○アルメニアを知るための65章(明石書店)
明石書店のエリア・スタディーズ・シリーズの1冊。
このシリーズは、その地域の歴史・社会・文化が簡潔にわかりやすく記述されていて面白く読める。年表と地図がもっと充実していればさらに読みやすいのだけど。索引もほしい。そうするともっと高い本になってしまうのかな。価格の安さを思えば贅沢な望み?
1990年代以降についてまとまった記述があるので、ナゴルノ・カラバフ帰属問題の詳細なども含めてアルメニアについて把握するためには、今現在はこの本が一番いいかも。
ソ連・トルコなどの文献によって語られるアルメニアと、実際のアルメニアの相違などの記述もあり、歴史の本で語られることというのは、昔知ってたことと今知りうることというのがこれほどまでに違うものなんだなあ、と、しみじみ・・・・・・・。
アルメニア出身有名人、アルメニア系有名人がずらりと表記されているのが面白い。
ハチャトゥリアン、アンドレ・アガシ、アンリ・トロワイヤ、エリア・カザン、グレゴリー・ペック、シャルル・アズナブール、ミシェル・ルグラン・・・・・・・・・・。こんなにずらりと知ってる名前があがるんだなあ(@_@。他にも大勢名前があがっているけれど、一目見て私にそれが誰だかわかるのはこのあたり。
マリー・ラフォレって誰だっけ?と思ったら・・・・・・「太陽がいっぱい」に出てきた女優さんか(#^^#)
○脱「貧困」への政治 (岩波ブックレット)
貧困、格差の現場を伝える格闘する2人と、第一線の研究者3人による骨太の議論が、社会保障、運動、そして政治の本質を伝えようとする本。
論座で有名になった赤木さんの「丸山真男をひっぱたきたい」論文の主張が、新自由主義者の既得権益批判と協調してしまうことへの懸念が強く語られる・・・・・・・・。
彼の矛先が、構造改革をすすめた政治家・財界ではなく、身近にいる老人世代、既存の労組、正規雇用者などに向けられていることへの懸念。この種の批判が新自由主義者の言説を結局は助けてしまうのは、本末転倒であるが、彼の主張がある層に支持を得ざるをえない現状。それをひたすら懸念する人達・・・・・・・・・。
新自由主義というのは、貧困を語る上で、語る立場の人達にとっては乗り越えなければいけないものとしての当たり前の用語になってきているのだな。
(ある層の主張者にとっては「人権」という語が当然の蔑視・忌避すべき概念となっているように・・・・・・・・・・。)
読みながら、以前の衆議院選挙の時に不思議でたまらなかったことを思い出す・・・・・・・。「痛みを分かち合いましょう」という小泉元首相の主張に何故多くの人が喝采するのか、当時の私にはさっぱりわからなかったから・・・・・・。制度をかえることによる痛みっていうのは、真っ先にいわゆる≪弱者≫とされる層から出てくるものだし、「痛みを分かち合いましょう」という言葉は「制度かえればいろいろかわるのは当たり前だろ、ぐだぐだ文句ばっかり言うんじゃねえよ」としか聞こえなかったの・・・・・・^^; それ以外のプラスの意味合いがなんかあったの?????
「小さな政府」=「小さな権力」という誤解が、左派とされる人達の間でも起きてしまっていたがゆえとの分析に、ようやく少しのみこめたような・・・・・・・・。
経済的弱者に対する≪再配分≫は≪ばらまき≫と表現され、経済的強者に対する利益配分は≪改革≫と表現してきた小泉改革に対する批判の書。
金銭的な溜め、人間関係の溜め、精神的な溜めなどの様々な「溜め」が社会構造≪改革≫の中で法界し、相手の溜めを見極められないまま≪自己責任≫を押しつける社会ができてきてしまったという湯浅誠さんの常なる強固な主張がここでも繰り返される。
○宇都宮健児・湯浅誠 編「派遣村―何が問われているのか」(岩波書店)
2008年末から2009年初に日比谷公園に開設された「年越し派遣村」。必要とされる理由、実現に至る経緯を、かかわった様々な立場の人達が語る本。
労働組合がわずかな期間で「派遣村」をつくるために機動力を発揮したことに、湯浅氏がびっくりした。そのことにまず驚く・・・・・・。
既存の労働組合と、炊き出し支援の活動というのは、本当に本当に接点がない世界だったのだな・・・・・・・・。
既存の労働組合で長年活動をしてきた壮年男性達の座談会も載ってて、これも興味深い内容。
労働組合は炊き出し支援をしたことがなかったからやり方がわからず、ノウハウを湯浅氏に教わりやってみようということになったと12月半ばに決まった経緯。
炊き出し支援がなかった日比谷だからこそ、既に実施している場との無用な軋轢が生じないというメリットなども語られる。
そして、医療問題の深刻さも、労働組合幹部の人達がはじめて認識しているような状況なんだな・・・・・・。湯浅氏に、派遣村をつくるにあたって準備するように言われていたが風邪薬準備程度で良いと思っていた、といったようなことがものすごく正直に語られている。
労組にとってのセーフティネットといえばこれまでは最低賃金と雇用保険のことばかりで、生活保護、医療、住まい、多重債務、生活相談まで取り扱うことの大切さを知った、と。今までは、サラ金相談までは扱えないよ、にとどまっていた、と。
別立ての章では、生活相談の現場にかかわる人達の座談会。
2000年にはじまった東京都の自立支援システムの問題点が真剣に語られる。
さらには、大阪で越冬支援をずっと以前から続けてきていた生田武志さんの報告。
派遣村と同様の活動がずっと続いている釜ヶ﨑の越冬支援には国会議員もメディアも来ない現状、ホームレスと派遣切り労働者を切り分けて支援したいという発想を持つ人の多さへの懸念などが語られる。
