名前も住む場所もかえるということはしていなかった。ずっと同じ町に暮らし続け、周囲から好奇の目でみられ蔑まれながら生きてきた女ウーナ。
 ウーナは語り始める。この15年間について、そして当時あったことについて。

 自分の12才という時代を思い起こしてみる。
 寂しい時に、孤独感を埋めてくれる優しい人がいれば、その人が自分だけを見ていてくれる人で勘違いでもさせてくれるほどに優しく接し続けてくれるのであるのならば、その人との時間はそりゃ貴重で愛おしく懐かしいものだわ。
 法的に世間的にグロテスクとされるものであるとしても。
 そんなことを思いながら、ウーナの喋りを聞き続ける。

 ラストで観客は思わぬ形で投げ出される。
 長い時間をかけてかわされてきた二人の会話で見えそうかと思ってきた≪真実≫が、いともあっさりと否定されるから。
 あれは・・・・・・・・否定なんだよね、やはり?
 レイという男はやはり、ああいう男なんだよね。

 舞台慣れてない伊藤歩という人は二人芝居だとどんなふうに演じるかなあ?というのが観劇前は少し不安だったけれど、この芝居、基本的には、攻めのウーナ、受けのレイという形で台詞劇がすすんでいく。攻めキャラというのは、自分がキャラをがっちりかためれば相手役がベテランであればきっちり受けてもらえるものだから、そういった意味ではバランスが良いやりとりになっていたと思う。

 しかし、二人芝居もやりがいあるかもしれないけれど、そろそろ二枚目男の役のお仕事引き受けてくれたりしないかなあ<内野聖陽さん
 新感線で「メタルマクベス」主演して、松たか子との舞台相性がよくてとてもいいお芝居してたけれど、あの役も二枚目とはいわないだろうし・・・・・・・・・また新感線に出て、今度は中島かずき脚本で、できれば日本物でストイックなかっこいい役で駆け回ってくれたりしてくれないかしら。

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2009年7月28日 (火)

7月に読んだ本(物語以外)ーーーアルメニア、貧困問題

○アルメニアを知るための65章(明石書店)

 明石書店のエリア・スタディーズ・シリーズの1冊。
 このシリーズは、その地域の歴史・社会・文化が簡潔にわかりやすく記述されていて面白く読める。年表と地図がもっと充実していればさらに読みやすいのだけど。索引もほしい。そうするともっと高い本になってしまうのかな。価格の安さを思えば贅沢な望み?
 1990年代以降についてまとまった記述があるので、ナゴルノ・カラバフ帰属問題の詳細なども含めてアルメニアについて把握するためには、今現在はこの本が一番いいかも。

 ソ連・トルコなどの文献によって語られるアルメニアと、実際のアルメニアの相違などの記述もあり、歴史の本で語られることというのは、昔知ってたことと今知りうることというのがこれほどまでに違うものなんだなあ、と、しみじみ・・・・・・・。

 アルメニア出身有名人、アルメニア系有名人がずらりと表記されているのが面白い。
 ハチャトゥリアン、アンドレ・アガシ、アンリ・トロワイヤ、エリア・カザン、グレゴリー・ペック、シャルル・アズナブール、ミシェル・ルグラン・・・・・・・・・・。こんなにずらりと知ってる名前があがるんだなあ(@_@。他にも大勢名前があがっているけれど、一目見て私にそれが誰だかわかるのはこのあたり。
 マリー・ラフォレって誰だっけ?と思ったら・・・・・・「太陽がいっぱい」に出てきた女優さんか(#^^#)


○脱「貧困」への政治 (岩波ブックレット)

 貧困、格差の現場を伝える格闘する2人と、第一線の研究者3人による骨太の議論が、社会保障、運動、そして政治の本質を伝えようとする本。

 論座で有名になった赤木さんの「丸山真男をひっぱたきたい」論文の主張が、新自由主義者の既得権益批判と協調してしまうことへの懸念が強く語られる・・・・・・・・。
 彼の矛先が、構造改革をすすめた政治家・財界ではなく、身近にいる老人世代、既存の労組、正規雇用者などに向けられていることへの懸念。この種の批判が新自由主義者の言説を結局は助けてしまうのは、本末転倒であるが、彼の主張がある層に支持を得ざるをえない現状。それをひたすら懸念する人達・・・・・・・・・。

 新自由主義というのは、貧困を語る上で、語る立場の人達にとっては乗り越えなければいけないものとしての当たり前の用語になってきているのだな。
(ある層の主張者にとっては「人権」という語が当然の蔑視・忌避すべき概念となっているように・・・・・・・・・・。)

 読みながら、以前の衆議院選挙の時に不思議でたまらなかったことを思い出す・・・・・・・。「痛みを分かち合いましょう」という小泉元首相の主張に何故多くの人が喝采するのか、当時の私にはさっぱりわからなかったから・・・・・・。制度をかえることによる痛みっていうのは、真っ先にいわゆる≪弱者≫とされる層から出てくるものだし、「痛みを分かち合いましょう」という言葉は「制度かえればいろいろかわるのは当たり前だろ、ぐだぐだ文句ばっかり言うんじゃねえよ」としか聞こえなかったの・・・・・・^^; それ以外のプラスの意味合いがなんかあったの?????
 「小さな政府」=「小さな権力」という誤解が、左派とされる人達の間でも起きてしまっていたがゆえとの分析に、ようやく少しのみこめたような・・・・・・・・。

 経済的弱者に対する≪再配分≫は≪ばらまき≫と表現され、経済的強者に対する利益配分は≪改革≫と表現してきた小泉改革に対する批判の書。
 金銭的な溜め、人間関係の溜め、精神的な溜めなどの様々な「溜め」が社会構造≪改革≫の中で法界し、相手の溜めを見極められないまま≪自己責任≫を押しつける社会ができてきてしまったという湯浅誠さんの常なる強固な主張がここでも繰り返される。

○宇都宮健児・湯浅誠 編「派遣村―何が問われているのか」(岩波書店)

 2008年末から2009年初に日比谷公園に開設された「年越し派遣村」。必要とされる理由、実現に至る経緯を、かかわった様々な立場の人達が語る本。

 労働組合がわずかな期間で「派遣村」をつくるために機動力を発揮したことに、湯浅氏がびっくりした。そのことにまず驚く・・・・・・。
 既存の労働組合と、炊き出し支援の活動というのは、本当に本当に接点がない世界だったのだな・・・・・・・・。

 既存の労働組合で長年活動をしてきた壮年男性達の座談会も載ってて、これも興味深い内容。
 労働組合は炊き出し支援をしたことがなかったからやり方がわからず、ノウハウを湯浅氏に教わりやってみようということになったと12月半ばに決まった経緯。
 炊き出し支援がなかった日比谷だからこそ、既に実施している場との無用な軋轢が生じないというメリットなども語られる。
 そして、医療問題の深刻さも、労働組合幹部の人達がはじめて認識しているような状況なんだな・・・・・・。湯浅氏に、派遣村をつくるにあたって準備するように言われていたが風邪薬準備程度で良いと思っていた、といったようなことがものすごく正直に語られている。
 労組にとってのセーフティネットといえばこれまでは最低賃金と雇用保険のことばかりで、生活保護、医療、住まい、多重債務、生活相談まで取り扱うことの大切さを知った、と。今までは、サラ金相談までは扱えないよ、にとどまっていた、と。

 別立ての章では、生活相談の現場にかかわる人達の座談会。
 2000年にはじまった東京都の自立支援システムの問題点が真剣に語られる。

 さらには、大阪で越冬支援をずっと以前から続けてきていた生田武志さんの報告。
 派遣村と同様の活動がずっと続いている釜ヶ﨑の越冬支援には国会議員もメディアも来ない現状、ホームレスと派遣切り労働者を切り分けて支援したいという発想を持つ人の多さへの懸念などが語られる。
 

○堤未果・湯浅誠「正社員が没落する 『貧困スパイラル』を止めろ!」(角川書店)

 様々なインタビューに基づいてアメリカの貧困・格差の現状報告をする若手ルポライターの堤さんと、日本でどんどん広がっている・・・・・・・・というかその存在の認識が広がっている貧困・格差について現場からの立場で報告する湯浅さんの対談。岩波新書で良い本を出している若き二人の、今まで出てなかったのが不思議なような対談本。

 中間層、大卒・高学歴・生真面目でそれなりの仕事をつとめていた人々が民営化・市場原理の大波に飲み込まれてあっというまにワーキングプアになってしまっているというアメリカのホワイトカラー層に関する堤さんの詳細な報告が、全然よその国のことではなりつつある。
 社会の基盤の違いによる両国の相違の比較。
 セーブティネットが企業と家庭である日本に対し、セーフティネットがNPOと教会であるアメリカ。
 一応は国民皆保険ということになっている日本と異なり簡単に無保険になれてしまうアメリカ。
 教会が運営する無料給食所のスープキッチンがそれなりに機能し、お金のある人がチャリティにかかわるのは当然だという認識がわりあいに普通のアメリカに対し、ボランティアやチャリティに関してのかかわり方が少なめの日本。

 サービス産業において、「経験」に価値がおかれなくなってきているというのは同じなのかな。

 堤さんは代表著書である「ルポ 貧困大国アメリカ」 (岩波新書)でも、貧困の中にいる人への軍隊の囲い込みがすすんでいる状況を切々と訴えているが、湯浅さんも≪衣食住と仲間≫を得られる最後の場所が若者の場合は自衛隊であり高齢者の場合は刑務所となりつつある状況について、危機感を訴える。

 「どうせメディアなんて」と言わないで現場の記者が総じて良心的であることをみてよく相談して記事づくりをしてもらうべし、と訴える湯浅氏の主張を見る限り、ころげおちていくような現在の経済状況とそれへの無関心の状況を目の当たりにしていても、まだ未来はあると信じてもいいんだろうか・・・・・・・・。


○湯浅誠・河添誠編「『生きづらさ』の臨界」(旬報社)

 拡大する貧困・格差のなかで蔓延する「生きづらさ」とその正体について、現場からの発言者と社会学者が鼎談を重ねる書。

 現状に耐え、イヤなこともうけいれ、なんとか自分の生活を確保するしかない、でもなんでそこまでしてまで生きていかなければならないのかという感覚の蔓延。
 まじめでも人間関係をうまくつくれない人、不器用な人が解雇されやすいという事実。 「器用さ」への一方的要求が社会全体として非常に高くなっているという指摘。日本の学校教育は、「生きる力」や「人間力」を言葉としてはうたっているわりには、体質的には以前とかわらず。
 そして。
 今日生き熱心な家庭ほど≪第二の学校≫化して、ある種の不器用さを育ててしまうような育児を親がしてしまい、子の疑問・犯行を圧殺して子の失敗回避のために先回り・先走りしてしまうという状況指摘。反抗期の娘を育てて連日喧嘩中の親としては耳が痛い^^;

 学校は、労働基準法が定める労働者の権利については教えないし、憲法二十五条が真摯に語るはずのこともすっとばすし、生活保護を受けるべき状況の人が受ける権利についても教えない。労働者の権利の学習が学習指導要領にはきちんと入っていないのだという現状指摘。
(・・・・・・・・・・・・・・そういえば、労働基準法について真面目に学んだのは、大学出て就職して労組に入ってからだということを思い出す私。今もそうなのか?)


