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2011年6月

2011年6月30日 (木)

6月に読んだ本(物語)ーーー雪乃沙衣、有川浩、神永学、本宮ことは、谷瑞恵、ジュリー・ガーウッド、アイリス・ジョハンセン

●雪乃沙衣「彩雲国物語 紫闇の玉座(上)」(角川書店)

 本編最終話の上巻。秀麗が大活躍。彼女はやはり、王さまと一緒にいない方が魅力を発揮するようで。ついでに贔屓目まざりの視点であることを思い切り自覚しつつ言いますが、秀麗って燕青との並びが一番良いですよね(笑)彼は彼女を「姫さん」と呼んでとても大事にしてくれるけれど、彼女を甘やかさないできついことはずばっと指摘してくれるし。大変実力のある人であるにもかかわらず、突っ込みどころも残しておいてくれる人だから、秀麗はそれなりに年上の彼に対して遠慮なくずばずばと物が言えるし。ずっとずっとこの並びを見ていたいなあ。王さまいらない(笑)
 でも、秀麗の王さまに対する想いを理解していて、自身の感情について不要なことは決して彼女に対して表わさない燕青の姿勢は、それはそれで素敵なんですけれどね。
 今回の巻、誰よりも秀麗のそばにいて、誰よりも秀麗の現況を理解していて、けれど秀麗を迷わすようなことは決して言わず、でも最後の最後で行動がかたまっている。そんな彼を見ることが出来て、燕青贔屓としてはとても幸せでしたーーーー♪(でも、物語のバランスを考えると、本来はこの役割、燕青でなく静蘭であるべきだったのでは?という気がしないでもなかったりも)

 イラストの由羅カイリの絵は劣化しているような気がする。燕青の顔立ちから大分、鋭さが欠けてしまったなあ・・・・・・。「魔恋の六騎士」が由羅カイリの絵でないのって、ゲーム業界的大人の事情のせいでなく由羅絵の劣化のせいなのかしら、とか、ついつい考えてしまった・・・・・・・。

 下巻は6/29に購入し、読んでいる真最中。感想は7月に。


有川浩「シアター2!」(メディアワークス文庫)

 春川巧が主宰の『シアターフラッグ』に対し、「2年間で、劇団の収益から300万を返せ。できない場合は劇団を潰せ」と条件を出して無利子で金を貸し、収支の徹底的見直しにも乗り出していった、巧の兄・春川司。協力し合いながら走りだす劇団員10名。

 1冊目を読んだ時点では、このシリーズは借りて読むだけでいいかなとか思ってたのだけど・・・・・・・買おうかな、これは。癖のある劇団員一人一人の描写もうまく回り始め、次巻で完結だなんてもったいないなあという流れになってきている。
 どんなふうに完結するのかな? この小説の世界は、後味が悪くないエンタメとして構築されているように見えるので、多分、劇団が潰されるという結末にはならないだろうなとは予想。でも、すんなり借金返済と持ち込むには、残り一冊で残り一芝居というのは決して短い分量ではないので、なんらかのごたごたはありそうだな。お芝居が終わった後に収支決算をしてみたら300万にはわずかに届かず、条件を出した司を含めた皆がどん底の気分に陥っていたら、助成金がおりて300万に届いたとか、そんなふうな展開かなあ???

 演劇という要素をこんなふうにラブストーリーの道具としてうまく使うことが出来るものなんだ♪と楽しかった。
 司と千歳の電話でのやりとりがすごく好きだな!! 鉄血宰相の司が飲んだ勢いで六歳も年下の女の子に弱みを見せちゃう姿、可愛すぎる(笑)でもこの二人、まだまだ、千歳の一方通行だな。次巻で変わりうるのか?

 ドジっ子のスズとプロ根性で突っ走ってきた優等生・千歳の、喧嘩と仲直りのくだりも好き。

 でも、言葉づかいが気になるのもあいかわらず。「それで」を「そんで」、「そのかわり」を「そんかし」といったような言い方を、今の若い人はよく使うのかな? 地の文ではなく会話文であるとはいえ、例えば、司のようなキャラ設定の人物が日常使用する語としては「そんで」というのはぴんとこないというのはある。


有川浩もう一つのシアター!」(メディアワークス文庫)

 Theatre劇団子上演舞台「もう一つのシアター!」のために有川浩が書いた脚本。当初予定では脚本担当は劇団の主宰・演出家の方だったらしいが、いろんな事情で原作者にまわってきたらしい^^;

 「シアター!2」のP12-P15で言及されている、地方都市にある高校主催のイベントにシアターフラッグが招かれて「掃きだめトレジャー」を再演した話の詳細。「三匹のおっさん」の登場人物・清田祐希も出てくる。