○堤未果・湯浅誠「正社員が没落する 『貧困スパイラル』を止めろ!」(角川書店)
様々なインタビューに基づいてアメリカの貧困・格差の現状報告をする若手ルポライターの堤さんと、日本でどんどん広がっている・・・・・・・・というかその存在の認識が広がっている貧困・格差について現場からの立場で報告する湯浅さんの対談。岩波新書で良い本を出している若き二人の、今まで出てなかったのが不思議なような対談本。
中間層、大卒・高学歴・生真面目でそれなりの仕事をつとめていた人々が民営化・市場原理の大波に飲み込まれてあっというまにワーキングプアになってしまっているというアメリカのホワイトカラー層に関する堤さんの詳細な報告が、全然よその国のことではなりつつある。
社会の基盤の違いによる両国の相違の比較。
セーブティネットが企業と家庭である日本に対し、セーフティネットがNPOと教会であるアメリカ。
一応は国民皆保険ということになっている日本と異なり簡単に無保険になれてしまうアメリカ。
教会が運営する無料給食所のスープキッチンがそれなりに機能し、お金のある人がチャリティにかかわるのは当然だという認識がわりあいに普通のアメリカに対し、ボランティアやチャリティに関してのかかわり方が少なめの日本。
サービス産業において、「経験」に価値がおかれなくなってきているというのは同じなのかな。
堤さんは代表著書である「ルポ 貧困大国アメリカ」 (岩波新書)でも、貧困の中にいる人への軍隊の囲い込みがすすんでいる状況を切々と訴えているが、湯浅さんも≪衣食住と仲間≫を得られる最後の場所が若者の場合は自衛隊であり高齢者の場合は刑務所となりつつある状況について、危機感を訴える。
「どうせメディアなんて」と言わないで現場の記者が総じて良心的であることをみてよく相談して記事づくりをしてもらうべし、と訴える湯浅氏の主張を見る限り、ころげおちていくような現在の経済状況とそれへの無関心の状況を目の当たりにしていても、まだ未来はあると信じてもいいんだろうか・・・・・・・・。
○湯浅誠・河添誠編「『生きづらさ』の臨界」(旬報社)
拡大する貧困・格差のなかで蔓延する「生きづらさ」とその正体について、現場からの発言者と社会学者が鼎談を重ねる書。
現状に耐え、イヤなこともうけいれ、なんとか自分の生活を確保するしかない、でもなんでそこまでしてまで生きていかなければならないのかという感覚の蔓延。
まじめでも人間関係をうまくつくれない人、不器用な人が解雇されやすいという事実。 「器用さ」への一方的要求が社会全体として非常に高くなっているという指摘。日本の学校教育は、「生きる力」や「人間力」を言葉としてはうたっているわりには、体質的には以前とかわらず。
そして。
今日生き熱心な家庭ほど≪第二の学校≫化して、ある種の不器用さを育ててしまうような育児を親がしてしまい、子の疑問・犯行を圧殺して子の失敗回避のために先回り・先走りしてしまうという状況指摘。反抗期の娘を育てて連日喧嘩中の親としては耳が痛い^^;
学校は、労働基準法が定める労働者の権利については教えないし、憲法二十五条が真摯に語るはずのこともすっとばすし、生活保護を受けるべき状況の人が受ける権利についても教えない。労働者の権利の学習が学習指導要領にはきちんと入っていないのだという現状指摘。
(・・・・・・・・・・・・・・そういえば、労働基準法について真面目に学んだのは、大学出て就職して労組に入ってからだということを思い出す私。今もそうなのか?)
なんか、湯浅さんの関連本をあれこれ読みあさってた今日この頃。多分しばらくこれが続くのでしょう。
諦めずに邁進する彼のような若者のことを尊敬を応援してますし、転げおちる寸前でうろうろしている中間層である自分にとって、語られることは全然他人事じゃない。。
「希望は戦争」なんて発想はどんな状況になってもするつもりはないけれど、「希望は『私を即死させてくれる交通事故』」とは最近よく口にしてしまう^^; そんな人は多分、さほど少なくもないような気もする。他人の不幸を願うのは罪だから決してしてはいけないという倫理観が自分の中には一応はあるのだけど、自分に対してならその倫理観は全く無関係だから、「今、交通事故で即死できれば給付金が一番多いわ。病死はダメだわ。下手に入院が続くのもダメだわ。やっぱり即死させてくれる交通事故がほしいわ」とか、保険の給付金の資料を眺めながら考えてしまうのは、私が鬱状態だからというだけの理由ではないと思うのですよ・・・・・・・・。ひたひたと迫ってくる嫌な社会、既にずぶずぶとはまりこんでいる嫌な社会から、どうやったらラクチンに退避できるんだろうと、ついつい考えちゃう。近い将来に年金財政が確実に破綻することがわかっちゃっている現在、年金に頼る生活をするよりも前に自分の寿命がくるというのは非常に気が楽であり、私が「死にたくない」という思いで鬱になったりしないガン患者なのはそのせいなんだけど、できればもっと楽になりたいの。保険とか共済に毎月支払いができるだけ自分は恵まれている状況ではあるはずなんだけど・・・・・・・・・。
まあそんなこんなと鬱鬱している私から見ると、私なんかよりもひどい思考や経済状況に陥っている人と懸命に柔軟に根気よく接し続ける人というのはすごいなあとひたすら尊敬してしまうわけであります・・・・・・・・。
○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本
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