 なんか、湯浅さんの関連本をあれこれ読みあさってた今日この頃。多分しばらくこれが続くのでしょう。
 諦めずに邁進する彼のような若者のことを尊敬を応援してますし、転げおちる寸前でうろうろしている中間層である自分にとって、語られることは全然他人事じゃない。。

 「希望は戦争」なんて発想はどんな状況になってもするつもりはないけれど、「希望は『私を即死させてくれる交通事故』」とは最近よく口にしてしまう^^; そんな人は多分、さほど少なくもないような気もする。他人の不幸を願うのは罪だから決してしてはいけないという倫理観が自分の中には一応はあるのだけど、自分に対してならその倫理観は全く無関係だから、「今、交通事故で即死できれば給付金が一番多いわ。病死はダメだわ。下手に入院が続くのもダメだわ。やっぱり即死させてくれる交通事故がほしいわ」とか、保険の給付金の資料を眺めながら考えてしまうのは、私が鬱状態だからというだけの理由ではないと思うのですよ・・・・・・・・。ひたひたと迫ってくる嫌な社会、既にずぶずぶとはまりこんでいる嫌な社会から、どうやったらラクチンに退避できるんだろうと、ついつい考えちゃう。近い将来に年金財政が確実に破綻することがわかっちゃっている現在、年金に頼る生活をするよりも前に自分の寿命がくるというのは非常に気が楽であり、私が「死にたくない」という思いで鬱になったりしないガン患者なのはそのせいなんだけど、できればもっと楽になりたいの。保険とか共済に毎月支払いができるだけ自分は恵まれている状況ではあるはずなんだけど・・・・・・・・・。

 まあそんなこんなと鬱鬱している私から見ると、私なんかよりもひどい思考や経済状況に陥っている人と懸命に柔軟に根気よく接し続ける人というのはすごいなあとひたすら尊敬してしまうわけであります・・・・・・・・。


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2009年7月27日 (月)

7月に読んだ本(物語)ーーー橘香いくの、ジュディス・マクノート

 6月から米澤穂信の既刊本は全部読もうと思って読み続けているが(さよなら妖精、小市民シリーズ、古典部シリーズ以外の本は8月に読むことになりそうだな・・・・・・・。図書館で予約待ちがいなかったので、返却日に再度「ボトルネック」「インシテミル」「儚い羊たちの祝宴」を借り直した^^;「犬はどこだ」は古本屋で購入済・読書待ち状態)、それ以外に読んだ小説は以下の通り。

橘香いくの「ブランデージの魔法の城 魔王子さまの嫁取りの話」(集英社コバルト文庫)

 森の奥の城で気ままな一人暮らしをする元は王子の魔術師ドナティアン・シャルル。跡継ぎをつくろうと思い立ち、魔法の水盤に、もっとも適した女を映せと命じると、水面に映ったのは、一見平凡な田舎娘アドリエンヌ。
 このアドリエンヌというヒロイン、カチコチ頭と妹に評されるにしてはイラストが可愛らしすぎるので、イラストを見ずに読む方がストーリーを把握しやすい気がする。

 二つの章から構成される文庫本。
 最初の章は、お伽噺風味の正統派ラブストーリー。あとがきで作者はいろんなおとぎ話の名をあげるけれど、一番雰囲気が近いのは作者が言及してなかった「美女と野獣」だと私は思う。
 あとがきで作者が言うところの「おとぎばなしにはカッコイイ王子さまがつきもの」「主人公は働き者の娘さん」という定型でおさまった最初の章で完結していればいいのにな、というのが第二章を読み始めてから感じた脱力感・・・・・・・・・。正統派ラブストーリーだった1章は、2章に入ってアドリエンヌの家族が出てきたら・・・・・・・・いかにもこの作者の作品ならではのコメディそのものに。

 「ブローデル国物語」シリーズでも思ったのだけど、この作者、正統派少女小説風味の物語をもしもめざしているのであれば、シリーズ物は避けた方がいいのでは?^^;「ブローデル国物語」なんて2冊目の主人公の敵側にいた人達を主人公にした「氷の肖像」に下手に思い入れを抱いてしまったりしたもんで、主人公のその後がライトでありすぎてちょっと辛いし^^; そもそも、最初の「翠緑の森の騎士」の正統派ラブストーリー的展開が好きだったので、2冊目までで放置していれば綺麗だったのに、とか今でも思うし・・・・・・。シリーズが再開されればその印象は払拭されるのか?でも、シリーズ再開ってなさそうだなあ。


○ジュディス・マクノート「いつも君を見守るために」(ヴィレッジブックス)

 原題「Someone to Watch over Me」

 ヒロインのリーはブロードウェイの人気舞台女優。夫のローガンは売れっ子の建築デザイナー。仕事も私生活も幸せな二人。
 しかし、リーに襲いかかった吹雪の山道での自動車事故。病院で目覚めた彼女を訪れるはずの夫はいつまでたってもやってこない。行方不明になっているらしい。
 そんな彼女に接近していたのが、実業界で活躍する男マイケル。リーには好意的だが、前科持ちの男。

 上下巻を1冊にまとめられないものか?冗長。
 物語が動き始めるまで(=行方不明者の生死が明らかになるまで)の展開が長すぎる。そこが明らかにならないと物語が動き始めないのに。
 そして、そこから一気に物語が展開していくと思いきや・・・・・・・・・遅い(+o+)


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2009年7月26日 (日)

「官僚たちの夏」視聴中

 今クールのドラマの紹介を見て一番興味がわいたのが「官僚たちの夏」だった^^;

 いやあ、なんたって、出演者に佐藤浩市、堺雅人、その他、NHKの硬質なドラマみたいなキャスティング。「新選組!」の芹沢さんと山南さんだわ!と言って盛り上がる私(笑)

 番組公式サイトにのってる佐藤浩市インタビューが熱い。

 昭和30年代にノスタルジーを持つ世代がターゲットなのかな。私はその時代にも、高度経済成長期にもノスタルジーを持つ世代ではないけれど、このドラマは楽しい。理想を持って熱く努力することで、経済を成長させ国を発展させ、それが国民の幸せにつながるんだという信念を露骨に一本気に見せるドラマなんだもの。今の時代にこういうものをやるって、なんだかすごく新鮮(笑)本当に世の中がそんなふうにすすんでいたら、経済発展が成功するか否かは別として、人はなごやかに幸せでいられるのかしらね(爆笑)(←何故、そこで馬鹿笑いになる?^^;)。

 ≪大衆≫は出るが≪市民≫は出ない。
 上に君臨するアメリカは出ても、日本が経済的に密接にかかわっているはずの東南アジアその他の第三世界は蚊帳の外。
 パイを大きくすることこそが国民の幸福には重要であり、パイの分配についての議論は????

 突っ込みどころは満載なんだけど。
 こうした作品の雰囲気、経済成長の時代の雰囲気にノスタルジーと幸福感を感じてしまう21世紀の今ってなんなんだろうねえ・・・・・・。

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2009年7月24日 (金)

米澤穂信≪小市民≫シリーズ感想文

 米澤穂信の≪小市民シリーズ≫とくくられるミステリーの既刊本をせっせと読書中。
 ≪古典部≫シリーズの既刊本も一通り読んだので、6月末から7月頭あたりの時期にはじめて読んだ≪小市民≫シリーズについても感想をぼちぼちと。

◎春期限定いちごタルト事件(創元推理文庫)
◎夏期限定トロピカルパフェ事件(創元推理文庫)
●秋期限定栗きんとん事件(上)(創元推理文庫)
●秋期限定栗きんとん事件(下)(創元推理文庫)


(とりあえずの感想)

 タイトルもそうだけど、文庫表紙イラストもいかにもライトノベル風、ヤングアダルト向け風の可愛らしさ。男性よりも女性が手にとりやすい表紙イラストだと思うし、内容的にも女の子の方がより楽しめるような気が。「さよなら妖精」は硬派な青春小説だったけれど、こちらは物語の進行にライトノベル的な色合いが濃い。作者は男性だけど、≪少女向けミステリー≫なんていう分野があるとしたらその第一人者の一人になりつつあるな。
 この作者の作品で何を最初に読むか悩むとしたら

1)硬派な青春小説が好きな人には「さよなら妖精」をすすめる。1冊完結だしすぐ読める。
2)ライトノベルがとっかかりやすい中学生・高校生には≪小市民≫シリーズから読むことをすすめる。可愛らしい少女漫画的な絵柄で漫画化もされている類のストーリー。

3)ミステリー好きには≪古典部≫シリーズをすすめる。

といった感じになるのかしら。

(あらすじ)

 ≪小市民≫シリーズの主人公は高校生の小鳩君と小山内さん。
 名探偵の素質を実は備えちゃっているんだけど、その素質を隠して、目立たぬ≪小市民≫でありたいと願いながら生活する男子高校生・小鳩君。
 そして、春期限定の序盤ではその性格は明らかにされないが、やはり小市民とは程遠い性質を持ちながらも、一応は小市民であろうとしている小山内(おさない)さん。見た目は、小柄で幼く見える可愛らしい女の子。スイーツ大好きっ子で、スイーツに関する蘊蓄が長い長い長い(笑)
 恋愛関係でも依存関係でもない互恵関係にある二人。
 わざわざそういうもってまわった表現をするあたり、この二人のその後を暗示しているともいえる。なにせ若者向け小説(笑)

 日々の生活の中に姿をあらわす様々な謎に向かっていると、どうしても探偵的素養が顔を出してきてしまいおさえられなくなる小鳩くん。それを、なまあたたかく、あるいは冷たく、あるいは冷静に怜悧に、そんなふうに眺めながら、一筋縄ではいかない行動をとる小山内さん。

 秋では、小鳩くん視点の一人称叙述だけでなく、小山内さんとおつきあいをすることになる新聞部新鋭の瓜野君の一人称叙述が交替にあらわれながら、物語は進行する。
 「おいしいココアの作り方」等、本当に小さくて罪のない事柄での謎解きが主流の春。夏は少し様相をかえて、小山内さんは危ない目にあったりもする。そして、放火事件なんかも入ってきちゃう危ない秋。
 秋の最後の頁で小山内さんが口にする一言がいい(笑)そうくるんかい!? 少年というのは実に気の毒なものだ。一体どうなるのやらこの若者達は。


≪今時の高校生というのはいくらくらい自由に使えるものなのか?---自分語りこみで悩む≫

 スイーツ大好きっ子の小山内さんのケーキの食べっぷり。
 カロリーもすごいことになりそうだけど、私はそれよりもかかる金額の方が気になった(笑)コミック版の絵を描いた漫画家さんも明らかにそう思ったようで、それがわかるエピソードが・・・・・・^^;

 そしてそれにつきあう小鳩くん。スイーツにいくら使ってる?
 小山内さんはいいさ。スイーツを愛しているんだもん。他の何を削ってでも愛する物にお金をつぎこむことに迷いはなかろう。でも小鳩くんは別に甘い物好きってわけでもない。なのに、小山内さんにつきあってケーキ屋さんに複数回行く。
 お金・・・・・・・足りるの?