 「あれこれ細かいトラブルはありつつも」と「シアター!2」で言及されているけれど、この物語で起こるトラブルは、細かい、とは言い難いなあ^^; トラブル、というよりは、妨害だし。高校教師・・・・・・シアターフラッグの面々はお人よしにも許容しているけれど、この教師の行動って許容できるんだろうか?舞台をご覧になった方はどう思ったのかな?演技で彼の目的部分、教師としての熱血度がしっかり示されているから、やったことはチャラにしてもいいか、みたいにうけとめることができたのかな??? 文字だけで追ってると、とてもじゃないけれど、悪質で許したくないんだけど^^;

 でも、トラブルを機に、演出をかえちゃう巧の発想力はグッド☆ 掃きだめトレジャー初演では裏方のみで舞台に出てなかった大野ゆかりと小宮山了太に、突然、やりがいのある役(笑)をつくっちゃったのも大したもんだ。本編では、脚本家としての巧、役者に演技をじっくり演技をつけるという意味での演出家としての巧は描きこまれているけれど、舞台演出家としての側面はそれほど細かくは描写されていたわけでもないようにも見えたので、番外編の中でその部分での巧の才覚が描かれていたのは楽しかった。
 ・・・・・・・・と思いながら、註の文章読んでたら、このあたりの演出変更案は、原作者ではなく劇団演出家によるものだったのね。なるほどなるほどなるほど。


有川浩「図書館革命」(角川文庫)

 アニメDVD特典短編が収録された文庫版。
 短編「プリティ・ドリンカー」は、柴崎と手塚の、友達以上恋人未満時代のエピソード。でもはっきり言って、その二人の距離はもはや、友達の一線を越えすぎてる。なのに、恋人同士という枠にとびこめずにいる不器用な二人が可愛らしすぎる(笑)


神永学心霊探偵八雲 2 魂をつなぐもの」
○神永学「心霊探偵八雲 3 闇の先にある光」
○神永学「心霊探偵八雲 4 守るべき想い」
○神永学「心霊探偵八雲 5 つながる想い」
○神永学「心霊探偵八雲 6 失意の果てに」
○神永学「心霊探偵八雲 7 魂の行方」
○神永学「心霊探偵八雲 8 失われた魂」
○神永学「心霊探偵八雲 SECRET FILES絆」
○「心霊探偵八雲赤い事件ファイル」

 図書館で角川文庫版を予約してるのだが、何カ月待つことになるかわからないので、最初に出た文芸社の単行本版を一気に借りて読んだ。

 非常にさらさらと読めるライトノベル。
 キャラ設定が、少女読者をも取り込みうる少年漫画。
 トラウマを背負った赤い眼を持つ青年。
 彼の傷を癒すことになったトラブル運び屋の彼女。
 心の傷をおった甥をひきとって大切に育てたお坊さん。
 母親に殺されかけてた彼を救いその後も彼を気にかけ続ける超真っ直ぐな猪突猛進刑事。
 猪突猛進刑事にややずれた憧れの感情を抱き続ける部下。

 青年・八雲を暗黒の感情にひきずりこもうとする者達がいるけれど、晴香との出会いを経たことで、それ以外にも自分を気遣い大事に思い続けてくれる存在がきちんとあったことを八雲は自覚していく。だから、黒い思いにひきずられることなく、霊を見る能力を使いながら数々の心霊がらみの事件を本来持っている優しい心で解決に導いていく。

 私よりも先にいつのまにかこの小説を読んでいた娘は、晴香があまり好きでないなあと言ってたけれど。
 私は嫌いじゃないな、この子。いかにも少年漫画のヒロインといった感じの、迷惑でやかましいトラブルメーカーじみた雰囲気もなきにしもあらずなんだけど、無神経な明るさ100%といった雰囲気ではない。彼女には彼女なりの傷とトラウマがある。長い年月、それを隠して人に遠慮しながら嫌われないように気をつかいながら生きてきたのに、突然、八雲にその部分に踏み込まれる。霊を見ることが出来る彼が霊の言葉を伝えたことにより、突然救われる晴香。それでもすぐには生き方や考え方や感じ方をかえることは出来なかったけれど、少しずつ少しずつ彼女は優しい強さを身につけて成長していく。

 想いを自覚しているけれど彼の想いはよくわからないまま彼のそばにいるヒロイン。口ではいろいろとひどいことを言うけれど、危険な時には彼女を守るために自分を危険にさらすことも躊躇しない不器用な優しさの彼。少年漫画にありがちな並び。完全に両思いであることが、傍から見れば丸わかりだけど、本人達の意識では≪おつきあいしている≫状態ではないという、亀の歩みのような若い恋。それがどういう方向にいくのかなんてわかりきっているのでもはやどうでもよかったりもするけれど^^; 二人を含めた彼らがどういう決着点に向かって行くのかというのは、じっくりと見守っていきたいなとは思う。