 ちなみに、私は高校生時代、月額5000円というお小遣いを親からもらっていて、友達からは高額だと言われておりました。でも、文房具、参考書、問題集、辞書代金などはそっから出すのだ・・・・・・・・・・。高額だと評した仲良したちは、学習にかかる費用は親から別立てでもらってたみたいなので・・・・・・・・趣味・嗜好に使える額は結局同じようなものだったぞ。
 大きな本屋で参考書比較本を立ち読みしたりして、受験勉強にはどんな参考書や問題集がいいとされるものなのか必死で研究しながらお金使ってたもんでしたっけ。
 勉強が忙しいから、バイトなんてせいぜい、冬休みに郵便局でやるだけ。あ、塾づとめをしている知人に「この教材を解くのに何分かかるものなのか参考にしたいから解いてほしい」と、英語・国語のプリントをばっさり渡されるというありがたいバイトはあった(笑)あれはわりがよかったなあ。
 それなりにガリガリ勉強してたし、文芸部にいたし、日記も書いてたから、ノート使用量も多めだった。いろんなお店をまわって、大学ノートというのはどこでどういう買い方をするのがいいか検討しまくったりした。ルーズリーフとファイルを使う方が勉強しやすい科目もあるわけだけど、ルーズリーフは大学ノートよりも高いから、ノートの使い方一つにもいろいろ悩みまくり。
 そして、私は活字中毒であり漫画好きでもあったわけなので・・・・・・・・・・・・古本屋情報にはどんどん詳しくなっていったりしたなあ(苦笑)
 そんなふうにお金を使っていた高校生時代だったから、友達と茶店でケーキとお茶なんていう贅沢は、できないわけですよ^^; せいぜい、期末テスト後にクラスの皆と打ち上げしたりする程度。中間テストではやらない。皆、お金ない(^^ゞ
 友達と美術展や映画館に行っても、帰りに食事に寄るとしてもファストフード。皆、食べ物だけ頼む。飲み物は頼まないのだ。お金ないから(笑)

 だから、小鳩くんと小山内さんのお金の使い方が不思議なのだ。特に、スイーツを愛しているというわけでもない小鳩くんのお金の使い方が不思議なのだ。


≪コミックス版にも手を出してみた≫

 物語のノリと主人公キャラクター設定(特にヒロイン^^;)は確かに漫画化にも向くかもしれないと思い、絵柄も好きなタイプだったので、コミックス化された「春期限定いちごタルト事件」も古本屋で安く見つけたこともあり買ってみた。

 正解(^^)
 上下巻2冊ともに、原作者の米澤穂信のあとがきもびっしり載っているので、原作ファンが読んで損する類のものではないと思う。下巻のオビに書かれた原作者コメントにも笑えるし。
 
 絵師さんが女性であることもあり、さりげない一こまに共感したり笑ったり。

 たとえば、封印するつもりだった禁断のケーキ屋さんで大好きな美味しいケーキを頼みまくる小山内さん。
 男性作者の米澤穂信氏は言及しないけれど、女性読者としては当然気になるわけですよ。
「小山内さんって運動部に所属しているわけでもないし、多分、スポーツクラブに通って鍛えるような目立つことはしないよね。でも・・・・・・・そのケーキの量・・・・・・・・・あのぉぉぉ、カロリーは!?」
作画の饅頭屋さんも、当り前のようにその疑問を抱いたようで、章がかわる頁での一こまの絵に、その疑問を抱いたことがわかるイラストが(笑)

≪続刊への期待≫

 冬期限定ナントカスイーツ事件も間違いなく出るだろうから楽しみだ。小市民を目指しながらもおそらくその目的は完遂できないであろうこの二人の主人公は結局どこに向かって行くのか? 上下巻か上中下巻で出るのかな? 秋が上下巻だったから1冊では終わらなさそうな予感。小鳩君一人称だけでなく、もしかしたら小山内さん一人称も交えたりしながらすすんだりしないかしら?

 互恵関係が崩れてきたこの二人の主人公が、冬にはどんなスイーツを楽しみながらどんな事件に向かうことになるのか、今から楽しみ。最初の2冊は古本でゲットしたけれど、秋2冊は古本屋で発見できななかったので(今年出たばかりの人気シリーズ本だもんね)発売日数か月後に普通に定価で買った。冬は発売日を事前チェックして定価で買う予定☆
 最後に、面白く読んだ著者インタビューのリンクも置いておく。ココ。。ネタバレが多いので、既刊本に一通り目を通してから読む方がよさそうな内容だけど。この作者の原点部分がいろいろ言及されたインタビューになっているし、作品を何度も読み込んで楽しむためには、読んで損はないものだと思う。

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2009年7月22日 (水)

米澤穂信≪古典部≫シリーズ感想文

 先月から米澤穂信の小説を読み始めている。
 「さよなら妖精」の後、≪小市民≫シリーズを読んだのだけど、先に≪古典部シリーズ≫から感想文。(好みの大小で感想書く順番決めたわけじゃありません^^;)

◎氷菓(角川文庫)
(英語タイトル 「You can't escape」)

◎愚者のエンドロール(角川文庫)
(英語タイトル 「Why didn't she ask EBA?」)

◎クドリャフカの順番 (角川文庫)
(英語タイトル Welcom to KANYA FESTA!)

○遠まわりする雛(角川書店)

 以後、主人公の折木奉太郎が高校を卒業するあたりまでシリーズは続く予定らしい。4冊目終了時点では、二年になる前の文系理系選択を考えているような時期。

 本棚に綺麗に並べたいので、4冊目は文庫化待ちしてから買う予定。
 角川はミステリーの文庫書きおろし出版はやらないとかなので、続刊も最初はきっと文庫じゃない形で出るのね・・・・・・・・(:_;) 図書館で読んでから文庫化待ちして購入することになるかな。このシリーズものすごく面白いんだけど、私はちゃんと長時間の図書館待ちができるのか?

(概略)

 舞台は、文化系部活動が活発で、文化祭も大変盛り上がる進学校である神山高校。
 廃部寸前の「古典部」入部することになった1年生の男の子2人。女の子二人。
 折木奉太郎はもともとは≪やらなくてもいいことなら、やらない≫省エネ主義者なのだが、部長となった清楚なお嬢様・千反田える(ちたんだえる)が好奇心の塊となった時の「わたし、気になります!」の一言に巻き込まれる形で、校内の様々な謎ときをする羽目に。雑学好きでデータベースを自認しつつ「データベースは結論を出せない」とあっさり言って、奉太郎の推理をバックアップ(?)する友人・福部里志。自分に厳しく他人にも厳しく妥協できない様子が笑っちゃえるほどの性格の持主だが何故か里志に心を寄せる伊原摩耶花(いばらまやか)。
 彼らが、古典部の文集「氷菓」に秘められた謎に挑み、2年F組の尻切れトンボになってる自主制作映画が本来はどういう結末であるかを推察し、手違いで印刷しすぎてしまった文集「氷菓」を売りさばくために文化祭でそれぞれの個性を発揮しながら奔走する。

 探偵役でもある折木奉太郎の一人称で主に語られるが、3冊目は古典部4人の一人称持ち回り式。

(とりあえずの感想)

 ミステリーに関する素養が自分に欠けていることを自覚しながらの読書になってしまった。
 ミステリーの必読古典を10代の頃にさぼらずに読んでおくべきだったな。
 ホームズとかルパンとかアガサ・クリスティとか・・・・・・。今からでも遅くはないか。でも、今の年齢で頭に仕込むものって、若い頃にしこむものとはかなり違った質になってしまうからなあ。若い頃にもっともっといっぱい本を読んでおくべきだったわ・・・・・と反省しつつも、一応はそれなりに活字中毒ではあった私。あれ以上読書時間をどう確保できたものか?

 まあ、今からでも遅くはない。言及されている作品、オマージュとなっている作品は沢山あるようなので、時間を見つけてとっかかっていこうっと☆ミステリー以外のものもも沢山ありそうで、リストアップする作業が楽しそう。今後の読書について、何カ月分、何年分かの楽しみは確保できたわ!

 と、この作品世界の面白さを味わいつくしたい、味わいつくさなくちゃ!と思うような楽しいミステリーだった。
 
 いわゆる≪日常の謎≫ものミステリー。学園もの。
 「遠まわりする雛」の謎解きの結果なんて、思わず笑顔が浮かんできちゃう。こういうほっこり度がいいなあ。

(キャラクター感想)

 ヒロインの古典部部長の千反田える。嫌みのない上品さ、真っすぐすぎる真摯さ、その真摯さから出てくる喋る際の妙な癖。そして、周囲を巻きこむ強烈な強烈な好奇心、この性格が可愛くて面白い。「わたし、気になります!」は「さよなら妖精」のマーヤの「哲学的意味はありますか?」と同義語なんだな。この作者にとって、好奇心の塊少女というのは、描きやすいタイプの女性キャラなのか?