本宮ことは「聖鐘の乙女 水晶の笛と闇の時計」(一迅社)

 ネイトを意識しまくりだが恋心についてはまだ自覚に至ってないアティ。
 アティのぎくしゃくした態度を悪い方向に誤解してつんけんしているネイト。
 すれ違いラブストーリーになってる(笑)
 ええと、このシリーズの本筋ってなんだっけ、謎ってなんだっけ?という部分が、もはやどうでもよい状態で、このアホな二人の不器用っぷりを眺めて楽しんでる。

 
○谷瑞恵「伯爵と妖精 あなたへ導く海の鎖」(コバルト文庫)

 そろそろ、がしがし展開していくのかと思いきや。
 このシリーズは一体何度、三歩進んで十歩下がる♪ と、歌いたくなる気分にさせてくれるのやら。


○ジュリー・ガーウッド「広野に奏でる旋律」(ヴィレッジブックス)

 ヒストリカルロマンス。原題「Shadow Music」

 ヒロインはイングランドの貴族の娘、美しい乙女ゲイブリエル。イングランド王ジョンの勅命によりハイランド氏族のもとへ嫁ぐことになった。しかし、結婚相手が何者かに殺され、さらには彼女を狙う男たちの陰謀によって窮地に立たされる。そんな彼女の前に、マクヒュー氏族長のコルムが現れ、ゲイブリエルの無実を証明するために彼女の保護を申し出る。

 弓を巧みに操れる、気が強いお転婆プリンセスと、やや強引な男の組み合わせという、お約束パターン。

 ジョン王というのは、基本的には悪役に位置づけられるというのも、この時代を描く娯楽小説ではお約束なのかしらね。


○アイリス・ジョハンセン「灼熱の悪夢から逃れて」(ヴィレッジブックス)

 現代、サスペンス物。
 最近のサスペンス物だと、悪役国家は北朝鮮だったりイランだったりするのね。
 って、感想それだけなのか!?


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2011年6月29日 (水)

6月に読んだ本(物語以外)---上野千鶴子、鎌田慧、樋口健二、佐藤真由美、イラク戦争

○上野千鶴子「不惑のフェミニズム」(岩波現代文庫)

 40年間、いろいろな雑誌などに上野千鶴子が書いてきたフェミニズムがらみの短い文章を、一冊にまとめた本。フェミニズムをとりまく環境も、1970年代、80年代、90年代、2000年代と、大きく変わってきている。その中での≪時局発言集≫と、著者は位置づけしてる。

 私が上野千鶴子の文章に出会ったのは80年代。メディアでは大きく誤解されがちだったり揶揄の対象であったりしたウーマンリブについて、丁寧に解説している文章を読んで、一気に関心を抱くようになった。それ以来、雑誌などの文章を全部追っかけたりはしてないけれど、著書は出るたびにとりあえずは目を通すようになったかな。アグネス論争が、女と女の戦いみたいな不毛な喧嘩になりかけ、それを外野で男性が揶揄しながら面白がるような嫌な構図になりかけていた時に、子連れ出勤論争として強引に主題をねじまげたのも、非常に興味深い仕事だった。
 「コトバを変えれば世界が変わる」という文章は、97年に電通の冊子に書かれた物らしい。セクハラ、買春、不払い労働、性的虐待といった語の登場と利用によって、それまで見えていた世界とは全く異なる視座から違う世界が見えるという図の解説。セクハラなんて、実にまあその通りの語だったよなあ、と思い出す・・・・。それまで女性が言葉にうまくまとめられない形で抱えてたモヤモヤしたいらだちを、こんなふうにすっきりと解説できるものなんだ、と。

 2000年代になって、フェミニズムへのバックラッシュが起こってきた時に、様々な形で起きた行政の介入に反対運動を起こした際の詳細な報告も、いくつも載っている。メディアではあまり大きく報道されないことが多かったため、まとめて収録されたこれらを興味深く読んだ。

・国分寺市と都の共催事業だった人権講座が都の介入でキャンセルになった件。講師候補に上野千鶴子の名があったのが理由にあった件。
・福井県図書撤去事件
・つくばみらい市主催のDVをテーマにした講演会の直前キャンセル事件
(DV防止法に反対する団体が市役所前で拡声器を使って抗議する騒ぎを起こしたため、市の担当者が「混乱を招く」として中止。)
・堺市立図書館でのBL本排除騒動

 このところ、フェミニズム関係の著書をあまり読んでなかった私、「男女共同参画」という行政用語が英語の「gender equality」を「男女平等」と訳すことを避けたいという思惑ゆえにうまれてきたらしいという推察もはじめて知る^^;


●鎌田慧「日本の原発危険地帯」(青志社)