 漫研と兼部している伊原摩耶花。えるとは対照的な雰囲気の勝気少女。勝気さゆえに、勢いにのせられやすい性格で、文化祭の一日を描く三冊目を大いに盛り上げてくれる準ヒロイン。

 雑学大家の福部里志は、手芸部兼部、総務委員会にも所属。≪安保に簡保にクラシック≫という妙な表現が出てくるが、とにかく広範な知識の持主。
 この小説はいわゆる≪日常の謎≫ものミステリーだが、主人公が高校生であることもあり、青春小説的な色合いもどんどん強くなってきている。「手作りチョコレート事件」での逡巡なんて、若々しくていいねえ。ああなんという年よりめいた感想・・・・・・(:_;)

(文化祭感想)

 3冊目の、文化祭のドタバタが楽しい。
 氷室冴子の「クララ白書」「アグネス白書」は女子校ならではの文化祭の盛り上がりを楽しく描いていたけれど、この「クドリャフカの順番」で描かれる文化祭は共学校ならではの強烈な勢いなのか?お料理研究会での料理勝負における古典部4人。個性的でばらばらなようでいて絶妙な連携がある様が素晴らしい(笑)

 グローバルアクトクラブなんていうクラブもあるのね。戦争や自然災害などの惨状にさらされた情勢の展示と思いきや、民族料理の再現に関するパネル展示。そのことに関しての部長の
「本当は国際ボランティアのクラブだよ。」
と言いながら、やりたいこととやっていることの差について苦い顔で語る言葉に、なんだかものすごいリアリティ。

 作者は東欧についてどっかで専攻なりしてた人?そんな関連でグローバルアクトとやらに気持のひっかかりを感じてしまうような人なの?
 「さよなら妖精」のユーゴスラビアもそうだけど。この作品の中でも雑談の中でさらりとハンガリーのコシュートの名が出てきたりする・・・・・。

(古典部なるものへの感想)

 氷室冴子の「クララ白書」「アグネス白書」に出てくるパワフルな女の子たちは、古典を宝塚的に舞台化しちゃうという荒業で古典を楽しむわけだけど。
 まあ普通は、この手のクラブは≪文集≫だよな、と、高校時代に文芸部という活動があまり活発ではないところに所属していた私は納得する(笑)
 文集は活動の結果ではあって目的ではない。とはいっても、文集を目的にしていれば、それを目的に結果をつくれるといったようなやりとり。文芸系の非活発系クラブってそんなもの(苦笑)
 いやなんか、自分の10代を思い出しちゃうよーーー。

(文体・文章感想)

「折木さんって、たまにあまり使われない言葉を使いますよね」
とえるが奉太郎を評するけれど。
 私はこの作者にもそれを感じますぞ。ここでこういう言い回しを使うんだあっていう面白さが随所に。「極東戦線異状なし」なんていう言い回しは、この小説がターゲットにしているとおぼしき年齢層にはぴんとくるのかなあ?

(彼の成績への興味)

 折木奉太郎の国語の成績に興味がある(笑) 
 語彙は豊富なので知識系の問題では点数をがっちり稼げそうだけど。
 読解問題にとりくむにあたって彼はどうなんだろう?(笑)
 資料を読み込むにあたって達者すぎるってのはすなわち、メインからはずれた余計な情報をもきっちり吟味するということでもあるわけなので。
 受験において現代文の読解をするにあたって、その性格は大変なんではなかろうか。

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2009年7月21日 (火)

近頃の愛読書ーーーフリードリヒの絵画

(1) ノルベルト・ヴォルフ「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ」(タッシェン)
(2) ドイツ・ロマン派画集(国書刊行会)

 図書館で借りて、何度も何度も開いている2冊。
 いくつものフリードリヒの絵がカラー印刷で沢山のっているから。

 本当は買って手元に置いておきたいのだけど。

 (1)は出版社で品切れの状態。2006年出版なのにもう無いなんてひどいわ。タッシェンのニューベーシックシリーズ、他の画家の本はもっと前に出版された物でも在庫があるのに。フリードリヒの本は印刷部数が少なかったのね(:_;)(:_;)(:_;)

 (2)は出版社のサイトを見たら在庫がありそうな表示なんだけど・・・・・・・・・金額が。全部の頁がフリードリヒというわけではなく、フリードリヒの絵がカラー印刷で載っているのは8頁だけなので、そのために1万近くのお金を出すわけには・・・・・・・・。

 フリードリヒという画家の名前は、高校生時代に勉強していた世界史の授業では出てくることはなかった。文化史の参考書等にも出てこなかった。大学生になってから見に行った美術展で、その絵をいくつか見た。名前を知らなかった何人もの画家がとても好きになった。シンケル。ベックリン。

 その中でも一番好きになったのがフリードリヒ。
 鬱病気味だったそうで、その風景画は、寂寥感や孤独感をはっきりと見せる。
 美しく、しかし、寂しい色合いの絵。

 画集で、以下の絵を何度も何度も見つめ続ける。
 文章読まずに絵だけ眺めている^^;

 実物を見たことがない絵も多いなあ(:_;)

 「海辺の月の出」
 「オーク林の僧院」
 「カラスの木」
 「墓地の入口」
 「雪の中の樫」
 「バルト海の眺め」
 「霧」
 「海岸の岩礁」
 「樫の森の中の修道院」

 中でも「孤独な木」に一番惹かれる。はじめてフリードリヒの絵を見た時、一番好きだと思ったのはこの絵だった。この絵の前で何十分も過ごした。
 風景画なのだけど心象風景でもあるその絵。

 この木は私、と、なんとなく思った。
 あるいは、こうありたい私、と、なんとなく思った。

 孤独なんだけど陰鬱ではない。
 広い野の中ですっくと立つその孤独は、誇りを秘めた孤高。
 そんなふうに見えた。

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2009年7月19日 (日)

樹なつみ漫画再読中

 「花咲ける青少年」アニメ化に触発され、持っていた昔の漫画をちょこちょこと再読中。初期作品は手放してしまったり、最近の作品は読んでなかったり、なので、現在、我が家の本棚にある樹なつみの漫画は以下の通り。というわけで、作品の思い出を語るにあたって、この7作品についてはネタバレを含んだ感想。

(今現在、我が家にある樹なつみの漫画)

・マルチェロ物語(愛蔵版)全2巻
・朱鷺色三角(全5巻)
・パッション・パレード 朱鷺色三角II(全6巻)
・花咲ける青少年(全12巻、愛蔵版は番外編目当てで6巻のみ購入)
・OZ(全4巻+完全版全5巻。完全版は番外編が複数冊に分散収録だったのだ・・・)
・獣王星(全5巻)
・八雲立つ(1巻のみ保有。2巻以降は手放した)


・「マルチェロ物語」

 初期作品ではアンケートがあまり良くなかったという作者が、人気が出るだろうとおぼしき要素を詰め込んだと言及しているシリーズ(笑)
 
 主役少年であるカリスマモデルのマルチェロよりも、マルチェロを愛するファッションデザイナーのデモルネ氏やマルチェロの親友イアンが好きだった。

 「花咲ける青少年」の政治物語部分は、かなり中途半端な印象なのだけど、デモルネが巻き込まれるテロ活動の描かれ方なんかは短編で番外編のような形でまとめたためか、緊迫感と哀しさ十分のいい話になっていた。
 ああこの頃、樹なつみ漫画というのは既に完成形をいったん迎えていたんだなあと、読み返しながら改めて思う。

 ただ、後半登場する、ヒロイン位置にきた少女マリクはいけてなかった^^;
 なんでいきなりこの平凡なイモ少女が?という激しい違和感。
 イアンの片想い相手ヴァレリイの方が断然好きだったなあ。イアンとヴァレリイの最後のやりとりが、この作品の中では一番好きなシーン。
「いつか・・・・・私が、あなたの家を訪ねたら・・・・その時は、泊めてくれる?」
「もちろんさ!!」
「奥さんや子供がいてもよ!私、遠慮しない性格だから覚悟しておいて」
このヴァレリイの台詞の次に続いたイアンの返答と表情が泣ける・・・・・・(:_;)(:_;)


・「朱鷺色三角」「パッション・バレード」

 長期ヒット連載を出しちゃった漫画家は次の作品でがっくりの出来になることは多いのだけど。
 どうやらデビュー前に描きたい面白いネタを山ほどストックしていたみたいで。
 この作品の最初の「蛍たちは笑う」は、マルチェロ物語とは一転して日本が舞台。どろどろした親族同士の感情の渦の中に突如巻きこまれた、バスケに一途なだけだった高校生の霖が主人公。哀しさにあふれていていい出来。
 完成度ということでいえば、シリーズ化せずにそれだけで終わらせておいた方がいいのかもしれない、とすら思う(苦笑) でも、その後も楽しいキャラ物になっていて、三角を構成する霖、零、まだ小学生の蕾の三人の関係にいろんな人が深く、あるいは浅くかかわっていく。そんな様を見ているのが楽しかった。霖のキャラ設定はシリーズ全体を通して見ると微妙に変化してたりするけれど(苦笑)最初は、自分に厳しく他人に厳しく妥協を許せないタイプのキャラだったけれど、後半になってくると、自分に対しては相変わらず厳しいけれど、価値観が全く異なる他者をも受容できるキャラになっている。キャラ描写がぶれたのか、彼が日本でもアメリカでも異文化にもまれまくって成長したからなのか、どっちなんだろう?(笑)

 この作品は、絵柄変更時期にあたっていたためか絵は安定していないんだけど。
 ジューンがどんどん綺麗になっていく様なんて、≪恋をした女は美しくなる≫の印象をこえて、≪設定をかえたから美人にかえちゃった?≫のレベルだし(笑)

 と、荒削りな部分はいろいろ見えるけれど。
 ある意味、一番熱心に読んだ作品。

 なにせ、樹なつみの漫画の中で一番好きな男女の並びが出るのがこの作品(#^^#)
 主人公の霖の異母兄である零。年上女性にしか惹かれなかったはずの零が何故か最終的にはつかまっちゃった超能力少女の蕾。この二人の並びが好きで好きで好きで。
 パッション・パレードの半ばあたりまでは、まさかこの二人がくっつくなんて想像もしなかったけれど(笑)零は誰ともくっつかず、孤独なままかと思ってたよ・・・・・・・・。

 出会いの頃なんて実に冷めた関係の零と蕾。
 零は、遠縁のガキになんて興味は皆無で、周囲の人間の彼女に対する非人間的な態度を他人事のようにせせら笑うだけ。自分から蕾に対して何か動こうなんてかけらも思っちゃいない。
 蕾は、うまれてはじめてかけねなしの優しさで接してくれた霖に忠実で夢中で、霖と精神的に強く結び付いている零をお邪魔虫だと思ってるし。
 その二人が、霖を介して次第に離れがたい二人になっていく。大好きな霖には良く見られたいからいい子に見せちゃおうとする蕾は、零にはそんな遠慮はかけらも持ち合わせてないから、好き勝手にボロクソなことを言いまくる。
 そんな蕾に、しょーもねえなあと思いながらテキトーに相手する零。しょーもねえと思いながらも、いつしか気分はお兄ちゃん。霖につきあって、蕾のお兄ちゃんをそれなりにやっちゃうことに・・・・・・・。

 そして、アメリカに留学しちゃった霖に置いて行かれちゃった二人。
 零も蕾も、霖とのつながりが一番大事だったのだけど、置いていかれたことでいつのまにやら一人対一人としてのつながりを深めている。
 そしてこの二人がアメリカに渡ってからも。
 あくまでも霖に対してはいい子でいたい蕾は、愛する女性を見つけてしまった霖の姿に衝撃を受ける。でも、霖に対しては直接当たり散らすわけではない。彼女がわめいたり泣いたりするのを、しょーもねえなあと思いながら追っかけていくのは、いつのまにかお兄ちゃんがわりになってしまってる零なんだよね。「蕾がジューンに何かしたりしないだろうか?」とバカな心配をする霖に対して、蕾は芯が通ったやつだからありえないと霖をたしなめる零。蕾に対する霖と零のかかわり方や信頼感の大小は、時を経る中でいつのまにやらそんなふうに変化していたわけだ。
 その零は、今までの三人の関係が、霖の変化によって離れていく日を予感し、恐れながら寂しがっている。そんなこんなしているうちに、いつしか、危機的状況に対しては蕾の超能力に大いに頼るようになってしまっており・・・・・・・・一本気な蕾に信頼感を抱きつつ、年齢が離れた年下少女の蕾にも精神的に深いつながりを感じるようになってしまっており・・・・・・・・。いつか霖が自分から離れていく日を恐れるとともに、いつの日か蕾が一族の絆からひょこっと離れていってしまうだけの強さを持っていることを羨みながらも寂しく思っていたりする。
 そして蕾が先に認識するんだな。当たり散らしたい気分の時に、気がついたらいつも零が相手してくれていること。零がコンプレックスを感じながら寂しくて寂しくてしかたないという気持を抱き続けていること。
 そのあたりの感情の変遷の描き方が丁寧だったので、恋愛部分に関しては樹作品の中では最も唐突感がなく、ナチュラルに丁寧に描かれていたという印象。
 最後の最後の回で、霖がただの狂言回しのような形で描かれ、最後の頁に入ったのが零と蕾のシーンだったことには本当にびっくりしたものだったが(笑)主人公はずっと霖だったはずだけど、アンケート等では零がダントツだったのが影響したのか?(笑)


・「花咲ける青少年」

 作者は、本当のところは政治劇としてこの物語を描いていきたくて少女漫画誌の中でどうやっていくかと四苦八苦していたんだろうけれど。
 政治劇としての緊迫感や展開の面白さは、マルチェロ物語のデモルネ主役の短編には及ばないのよね。王の資質を持つルマティの成長物語という意味ではそれなりに面白くできていたとは思うんだけど、ルマティって根っこがお金持ち坊ちゃん思考だからなあ。上に立つ者としての資質は描かれていたとは思う。が、国王として国民のために彼が何をどこまで出来るのか、貧富の格差や政治腐敗について彼がどこまで真摯に取り組めるかという点について、最後の最後のところで納得できるように描かれなかったなあという不足感。小国だから大国よりは容易だろうという作者の安心感が変な形でまざりこんでたりする????

 ストーリー後半をひっぱるのはルマティ少年なんだけど、ファンを惹きつけたのはやはり、花鹿と男どもの関係の変容の部分だったと思う。特に立人と花鹿の関係。

 今でも悔しいのは、花鹿が立人VSムスターファのどっちを選ぶのかという点があっさり流れてしまったこと。
 幼かった日々の花鹿にとっては、ヒョウのムスターファは何よりも愛する相手で立人は二の次だった。それが逆転するんだよ??? 逆転が生じるからにはドラマがもっとなくっちゃ。ハリーの言うところの≪彼女を守るためには己さえ捨てされる者≫という条件に誰よりも該当するのは、立人じゃなくてユージィン(=ムスターファの生まれ変わり)だったしなあ。ルマティには国が、カールにはローゼンタール家があるけれど、ユージィンは花鹿さえいれば他の何を捨てることも一瞬たりとも躊躇しない該当者だったんだから。バーンズワース家の今後という観点で夫選びをするなら一番条件悪いけれど、ハリーは夫選びにおいてその点は重視していないわけだし。

 夫候補の二番目のルマティは、花鹿のためにすべてを捨てされる男には全然該当しない男だったのに何故ハリーから選択されたのかが不思議。
 夫候補三番目のカールは、いい人であってほしくはなかったなあ。愛する花鹿を得るためには手を汚すことも決して辞さないという実業家として君臨してほしかった。出番が遅いだけに、いい人キャラだと、インパクトが薄くなっちゃうんだもの。

 多分、作者の樹なつみが、男女の関係性を描くのが徹底して苦手なので、恋愛部分は流しちゃったということなんだろうけれど。恋愛部分を流しているわりには政治劇部分が描かれきっているとも言い切れないもどかしさ・・・・・・・。

 と、まあいろいろと思うところはあるわけですが、過去にもこのブログで叫んでいるように立人が大好きです☆ そしてムスターファも。


・「OZ」

 樹なつみの漫画は、勢いとキャラで読ませるけれど、構成力についてはかなり問題ありという印象をいつもおぼえる。
 そんな中で、このOZは、比較的短い作品として完結したためか、構成的な問題が少なく、進行中に設定がころころかわっちゃったなこりゃ、といった疑問も少なく、物語としての完成度が最も高かった。

 最初に出たコミックスを買っていたにもかかわらず、番外編読みたさに完全版も買いそろえてしまった私。バカですよねえ・・・・・・・・^^;

 ムトー軍曹が19(ナインティーン)に最後に言う言葉が好きだ。
 片恋ではあっても、あそこまで真摯な素晴らしい言葉をもらえれば、想われるよりも幸せだよね。
 ネイトと24の関係も好きだ。24にうっかり惚れてしまったネイトの最後の決意と行動と最後に口にする言葉が好きだ。
 この作品で一番好きだった場面が、上記2場面。

 ヒロインのフィリシアは、作中できっちり成長し、樹作品の中では一番成功したヒロインになっているかな。でも私はフィリシアの姉のヴィアンカの方が好きだった。コンプレックスと孤独感を抱えた状態で高圧的に意地っ張りになっちゃう女の子って、可愛いんだもの(笑) ラストでの彼女の容貌の変化にはショックだったけれど。あんなに可愛かったヴィアンカがなんであんなに普通の変な女の容貌に?


・「八雲立つ」

 1巻のみで終わらせておくべきだと思った作品^^;
 実は、「朱鷺色三角」も1巻のみで終わらせた方が物語完成度は高かったとも思うが、朱鷺色三角はその後、キャラの魅力でひっぱったからなあ。八雲立つは、キャラの力で読者をひっぱりきれなかったという感想。新キャラが出てくるたびに、なんだかもやもやしてしまって・・・・・・。
 連載途中で脱落。一応、雑誌では読み続けてはいたけれど・・・・・・・・ラスト、あれでいいのでしょうか、ファンは?


・「獣王星」

 ツカミはオッケーの硬派SFだったが。
 サード登場頁なんてかっこよさの極致だったが。
 終わり方が尻すぼみの印象だったのがひたすら残念だった・・・・・・・・。

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2009年7月15日 (水)

敗北デーになってしまった・・・・・・「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」

 とても楽しみにしていた公演を全然期待通りに楽しめなかった日を敗北の日と呼ぶ私。

 出演者が私的には豪華なので、純粋に楽しみにしてたんだけど。
 さっぱり物語の面白さが味わえないまま終わってしまった「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ
 パルコ劇場前方上手側席。

 画家を主人公として葛藤を描く舞台は、このところ、「コンフィダント・絆」とか「傾く首~モディリアーニの折れた絵筆~」とか、好みど真ん中の物を見過ぎてしまったので贅沢になりすぎているか。
 葛藤の部分が胸にひっかかってこないまま、ソンドハイムの美しい曲(今回は、眠気を誘う曲ともいう^^;)と共に流れていってしまうような感があって・・・・・・。

 畠中洋さんはこの舞台の話が先にきたから「天翔ける風に」再々演の才谷を受けなかったのだろうか? 畠中さんの役で一番好きなのが才谷と「詩人の恋」のスティーブンである私は、もやもや。

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2009年7月 9日 (木)

「ダンス・オブ・ヴァンパイア」雑感(その2)

 7/8の観劇記の続き。

 このミュージカルを見ていて、私が一番ひっかかりをおぼえるのが、クロロック伯爵という人の存在のあり方なのだ。ここでひっかからずにいられれば、この舞台を楽しみきれるのにな、と思うんだけど。

 初演を1回観劇した際にも書いたのだけど、ひっかかり部分は主に三点。

1)ソロナンバーのメロディラインが山口祐一郎さんならではの歌い方に合わないように思える。
2)舞台全体に漂うコメディ色からクロロック伯爵の苦悩の感情が浮いてしまう。
3)長い長い、心臓に杭をうたれさえしなければ消滅することができない、永遠に近い長さの生の中での苦しみという苦悩に・・・・・・・・・・・私が観たいタイプのお芝居と彼のお芝居がちょっと違うような気がする。


●物語構造

 台詞から受け取ったつもりの物語構造

(起)
ヴァンパイアを恐れる村を訪れる教授とその助手。
恐ろしいヴァンパイアとの対決姿勢。
悪のヴァンパイアと正義のヴァンパイア・ハンターの対決のような構図。

それにしては「人類のために」のナンバーで盛り上がる教授に、妙に功名心が強い部分を見せることで、ひっかかりを提起。
 
(承)
恐ろしいヴァンパイアが、悪の帝王のごとく麗しく(??????????)登場し、美しきヒロインのサラをさらっていってしまう。
サラに一目ぼれしてしまってた助手青年の苦悩。
娘サラを助けようとして失敗したシャガールの姿。
これ以上ヴァンパイアが蔓延するのを防ぐべく、愛するサラを救うべく、クロロック伯爵の城に向かう決意をかためるヴァンパイア・ハンターのごとき教授&ヘタレ助手。

(転)
クロロック伯爵の城でのドタバタ。
悪の権化、人類を脅かす存在であるはずのヴァンパイアが、長い年月抱えてきた苦悩を知る。
「伯爵にも感情があったんですね」としんみりつぶやくヘタレ助手。
「感情?くだらん」と一喝する教授。この語調が非常に強い。

正義と悪の単純な対決構造という見方はがらがらと崩れ去る。
正義と悪という単純な二つの次元でこの世界を見ることはできない。

(結)
サラを救出。しかし・・・・・・・・。
教授&助手は敗北したのか? 助手は幸福そうだが。

初演では、助手はヴァンパイア化してもカーテンコールで教授は十字架を持ってたので、助手がヴァンパイア化した後も教授は人間としてあたふたちょこまかと動き回ってるのね、と思ってたけれど、再演版プロフェッサーは、物語の後で、ヴァンパイアのお仲間いり・・・・・ですよね?