 「日本の原発地帯」のタイトルで、1980年代に最初に出版されて以来、あちこちの出版社で改訂されながら何度も発売されてきていた本。

 マガジン9で開催の学習会に行ってみたかったのだけど時間の都合がうまくつかず、ではせめて本を読もう、と思い、今年の事故の後で発売された改訂版を購入して読んだ。

 都心から遠く離れた過疎の町・村にある日、原発建設の話がやってくる。原発の名を出さない調査活動。そこで土地を持って生活している人をとびこえた所で、いつのまにか建設話がすすんでいく。反対の活動があっても、お金が無い家、苦しい家から少しずつ切り崩されて行く。一度受け入れてしまった後は、二基、三基も一緒という姿勢になっていく。

 著者は原発がらみの各地を取材して、何故その地の人々が原発を受け入れることになったのか、電力会社や自治体とどういった経緯があったのか、声を拾っていく。大金ばらまき、分断工作といったやり方は大体どこも同じ。原発に限らず、昔からかわらないそのやり方。


○樋口健二「これが原発だ カメラがとらえた被曝者」(岩波ジュニア新書)

 シンポジウムで樋口さんのお話を伺い、樋口さんのご本はとりあえず全部目を通すことに決めた。人に対して熱く、人との触れ合いに対してめちゃくちゃ熱いパッションの人であることが、そこここで伝わってきたから。

 原発で下請け労働をするというのがどういったことなのか。そのことにずっとこだわり続けてきた著者の何十年もの日々。通い続け誠意を持って聞きとりを続けながら信頼関係を勝ち得ても、患者家族とはそこまではいかなかったりもするがゆえに起こってくるもどかしさ。そんな中でも、少しずつ少しずつ、著者は、使えることになっていく写真を撮り続けていく。そして、患者となってしまった人達の怒りを自分自身の怒りとして共有し続けて行く何十年もの日々。原発内部を撮ることの難しさ、フリーのジャーナリストへの活動にかけられる圧力やそれゆえの失敗。うまくいかないことの方がはるかに多い中で根気よく続けてきた樋口さんの人生の語りにもなっている。


○樋口健二「フォトドキュメント 原発 樋口健二写真集」(オリジン出版センター)
○樋口健二「原発 1973年~1995年」(三一書房)

 手当たり次第に借りてみた写真集だったけれど。
 後者は前者を、加筆修正したりして再度出した写真集だった・・・・・・・・。

○樋口健二「アジアの原発と被曝労働者」(八月書館)

 1990年刊行の本。

 日本国内の原発労働者の労働実態の実状だけでなく、海外、特に、日本とかかわりの深い、台湾や東南アジアの状況をも追う著者。そこには、日本の企業が海外進出を目論みながら、過去のマイナス資産をあえて無視して収益につなげていこうとしている実態がある。
 台湾で、核のゴミ捨て場と化した状態の島。
 三宅島と同じ広さの島に、ドラム缶につまった放射性廃棄物が年々増えていく。
 電力会社は当初は、魚の缶詰工場を作るのだとして住民を騙していた。

 所かわってフィリピン。ルソン島のバターン原発。
 計画中断で、使われなくなった原発。
 2010年にも、この原発をどうするかが議論の俎上にあがったらしいが・・・・・・・
 ここにも、マルコス関係者やアキノ関係者との経済的癒着から逃れられない日本企業の姿があちこちに透けて登場する。

 そしてさらに所かわって。
 マレーシア。ブキメラ村。
 日本の企業がマレーシアで合弁企業をつくり、放射性廃棄物を不法投棄したために地元住民が健康被害をうけ、周辺地域が汚染される構図。


○新潟日報社特別取材班「原発と地震 柏崎刈羽『震度7』の警告」(講談社)

 2007年7月16日に中越沖地震によって東京電力柏崎刈羽原発で動いていた原子炉がすべて止まった際の、続発する被害やトラブルの検証。


○坂東眞理子・上野千鶴子「女は後半からがおもしろい」(潮出版社)

 「女性の品格」の坂東眞理子&「おひとりさまの老後」の上野千鶴子が、各々の人生を振り返りながら女の一生を語り合う対談本。
 坂東眞理子は、東大を出て国家公務員になって、30過ぎまでちゃん付けで呼ばれる環境の中でもけんけんせずに、こどもも育てながら働いてきた人。
 上野千鶴子は、京大を出て、シンクタンクでのバイト等を経て、研究者としてなんとかやっていけるようになって、80年代のフェミニズム流行の波にのっかっりながら、おひとりさまの生活を続けてきた人。
 全然違うようでありながらも、自身の人生を振り返って、語れるものを沢山持っているという意味では、非常に似た二人であるとも言えるかも。勝間和代批判とかしてたりするけれど、人生勝ち組であるという意味では実は似たりよったりの部分もあるんではなかろうか、上野さんは自分のことを負け組に分類しているようだけどさ。

 自身の人生を振り返ってあまり語れるものを持ってない、語りたくないことは山ほど持っている私は、苦い気持を持ちながらこの本を読むことに・・・・・・。やっかむつもりはないけれど、「あら、私とは全然違う世界の話ね」といった感じかな。


○佐藤真由美「恋する世界文学」(集英社)

 男と女、恋愛について気軽にあれこれ語りながら欧米古典文学を紹介しましょう♪という本。とりあげられている作品は、「ティファニーで朝食を」「マノン・レスコー」「自負と偏見」「シェリ」「ブラームスはお好き」「危険な関係」「女の一生」「アドルフ」「月と六ペンス」「ロリータ」「赤と黒」「武器よさらば」「嵐が丘」「奥さんは小犬を連れて」「アンナ・カレーニナ」。

 若干、あらすじを語りすぎている感もあるので、欧米文学読書の手引きとして手にしたなら、走り読みの方が良いかもしれない^^;

 ヘミングウェイの作品の男って物事を考えてない、フランスの小説では知性と色気が殺し合っていない、等、ずばずばと楽しい斬り方があちこちに。

「ヘミングウェイを読むのは、気持いい。その気持よさは『考えない』ところにある。」
座布団一枚(笑)


○「イラク戦争を検証するための20の論点」(合同出版)

 検証、とは言っても、執筆陣を見る限りでは、まず批判ありきというのは明らかではあるんだけど。
 検証すらされずに過去のものとしていこうとする流れには納得できなくはある。
 大地震と福島第一原発の事故のために、社会への関心の視線の流れが国内に限定されるばかりの昨今。でも、日本がイラクでの戦争に大きくかかわったこと、そして、劣化ウラン弾や白リン弾の問題に大きくかかわっており、さらには放射性物質がイラクの地でもたらした危険の問題が現在の日本にも似たものとなりそうであること。

 忘れてはならない、しっかり検証しなければいけない問題である。


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2011年6月28日 (火)

アブラキサン四回目と、前回点滴からの状況

◆前回(6/7)点滴後の副作用記録

点滴当日  汗が多め
点滴翌日  イメンド飲み忘れた。が、その日、飲み忘れには気づかなかった。
点滴翌々日 点滴翌日に飲むはずのイメンドを飲む。
      全身倦怠感。起き上がるのが辛い。
      夜になってから、手首の先、足首の先が悲鳴をあげはじめる。
点滴三日後 肘の先、膝の先が悲鳴をあげてる。痛い痛い痛い。
      だるい。めちゃくちゃだるい。起き上がれない。
      イメンドをまた飲み忘れた。

 もしかすると、イメンド無しでもいけるかな?
 たったの3錠で自己負担額が2000円超えという笑っちゃうような高さなので、飲まずにいけるのであれば飲まないですませたい。

 点滴2、3日後の手足の痛さは、今後スケジュールを組むにあたって織り込んでおいた方がいいかもしれないな。だんだんひどくなっていくの?
 歩くために床を踏みしめるたびに、
「人魚姫はこんなふうに辛かったのかしら?」
とか考えちゃうような痛さだった。

 何日かたったら、手足の痛みとか全身倦怠感ってなんだっけ?という状態に戻ったけれど。
 

◆胸水を抜く(6/21)

 病院に行って「また息が苦しいんです」と言ったら、今回はレントゲンも撮らずにいきなり胸水を抜かれるということになった。

 1050cc。意外と少ない?

 レントゲン撮影無しだと、支払いは三桁金額ですむからありがたい。

 夜、やはり体温が38度にはねあがった。胸水を抜くとその日の晩は熱が出るというのも、織り込んでおいた方が良いかなあ・・・・・・・。翌朝には37度台前半に下がったけれど。


◆しんどい観劇(6/22)

 帝国劇場に行ってお芝居見て帰ってくるだけで、へたばった。最寄駅から家までタクシーで帰るなんていう無駄遣いはしなかったけれど(本屋に寄るという用事もあったし)、相当朦朧とした状態で歩いていたかもしれない。≪真夏日+エアコン節電≫の影響も大きいかもしれないけれど。

 次回観劇は約一か月後。夏場は観劇増やさない方がいいかなあ。7月は1回きりの予定だけど、8月は3回。9月は今のところロミジュリ2回と娘と一緒に行くワカドクロ(2011年版「髑髏城の七人」)1回の予定だけど、ワカドクロはあと一回くらいは見たいってのはある。

◆痛み増加

 胸部の痛みが増して、鎮痛剤が明らかに足りないという自覚も増した。
 米10キロ2480円の特売をチラシで見てスケジュール帳面に書きこんでたのに、その日は痛みが辛くて結局買物には行けず・・・・・・。