伯爵は勝利したのか?
しかし、伯爵の生活の世俗部分を支えていた人間クコールがいなくなった。新たに、彼に忠実で信頼でき、なおかつ彼の心の影の部分を理解しているようでありながら絶対にその部分に浸食はしてこないような男を探すのはあまりにもあまりにも難しい。


●永遠という名の長い時間の中で苦悩している男・・・・・・・・?

 といった感じの物語ととらえていたので、クロロック伯爵は、暗く麗しく耽美に登場し、永遠とも思えるほど長い時間の苦しみを激しく苦しく歌い上げてほしかったところ。
 なのだけど。

 うーーーーーーー、なんだか美しく見えないの。ごめんなさい^^; 
 登場時のクレーン。マントさばき。いろんな点で、美しさ以外の要素を感じてしまう。
 もっと若い頃の山口祐一郎さんで見たら、違った感想だったかなあと思ってしまう。
 山口祐一郎さんのお芝居については、四季退団後のものでは「モーツァルト!」のコロレド大司教が一番好きで、四季時代については観られないままだった代表作も多いけれど観ることのできたものではダントツに好きだったのが「永遠の処女テッサ」のルイス。この二つの役については、彼以外の人を過去にも現在にも想像できないくらい思い入れが深い。どっちもある意味すごく馬鹿で残酷なオトコだが・・・・・・。そういった嗜好の観客の書いたものとしてお読みくださいまし^^; 祐一郎さんファンとも祐一郎さん苦手な人とも、かなり異なる嗜好のような気がするので、誰の参考にもならないような少数派感想だと思う・・・・・・・・・・・という自覚はたっぷりある・・・・・・・・・。

 優しさ、穏やかな外見の底に、激しい愛憎、苦しみゆえに生じた激しい憎悪、世俗への軽蔑、そうしたものをもっと強く見せてほしいの・・・・・・・・・・。今のままではなんとなく中途半端な印象なのだ。
 じゃあどうしたら?と問われると難しいんだけど。

 例えばソロナンバーのメロディラインが違っていればまた異なる印象になったんじゃないかなと思ってしまうのだ。
 歌については、彼の声は、バズーカ砲的な重厚な歌い上げで聞かせる時が一番素敵に聞こえる。そうした歌い上げの時にこそ、強靭な美声の中に、荒々しく激しい感情を叩きつけるように見せつけてくる。だから、伯爵のソロナンバー、最後の声の伸びなんかで満足感は最終的には味わえるんだけど・・・・・・・・優しい音調で中庸な感じで歌っていくあたり、最後にむけて力をためている?ってな感じで、そのメロディにのっかっている部分の歌詞の感情を感じ取れない。


●コメディ色との不調和
 
 そして、再演版の舞台は初演版よりもコメディの色合いが強くなった印象なので、伯爵の苦悩が物語の中で初演の時以上におさまりが悪くなっているように思える。

 最後、クコールは死ななくて良いのに。
 不幸な生き物は不幸なまま。絶望したまま。
 そんな印象の物語になってしまう・・・・・・はず・・・・・・・なのに?

 でも、あの明るいカーテンコールなのだ。皆いっしょに楽しくヴァンパイア。
 吸血鬼になっちゃって生き物として完全に楽しく開き直っちゃったマグダ。
 吸血鬼としての生の楽しさを謳歌するバカ息子ヘルベルト。
 その二人がショースターとしてカーテンコールのダンスを楽しくひっぱる。

 なんかヘンだ。
 クコールが死ななければ、それもありだったとも思う。が、クコールの死は、伯爵の安寧を破壊しつくすことにつながる出来事なのに????
 クコールは死なせなくてもよかったのに。

 バカ息子の性格にも疑問。観客受けはいいんだけど^^;
 あれだけ知識欲旺盛な父親を持ちながら、息子はなんでああまでバカ息子?
 美への執着はある。純朴なるものへの恋着もある。そのあたりは多分、父に似たのだろう。
 が。知的なるものへの執着が、これっぽっちもない(笑)本当に彼はあの男の息子なのか?と首をかしげるほどに。
 クロロック伯爵は、よっぽどヘンな女に手を出したのか、あるいは、よっぽど育て方を間違ったのか????

 あのバカ息子は、舞台のコメディ色を非常に高めてしまう。結果、伯爵の苦悩の物語は、舞台の中で中途半端な位置でおさまりが悪くなる。伯爵ってば、過去にどんなおバカな過ちをおかしちゃったのよーーーーー、と、ついつい想像にふけってしまうじゃないですか。


●とってもいい加減なバラバラな結論

 じゃあどうしたらよいのか?と問われたら。
 私は個々の出演者ファンなので、まとまった感想なんて出てこない。ばらばらの偏った視点からしか言えませんってば^^;
 バラバラな印象の作品は、視点をあっちこっちに置いてバラバラな部分から楽しむっきゃないかもしれない。

 クコールという人物の存在を思えば。
 この物語は悲劇の色合いの高いものであってほしかった。
 コメディ色の高い舞台にするのであれば、クコールの死はあってはならなかった。

 ヘルベルトという生き物の存在を思えば。
 この舞台はコメディでいいじゃん!という大いに思う(笑)実際、アルフレートをおっかけまわすシーンはものすごくお客さんに受けてるし。いや、壮絶にひいている人も多いのかもしれないけれど^^; プログラムによれば、アルフレート役の浦井くんの悪夢までひきおこしているようだし?^^;

 プロフェッサーという人物の存在を思えば。
 やはりこの物語はコメディでいいじゃんと思える。
 彼はヴァンパイアになっても不幸になる人じゃない。人間社会での功名心を満たす意味での成功は手にできないかもしれないけれど、それ以上のものを得られるはずだ。

 しかし、クロロック伯爵という生き物の存在を思うと。
 コメディであってほしくはなかった。断じてコメディであってほしくはなかった。
 クコールの死という形で悲しみと孤独がさらに高まる形の悲劇色に色塗られた世界であってほしかった。

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2009年7月 8日 (水)

「ダンス・オブ・ヴァンパイア」雑感(その1)

●突然訪れた機会

 今年の観劇予定には入ってなかったのですが、お席を譲っていただけるお話を突然いただけたので、大喜びして帝国劇場に出かけてまいりました。

 大喜び・・・・・・^^;

 日本初演を見た時の感想はコチラ
 はっきり言って、ちょっと冷めた感想文書いてます^^; 冷めてて、乗り切れてないんだけど、市村正親さんの教授、駒田一さんのクコール、吉野圭吾くんのヘルベルトを見ることで結局は楽しんではいたんだよな、と、自分の文章を読み返しながら思い出す・・・・・・・。作りこんで作りこんで、というタイプの役者さんが大好きだし、この方達の舞台上での活躍にはなんだかんだ言って喜んじゃってた・・・・・。

 この舞台、基本的には
1)B級ホラーが好きなら楽しめる。
2)B級コメディが好きなら楽しめる。
3)出演者が好きなら楽しめる。
という類の作品だと思っております。上記のうち一つもあてはまりそうにない、という方にはオススメしません。

 私の場合、1)2)にはあてはまらないのですが、3)には該当するので、今回はキャラ物とわりきって出かける準備。
 そう考えて出かけるならば、楽しみな部分はたくさん。コメディに関しては私は笑える範囲がそんなに広くはないんだけど、コレは不快感を刺激されるタイプのストーリーでもないし。
 
 初演の市村正親さんの教授が好きだったけれど、石川禅ちゃんのことだってマリウスの頃から好きだったから、禅ちゃんの教授も楽しみ。禅ちゃんは一時期は私の中では石川禅さんという立派な人になってしまい、大好きだという気持から少し遠ざかりかけてたのだけど^^;2004年のレ・ミゼラブルコンサートで久しぶりにマリウスの濃い可愛さを見て聞いた時、≪やっぱり禅ちゃんだ。禅ちゃん可愛いわぁぁ!≫と思い、そして彼を禅ちゃんと呼びながら今に至っております。タイミング悪くて彼の役を見られないことが多いのだけど、「ウーマン・イン・ホワイト」や「レベッカ」での演技は大好きでした!「レベッカ」のフランクなんてはっきり言って思いっきり役不足だと思うけど、禅ちゃんのお芝居は緻密で濃いので、舞台上にフランクが出ると、ああこの存在感のありようが好きだなあと思いながら禅ちゃんを眺めてましたっけ・・・・・・・。

 そんなわけで、キャラに関して、印象的だった人から順に感想いってみます。

●アプロンシウス教授

 なんといっても「人類のために」の歌の素晴らしいことといったら!!!!!!!!!!!

 市村さんのプロフェッサーは、あくまでも市村さんというキャラがプロフェッサーというキャラと妙にマッチしてしまっているはまり役だった。舞台上に出てれば目がいかないことはありえないというような動き方をちょこちょこする人。

 石川禅ちゃんのプロフェッサーは、とにかく、ちょっぴり硬派な部分もある研究オタクの極致の人。出方は、常に目立つというわけではなく、場面での印象度に緩急がある。序盤はどちらかというと地味な印象?と思ってたら、あのものすごいナンバー「人類のために」ですよ。歌詞が明瞭な早口言葉。美声で強く歌い上げて感動させてくれるミュージカル役者さんはいっぱいいるけれど、禅ちゃんのこの早口言葉歌の何がすごいって、歌に強弱のメリハリがきっちりある中で、弱の部分でも滑舌がよくて歌詞が明瞭で思い込みの強いプロフェッサーとして崩れないこと。この早口言葉歌でそれができるって、ものすごい技術力ですよね?
 力強い技術・技巧で一気に場面をぱーっと盛り上げ、お客さんの喝采に悦にいるプロフェッサー。この場面の面白さは、最初から常にずっとずっと目立ち続けていた市村プロフェッサーには出せない緩急の味だと思う(#^^#) あはは、なんだかんだ言ってるけれど、目立っちゃうことに、自分の主張を高らかに歌い上げることに快感をおぼえちゃうお茶目さんでもあるのね、ものすごく意外だったわ☆ってな感じで。冒頭が地味目だからこそ、ここが笑える。
 一番感動しちゃった場面でした。

 体が柵にはまって動けなくなっちゃって助手を一人敵地(笑)に向かわせるあたりの二人のやりとりは、もうちょっと面白くできるんじゃないかなあ、という気はする。禅ちゃんプロフェッサー、緩急あって、人としての感情を軽視するオタクで、でも妙な信念と強さのあるオタクで、とっても好きなんだけど、注文つけるならこの場面かなあ。なんとなく隙がなさそうなので、見つかるかもしれない、見つかったら大変なことになるかもしれない、というハラハラ感は皆無だし^^; 市村さんプロフェッサーはちょこまか感のために隙だらけに見えて、このあたりは可笑しくてちょっとハラハラ感も伴ってたから。

 ところで、禅ちゃんプロフェッサーはカーテンコールでは十字架持ってなかったですよね?
 多分、皆いっしょにヴァンパイア、という世界のお仲間の一人ですよね?
 カーテンコールでプロフェッサーが十字架持って現れるかどうかというのは、物語の根幹にもかかわる大問題であるはずなのに、カーテンコールでのプロフェッサーの位置が私の一番の贔屓の人とちょっと離れているので、ちゃんとチェックできなかった。悔しい・・・・・・・。

●ヘルベルト

 二番目に感動しちゃった場面といったら、やはり、伯爵のバカ息子ヘルベルトがいたいけな純朴で純情な青年アルフレートをおっかけまわす場面(笑)

*あのバカ息子は、馬鹿息子と漢字表記するのではなくバカ息子とカタカナ表記する方がなんとなく私にはしっくりくるので、この表記でいきますね^^;

 バカ息子度パワーアップ!!!!!!!!!!!