◆本日の診療

 点滴針は今回も右手(術側)の甲に入れられた。

先生「髪、もうかなり抜けた?」
私 「ええ、かなり」
先生「つるっぱげになった?」
私 「いえ、まだそこまでは。」

 繊細な若い女性に対して、なんという聞き方をするんですか!?(笑・笑・笑)

 まあ、いいんですけれどね。私、現在の主治医のこの先生、嫌いじゃないし。ご本人の普段の性格のためなのか、慣れの問題なのかは知らないけれど、カルテだけじゃなくて、患者本人を見ているなってのがそこここでなんとなく伝わってくるので。

 ホントに嫌だと思ったタイプの先生については、ちゃんと避ける行動とってます^^;高圧的態度のお偉い立場だったA先生については、A先生の外来診療の曜日を絶対に避けるようにしたし。いかにもルーティンワークこなしてます的態度だったペーペーB先生の時は看護師さんに
「私が○曜日に受診に来たら、B先生じゃない先生の受診にさせて下さい」
とお願いしたし^^;;;; 看護師さん、理由も尋ねずに
「わかりました」
とOKしてくれて、
「なんか面倒かけたりとかないですか?」
と尋ねたら
「いえいえ、全然。大丈夫ですよーーー」
と答えながら手の甲にマジックペンでメモしてた。何年前のことだっけ?

 検査結果を聞いたり今後の治療方針を決めるってのは、この先の人生がかかっている局面だから、
(この人の前で、痛いとか辛いとか苦しいとかいう言葉を絶対に口にしたくないな)
と思わされてしまうタイプの先生は、避けて通るようにしとりますのだ。

 鎮痛剤は増やしてもらった。

 待合室の掲示板を見てたら、タキソテール点滴やナベルビン点滴初期の頃にお世話になってたC先生が戻ってくるような掲示があった。今みていただいている先生は当時は外来は土曜のみ担当だったので、主治医は今の先生だけど点滴治療は平日のみだからC先生にお願いという形だったんだ。点滴の血管確保はとても上手だし、喋り方が非常に豪放な感じで好きだったな。懐かしいな。外来では今の先生の所にずっと通い続けるつもりだけど、入院とかしたらまたお世話になることもあるかもしれないな。


◆注射室での本日

 読む本は川原泉の新刊漫画と今年出た雨宮処凛の本。
 聞く音楽はラベルのピアノ曲。
 首の下には、自宅の冷凍庫から持参した大きめの保冷剤にミニタオルを巻いた物。


◆本日のお会計

 病院の会計と薬局の会計で支払った金額をプラスすると、六桁金額。
 まあ、後でいくらか戻ってはきますけれどね・・・・・・・・・。6月にアブラキサンを2回点滴だから、高額療養費制度でお金が戻ってこないわけがないのだ^^;
 
 CTとって効いてないとかいう結論になったりしたら、泣くよりも笑っちゃうかも。
 笑うことになったりして。
 胸水は相変わらず何度も抜いているし。
 あ、効いてないという結論になったら、7月はアブラキサン代金は不要になるということではあるのか? それはそれで嬉しいかも(笑) いや、これは笑うべきところではない?^^;
 でも、そういう時に、泣く、という行動にはならないことが絶対確実な私なのであった。だから、「つるっぱげになった?」なんていう聞かれ方をされちゃうんだな、きっと。


◆点滴当日夜

 汗を多めにかいた以外には普段と特にかわったことはなかった。
 汗はすごかった。暑いから、というレベルではないのだ。でも制汗スプレーを頭や顔にぶっかけるわけにはいかないし、困ったもんだ。

 結局、下痢で大変だったのは、一回目の点滴の時だけだったかな。はじめての薬って、一回目で体がびっくりすることがよくあるということなんだろうな。
 その時の下痢にびびったので、それ以来、鎮痛剤と一緒に処方の下剤には全く手をつけてない。その影響もあったりするかしら?

 それよりも、点滴三日後の前後あたりの手足の痛みと全身倦怠感が怖いかな。

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2011年6月26日 (日)

「JIN」が終わっちゃった

 「JIN-仁-」が終わってしまった。

 単に
「内野聖陽さんが出るなら見よう」
という単純ミーハー動機で見始めたドラマだった2年前放映の「JIN-仁-」第一期。原作は未読だった。存在すら知らなかった^^; 絵柄があまり好みではなかったので、原作予習せずに白紙の状態で見よう、ということにした。漫画の場合、小説と違って、図書館で借りて予習するということも出来ないわけだし。

 見始めてみたら、うっちーの坂本龍馬がどうこうよりも、設定が面白くて、お話自体がめちゃくちゃ面白くて、主要出演者のお芝居も皆とても良くて、夢中になって次回を楽しみに待つドラマとなった。
 とはいっても、医療シーン、手術シーンは正視するのが苦手なので、録画は残さなかった。録画保存こそはしなかったけれど、こんなに毎回楽しんだドラマは久しぶり。

 主役・南方仁を演じる大沢たかおの繊細な表情が好みだった。医者としてはとても優秀な熱血漢であるにもかかわらず、日常生活ではネジが一本も二本も抜けている感じ。力みの無い、その、ふっと抜けた感じがすごく良かったなあ。咲さんへの接し方、野風さんへの接し方。一歩間違えれば悪気はないかもしれないけれど優柔不断でヤな奴よね、という印象にもなりかねないのに、独特のほんわかした感じ、ふわっとした感じで彼女たちの想いに接しているから、すごく魅力的で、素敵な女性達に慕われるのが納得できた。揚げだし豆腐へのこだわり方なんかも、この人ならではの独特の空気が。はまり役だったと思う。

 咲さんを演じる綾瀬はるかの健気で真っ直ぐな可愛らしさが好みだった。この種の健気な可愛らしさって、演じ方次第でうざったくなりかねないけれど、綾瀬はるかのお芝居がつくりだす真っ直ぐな芯のある可愛らしさは、同性からも愛される類の可愛らしさだった。野風さんが咲さまの幸せを心の底から願うのは当然だ。

 野風さんを演じる中谷美紀。もとから好きな役者さんだった。凛としたかっこよさ。強さと弱さの見せ方のバランスが絶妙で、凄みのあるお芝居をする人。
 咲さんと野風さんのバランスもすごく良かった。二人とも役にあってて、とても魅力的で、存在感が良い意味で拮抗していた。ダブルヒロイン物でこれほどまでにバランスの良い作品って滅多にないのでは?

 咲さんの母親を演じた麻生祐未が、いい感じで老いを演じることが出来るようになっているということにも驚かされた♪

 そして最終回。
 高視聴率ドラマの最終回に過剰な期待はしない、二年前の第一期ラストシーンみたいにわけわからないシーンで放置するのではなく適度に伏線や謎を回収してくれればいいわ、と、ちょっと斜に構えた状態で見始めたのだけど。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・不意打ちがきた。ものすごく感動してしまった。ラスト三十分、どきどきして目が離せなかった。

 もともと、私は、時を超えたラブロマンスというのが大・大・大好きなのだ。ロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」とか梶尾真治の「クロノス・ジョウンターの伝説」「時尼に関する覚え書き」とかジャック・フィニィとか。「時をこえた少女」のラストも好きだし。去年放映されたTVドラマ「10年先も君に恋して」にも夢中だった。SF的に細かいタイムトラベルゆえの矛盾点にはあまり突っ込まず、タイムトラベルゆえに起きてくる幸福感や切なさの部分を味わうのが好き。

 そして、ハッピーエンドよりも、切ない物の方がどちらかというと好みかな。形としては大団円ではないけれど、だからこそ、真摯な想いの部分が浮き出てきて、この想いがこの世界に存在したというそのこと自体が幸せなことなのだと思わせる。そんなふうなしみじみとした切なさがとても好き。

 だから、南方先生が明治時代の咲さんのもとに結局は戻れなかった展開は哀しかったし、びっくりもしたけれど。
 それ以上に。
 戻れる展開よりもこちらの方が、想いが浮き出してきている。この関係性があったがゆえのあたたかな幸福感。悲しさ以上に残ってくる幸せな思い。
 咲さんの中で、南方先生に対する記憶はほとんど消えてしまったけれど、記憶がなくなっても想いの部分は鮮やかに残っている。
 手紙を読む現代の南方先生と、手紙を書く明治の咲さん。その向かい合う構図。

 咲さんと野風さんという二人の女性のそれぞれの想いが、共になって、現代の南方先生につながっていくのもいい展開。
 野風さんは命がけの出産によって、自分の血を受け継ぐ者が未来の南方先生と出会っていく運命の可能性をつくりだした。
 咲さんは、医師としての絶え間ない努力および恋仇であるはずの野風さんへの真摯で誠実な触れ合い方によって、時を超えて想いを南方先生に伝えた。野風の血を受け継ぐ未来という女性は、咲の思いの部分を受け継ぐ女性でもある。未来は野風であるだけでなく咲でもあったという未来改変に感動した。

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2011年6月22日 (水)

「風と共に去りぬ」帝劇版と原作オタクの原作みーはー話

 帝国劇場で上演中の「風と共に去りぬ」を、2階B席上手側から観劇。

 舞台そのものにはあまり期待せずに出かけるという失礼な観客の私だったけれど、意外と^^;楽しんできた。

☆楽しめたポイント。

・舞台装置

 1幕のクライマックスであるアトランタ脱出のシーン。炎上が舞台的にちゃんと盛り上った雰囲気になってる(@_@。 こんなふうに出来るんなら、なんで、「レベッカ」の終盤でこれをやってくれないんだ?