 なんなんですか、あのイロモノのバカ息子は。
 ええと、一応私、この役者さんのファンなんですが・・・・・・・・。

 「痛くしないから。痛くしないから」と言いながらアルフレートを追いかけまわすんですよ・・・・・この生き物は。

 お風呂での登場というのがある意味サラよりも似合っちゃう美しい美しい変な生き物。
 終盤のプロフェッサーとの対決シーンも、なんか妙な形でパワーアップして、バカ息子ぶりがクローズアップされてたりして。なんですか?あのバカ息子はぁぁぁ!

 太股の薔薇のタトゥーはなくなってしまったけれど、そんなものは不要なほどに、お芝居で美しいイロモノ変態バカ息子ぶりを披露しまくってます・・・・・・・。

●クコール

 駒田一さんの舞台の独特の味と存在感が好きです、昔から。
 何見ても、うまいなあ、と思うし、妙な可愛らしさがある・・・・・・・。

(関係ないけど、最近、アニメの「グイン・サーガ」のヴァレリウスの絵に衝撃を受け、かつて観た駒田さんのヴァレリウスを懐かしんでおります・・・・・・・・)

●アルフレート

 前回見た時の感想でこんなことを書いた。

1)この人は、伯爵にとっては、もっと純粋だった日々への憧憬の象徴みたいな存在なのかな、というように思うんだけど。
2)純粋さを見せるために幼いってのは間違ってはいないんだろうけれど、隙の部分が妙な危なっかしい色気を醸し出すといったタイプの、少女漫画風な少年性がほしかったかなあ。その方が、ヘルベルトの一目惚れにも納得しやすいし、ラストの豹変も色っぽく美しくなるし。

 かつて書いた2)の部分については前言撤回(笑)
 泉見洋平くんのあまりにもあまりにも作りこまれた濃厚な子どもっさ、幼さ、へたれっぷりを見ていて、これだけで伯爵をひきつけるには十分だと思った・・・・・・・。

 ヘルベルトは行動と容姿だけじゃなく嗜好もイロモノの人だから、幼さの完成形、可愛らしさの完成形、ヘタレ方の完成形を極めているからこそのアルフレートが好みなのね^^;と、妙な形の納得・・・・・・・・。

 というわけで、泉見洋平くんのアルフレート、とっても気に入ってます。

●マグダ

 シルビア・グラブにはわりと健康な強さという印象をいつも持っているので、どっちかというと初演の宮本裕子さんのマグダの方が私好みの愛人だったような気がする。可愛くてちょっと毒があって。
 ただ、歌やショースターとしての力は断然シルビアが良かった。
 カーテンコールでマグダが目立ちまくる場面、シルビアが出てくるとやはり、ばっちり歌えて踊れるからこその華やかさですね。舞台の反対側に贔屓がいなければもっとじっくり見たいんだけど^^;

●シャガール

 初演の方よりも安﨑求さんの方が、歌が安心して聞ける(^^)

●クロロック伯爵

 初演でも思ったのだけど、実はこの物語に感じる激しい違和感の原因が、クロロック伯爵だったりする・・・・・・。今回、舞台のコメディ色が高くなったので、その違和感がさらに高まってしまった。
 脚本と演出の印象に乖離を感じるせいでもあり、山口祐一郎さんという役者さんからなんとなく、私がこの役にほしいものを感じきれないせいでもあり、クロロック伯爵のナンバーがいまひとつ私好みでないせいでもあり。

 脚本と演出のギャップという感想については別記します。

●サラ

 この役は、演技よりももともとの持ち味とか外見で勝負する役なんじゃないかと思っております。B級ホラー、B級コメディのバカヒロインだからこその、セクシーでエロティックな可愛さがあれば、このミュージカルのヒロインとして成立しうると思う・・・・・・・。

 そういう意味では、初演で見た剱持たまきちゃんのサラは綺麗な人なんだけどコゼットが似合っちゃうようなふんわり優しい印象の人なのでちょっとイメージが違ったし、今回観た大塚ちひろちゃんのサラはビジュアルに幼い小悪魔ちゃんという印象が入るのでちょっと違うような気がした・・・・・・・。

 私は今回スケジュールと財布の都合で観られませんが、そういう意味では、チラシで見た知念里奈ちゃんのビジュアルは・・・・・・・・私がこうあってほしいと思うサラに一番近そうな気がする。というか、思いっきりはまり役のように見える。
 というわけで、ビジュアル以外の印象がどんなふうであったのか、いろんな方のご感想を楽しみにしております。

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2009年7月 5日 (日)

「臨場」と「ゴンゾウ」

 やっとドラマ「臨場」最終回の録画を見終わった・・・・・・・・。
 「臨場」は一人ではなく夫と一緒に見ていたので、見るタイミングが合わないことも多くて。去年放映の主演者が同じ「ゴンゾウ」の方は早々に退却していた夫であったが。

 横山秀夫原作のドラマ「臨場」。
 横山秀夫というと、我が家の夫婦の間では、
「田村由美の漫画『7SEEDS』で夏Bチームの読書好き二人が話題にしていた作家の名前だよね」
という形で認識が一致したりする^^;
 私の方は「陰の季節」ドラマ版をきっかけに何作か読んでいたのだけど、夫は未読だったようで。

 横山作品といえば、緻密な緻密な、仕事ぶりに対する詳細な描写。
 犯罪場面に関する詳細な描写。

 私はそれが詳細さが嫌で手元には置かないのだけど、ドラマとして見ている分にはその緻密さは痛快。お話が基本的に一話で完結していくのもいい。最初の掴みは「ゴンゾウ」よりも成功しているな。

 と思っていたのだけど。

 オリジナル展開が多くなってくると脚本家の力量が出るのかな。
 それにやはり、毎週毎週、犯罪場面を見るのは疲労する。

 「ゴンゾウ」は最初、あまり面白くないと思ってた。事件が一話で解決しない。現場の人間が、あの推理、この推理と、右往左往を繰り返す。1話ごとのカタルシスにならない。
 その感想が翻ったのが「ゴンゾウ」第七話での過去話だった。

 それまで、大塚寧々が演じる精神科医の仕事ぶりが嫌だなあと思っていた。
 プロとしての部分とオンナの部分の境界が曖昧、かつ、プロとは思えない仕事ぶり。
 そういうキャラだった松尾理沙という医者が好きでなかったので、この女が黒木の相手として想定されているんだとしたら非常につまらんなあと思いながら見ていた。

 そんなこともあって、第七話で、黒木のトラウマが語られる際に、池脇千鶴の杏子が出てきた時、一気に気分が盛り上がってしまったのだな☆
 池脇千鶴大熱演。
 子供時代を演じた子もいいお芝居をする子だった。
 そして。うっちーって熱演する人、うまい人と演技バトルするのがものすごく好きだよね、舞台でもテレビでも。逆に、役としての輝きがいまひとつの人とのからみだと、惰性芝居に流れてしまっているように見える時もある。あくまでも私の偏った好みに基づく感想だけど。
 で、杏子とからんだら、今までが嘘みたいに彼自身が俄然光りだした気がしたの・・・。

 第九話で黒木が杏子を≪生涯でただ一人愛した女≫と表現したのが嬉しかった。
 そうよそうよ、あんな医者目じゃないわ。とか思ってしまったりして^^; 

 ということで、「臨場」の感想を語るつもりが、結局去年放映の「ゴンゾウ」の感想となってしまった^^;

 「臨場」は、「ゴンゾウ」と比べると、出演者のお顔立ちが私好みと違う人が多かったのも、乗り切れなかった原因かなあ^^; 筒井道隆さんと高嶋政伸さんのお顔を比べると、筒井さんの方が好みで^^; 筒井さんは演技力については私にはよくわからん人なのだが、彼のある意味のっぺらぼうのお芝居が「ゴンゾウ」の佐久間警部には結構はまっていたんだな。
 女性キャラもゴンゾウの方が可愛い人が多くて^^;

「演技についていろいろ語るけれど、結局のところは面食いだよね」
と、宝塚観劇友達のEさんに看破されたことのある私・・・・・・・・・・(笑)。

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2009年7月 2日 (木)

宝塚宙組「薔薇に降る雨」「Amourそれは・・・・」雑感

・ちょっぴり予習

 観劇前に、ル・サンクでお芝居「薔薇に降る雨」の脚本を斜め読み。
 淡々とすすむお話なので、行間を埋める芝居をする人がいない場合、主演級に好みのタイプの芝居をする人がいない場合、主演級に嫌いなタイプの芝居をする人がいる場合、かなり辛い観劇になるかもしれないという予想をしてしまうような脚本だと思った。

 幸いなことに。
 私、宙組さんの主演級に苦手な人はない。生徒さんのお顔と名前が一番一致しない組でもあるけど^^;
 持ち味が役と大幅に異なるのでは?という違和感もさほどない。
 そして、私はウメちゃん(陽月華)のお芝居というのは、昔からとても好きなのであった。声にクセがあって歌がアレだからあまり実力派扱いされないウメちゃんだけど、お芝居での役の幅は結構広い人だったと思う。

・振付

 観劇前にプログラムを斜め読みして、平澤智さんの振付シーンがたっぷり入っていることに大喜び(*^^*)彼が振付するかっこいい群舞が大好きだ。
 
 しかし、ジャスティンとイヴェットの一夜のシーンの振付は直接的すぎ。
 昔、アキコ・カンダ振付でもっと直接的な類のものを見たことがあるけれど、あれはエロティックな美しさを醸し出す印象だったのに・・・・・・平澤振付にエロスの美を求めてはいけないのか?あくまでも彼の振付は、スタイリッシュなかっこよさにこだわるのがいいのかしら・・・・・・。
 
・ジャスティンのタニちゃん(大和悠河)

 たっぷりと声量のある声で、しばしがなるタニちゃん^^;
 でも、相変わらず、というわけではないのよ。
 音はずしてないっ!音は合ってる!?。
 突然がなるから、つい笑っちゃうんだけど、音は合っているのーー☆

 ああああ、変な表現の仕方ですみませんっ。
 そんなタニちゃんが可愛くて好きでした。好きだったんですよーーー。なんてヘタなの!?としばしば思いながらも、そのヘタさっぷりが愛おしくて愛らしくて^^; 
 下手なんだけど、タニちゃん比でどんどん良くなっていて、影で一生懸命なんだろうなあというのもよくわかって。舞台で出てくる持ち味は陽性で元気でちょっぴり不思議ちゃん。でも、影ではきっとコンプレックスに苦しみながら頑張って頑張って頑張りまくったんだろうなあ、と、タニちゃん比でかわっていくいろんな部分を見ながら、そうやって感じさせる落差の部分がいとおしく愛らしく。可愛い息子や可愛い孫を見るような気持でタニちゃんの舞台をいつも楽しんでいた。

 嫌みが全然ない、素直でいい人という味が役にもいい形で生きていて、脚本だけ見ると(ジャスティンってなに?二股男?????????????????現在の恋人ヘレンに対する彼の態度はなんやねん?)
なんだけど、タニちゃん見てると、
(なるほど・・・・・・・あまりにも単純頭の一生懸命な子で、単純すぎるから、ヘレンへの想いの部分は二の次になっちゃうんだな。一緒にいて摩擦が生じない関係を保てた知性的な女だから一緒にいたけれど、情熱の対象は過去の女とクルマで、今の彼女が彼の中で占める優先順位は自然と下にいっちゃったんだな。無意識に順位下げちゃっているな)
というのをなんか素直に納得できてしまって、二股ぶりに反感もわかず。
 この不思議ちゃんの持ち味が大好きだった・・・・・・・。

・ショー

 演出の岡田氏は絶対、生徒さんのレッスンのチェック等はしてないんだろうなあ。
「○○は●番手。だからこの役」
「□□はシンガーと評されている。だからこの役」
「△△はダンサーと評されている。だからこの役」
ってな感じでキャスティングしているでしょう・・・・・・。

 でも、トップコンビのデュエットダンス場面で風莉じんにかげソロさせてたのはナイスだ。いい歌声だったな(#^^#)

 前回公演もそうだったけれど、スター扱いされる主要数人の生徒さんの中にシンガーが少ない分、北翔海莉くんの歌声に感じる癒しも大きかった。(前回公演は北翔くんだけでなく、和音美桜ちゃんの歌声も癒しだったなあ・・・・・・)

・ウメちゃんの思い出

 星組から宙組に組替えになった時には、≪可愛い我が娘をお嫁に出します、アラはいろいろ気になるかもしれませんが、いい子なんです、大事にして下さい≫みたいな心境だった(笑)

 「イーハトーヴ夢」で狂言回しの一人として出てきたアメユキが可愛くて、その頃から注目。
 正統派とは少し違う、風変わりで個性的な娘役さんだと思った。ゆめゆめしさ、可憐といった風情はあまりなく、強靭さ、現代性、男役もいけるんじゃないかと思わせるような凛々しさ。がさつに見えるような時もあった。「雨に唄えば」を見た時、
「ウメちゃんのスカートの裾さばきって・・・・・」
と言ったらMさんに
「ああ、ウメちゃんのダンスはしょっちゅうパンツが見えることで有名よ」
と言われた。豪快で目をひく踊りなんだけど、娘役ダンスとしてはもにょもにょ・・・・だったりしたのよね。

 そんなふうに、がさつに見えたりもするのに、実はものすごくナイーブな部分も見せる。異様に神経質にもうつりかねない部分を、弱さという形ではなく、ナイーブであることを前面に出したり、強靭な壁を築いて弱さを隠してみせたり。
 そんなふうな彼女の持ち味を生かした役は面白い出来上がりになっていて、好きだったなーーー。
 「ベルサイユのばら」でロザリーというキャスティングを最初に聞いた時は、あまりにも彼女の持ち味に合わないと思って大笑いしたりもしたのだけど、実際に見てみたら、リアリティのある強さ、弱さ、壁、可愛らしさといった部分が、妙にロザリーという役にマッチしていたりして、はまり役とまでは思わなかったけれど大笑いしたことは大いに反省したものだったわ。

 独特な声や身長の高さのためか、下級生時代は溌剌とした元気な女の子や少年の役があてられることが多かったけれど、意外とナイーブで神経質な部分がクローズアップされるようになり、その部分がオギーのショーなんかでは魅力的に引き出され・・・・・・。「ドルチェ・ヴィータ」は檀れいちゃんが表向きのヒロイン、ウメちゃんが実質ヒロインという内容のショーで、二人の娘役の一番素敵な部分が存分に発揮されてたショーだったなあ(#^.^#) 檀ちゃんはひたすらに美しい魔性の女で、ウメちゃんは時空と運命に翻弄される神経質な少女で。世界を翻弄する美女と、世界に翻弄される少女。ああ大好きな美しすぎるショーだった・・・・・・・。

 「龍星」の花蓮、二刀流で闘う女。この役も大好きで大好きでこのへんにも長々と感想書いたりしました。

 歌は最後の最後まであらららら・・・・・・だったけれど・・・・・・・・
 サヨナラショーでなく、通常公演でウメちゃんを見送るものとしては、
≪最後に見る彼女単独場面は、大階段を歌いながら降りてくる姿かよっ!?≫
っていうのはなんだか。この歌、あんまりウメちゃんの声域にあってないし(:_;) 

 最後のお芝居は、社交界の薔薇と評される美女イヴェット。
 でも、外見の華やかさとは異なる、臆病で優しすぎて神経質にもうつる部分を持つ女。(華やかさ、という部分には、ちょっと今回、足りてなかったかもしれないけれど)
 正塚芝居によく出てくる、ちょっとした短い言葉が紡がれていくお芝居。そのちょっとした部分に、内面の臆病な部分とか、懸命に気を張っている部分とかが透けて、可愛い女の子だった・・・・・・・・。

 ショーでも、髪飾りもこっていて綺麗で、着こなすのが難しそうな色合いの衣装を着こなしていて、スタイル良くて素敵だった。

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2009年7月 1日 (水)

文月

・今月の観劇予定

宝塚宙組公演
サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ
ブラックバード

・今月の出費

 「安蘭けいラストデイ」のDVDが7/10に発売・・・・・・・・。8月のシアタークリエでの観劇まで日比谷のキャトルレーヴ(宝塚グッズ専門店)に行く予定がないので、いつ購入できるか謎ですが。謎じゃないか、そのシアタークリエ観劇直前時間帯の購入かな。

 『スカイ・ステージ スペシャルDVD-BOX「Toko」』の方は購入見送りの可能性大。分散してしまっているけれど大半は持っている映像だと思うので、お値段が辛い。ちゃんと買うファンの人、偉い!
 ただ、スカイステージで1、2年後くらいに放映されることはない類のDVDだろうなあと思うと揺れるものもありますが・・・・・・・来年以降にもしかしたら観劇暴走したくなるような安蘭けい出演作品が来ないとも限らないし、お金は大切にとっておきます・・・・・・。

 一番楽しみにしている安蘭けい CD-BOX「Grace」はAmazonで予約済^^;
 77期だから77曲・・・・・。77曲立て続けにとうこ歌を聴き続けるって幸せすぎて心臓に悪そう(笑)
 しかし、そんなものを満喫してしまったら、年末にコンサートにわざわざ行かなくても幸せでいられるというような気分になりそうな気がしないでもなかったりも^^;

 なんかこれらの販売で、いよいよ本当に≪宝塚の安蘭けい≫とはお別れなんだという悲しさがじわじわと来そうですね。
 女優・安蘭けいと出会える日は、もうすぐだけど。
 だがなあ、しかし。
 今、この時期にこれを言うと怒られそうだけど。
 私、キムシン(木村信司)作品ものすごく苦手なのよ(:_;) 野々すみ花ヒロインの青年館公演にも作・演出にキムシンの名を見たせいで足を運べなかったのよ。なんで、一作目がキムシンなんだよぉぉぉ(:_;) 。

 ご本人は、新聞インタビューの中で、一緒に活動したい著名演出家さんの名を大勢あげていらっしゃったようですが、私は、謝珠栄さんや荻田浩一さん演出ミュージカルを小さめの劇場で演じる彼女を見たいなあと願っております。そして前にも書いたような気がするけれど、畠中洋さんと共演してほしいの。強靭な声と熱い芝居がぶつかりあって火花が散るようなそんなお芝居が。


・現実とはならなかった出費

 2年くらい前だったかな。
「2009年7月22日の皆既日食見たいなあ」
と言ったら、夫が
「奄美には知り合いがいるから泊まれるかどうか聞いてみる」
と言ってすぐに状況確認してくれたんですが・・・・・・・・。

「宿は頑張ればなんとかできるかもしれませんが、船がとれるかはわかりませんよ。とにかく何がどうなるか全然わかってなくて大パニック状態になりそうなんです。皆、今もう戦々恐々としているんですよ」
みたいな返事だったらしい。日食に強いこだわりを持つ個人さんや団体さんというのは、2年前どころではなく動き始めているものなのね^^;

 皆既日食って見たことないから一回経験してみたかったな♪真昼なのに訪れる暗さというのを体感してみたかったし、コロナって見てみたかったの。
 でも、私、体力ないし。旅慣れてもいないし。
 だから、潔く諦めた。東京でも結構太陽は欠けるし。7割も欠ければ上等。後はお天気を祈願するのみ。

 今年4月になって年間スケジュール表をみたら、日食の日、娘は林間学校の真最中と判明し、どのみち家族旅行ってのは不可能だったわけですが。
 林間学校で先生達は生徒にちゃんと部分日食を見物させてくれるかな?

 皆既日食を生きているうちに見ることは不可能だろうけれど、2012年5月の金環食の方は見られるかしら。これは遠出しなくても良いというのが嬉しい。3年後の私の年齢といったら、私の母の享年と同じなんですが・・・・・金環食見たいから絶対負けないっ!

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