 舞台美術のスタッフに松井るみの名を見ると、なんだかとても安心する(#^^#)(「イーストウィックの魔女たち」の乳房装置にはびびったけど)

 タラの農園の赤い土の広がりを舞台上に現出させている感じも良かった。

・音楽の良さ

 映画音楽流用はないけれど、醸し出されている雰囲気は似ているなといった曲調で、アイルランド移民の農園生活の土の薫りを感じさせる。


・スカーレットのレットとの関係性、スカーレットのアシュレーとの関係性がかなり丁寧にバランス良く描かれているように思われたこと。三人の配役がキャラ違いでなかったことが大きいかも。米倉涼子は、テレビドラマで見た印象では、さほど好きなタイプというわけでもない女優さんだったんだけど、スカーレットを可愛げのある女性として描出する分には持ち味が合ってたんじゃないかしら・・・・・。


☆原作との違いでびっくりした部分

 ゲティスバーグの戦いの後、休暇で帰省したアシュレーが戦場に戻る時。
 スカーレットに、メラニーを守ってほしいと頼む場面。
 この舞台のアシュレーってば、戦後の混乱の中でもメラニーを守ってくれと言うのだ。戦後の混乱でも守れと。そこまで言うか。鬼アシュレー(笑)原作アシュレは、守ってくれとは言うし、この戦争は負けるとは言うけれど、戦後の混乱の中でも守ってくれなんていう超具体的な言い方はしない^^; 

 他にもちょこちょこあったけれど、一番びっくりしたのはそこかな^^; 


☆原作オタクの日々

 「風と共に去りぬ」という作品にはじめて触れたのは、テレビで放映されたヴィヴィアン・リー主演の映画版。原作をはじめて読んだのは、中学生の頃。その後、何度も何度も読み返した。その後、宝塚歌劇でも何度か舞台を観た。帝劇ではミュージカル版を観た。映画はテレビでも映画館でも、何度も何度も見た。映画や舞台を見るたびに原作を読み返すので、もう何回読んだことやら???

 恋愛小説としては、最初は、スカーレットとレット・バトラーの関係性を軸にする物語とうけとめていたのだけど、何度か読み返しているうちに、アシュレ・ウィルクスという人の存在がとても面白く思えてくるようになった。
 原作では二章目で、スカーレットの母エレンの過去の恋の思い出が描かれる。そして、アトランタからタラに戻ったスカーレットは、母が死ぬ間際に叫んだ名が娘の自分の名ではなく父ジェラルドの名でもなく、フィリップという誰だか知らない男の名であったことをディルシーという奴隷から聞かされる。フィリップというのが誰でありエレンとどういうつながりがあったかについては、マミーは絶対に語るまいとしている。
 このエレンの抱く過去の恋への執着の描写が早い段階ではっきり明かされているのは、スカーレットが抱くアシュレへの執着の描写とリンクさせる意図があるように思われる。作者はエレンがフィリップに対して抱いた恋は夫ジェラルドに対して抱いた気持と異なり、唯一の本当の恋であったように描いている。生活や人生を共に出来ない、愚かさもあってゆえにこそ燃えあがってしまう、かなわないからこそ燃えあがってしまう本物の恋。ということは、作者はスカーレットのアシュレに対する想いもまた、本物であることを否定はしていない。そして、本物であったからこそまた、レット・バトラーの嫉妬心もかきたてるわけだし。単なる夢見がちな女学生の想いなんてものであったりしたら、レットはあれほどまでに嫉妬で狂ったりはしない。スカーレットのアシュレへの想いが本物の恋愛感情であったからこそレットは耐えられなかった。

 エレンの恋の描写が省略されてしまってエレンが単にスカーレットの母・完全無欠な女主人としてのみの描写にとどまると、スカーレットのアシュレへの恋の部分も印象不足になってしまうようで残念だな。まあ、ダイジェストになってしまう映画や舞台に、そこまで要求するのは無理だろうけれど。

 スカーレットはレットの前では、正直でいられる。飢餓の日々の記憶がつくりだす悪夢の話も打ち明けられる。一方のアシュレは、スカーレットを本当は高貴な気性の人で他のどの男も知らないが自分だけはそれを理解しているのだと言う。だからスカーレットは、彼の前では高貴な気性の自分でありたいと願い努力する。頼れて安心できて正直でいさせてくれる男。その人がいるからこそ自分は高くありたいと願ってしまうといった男。どちらの男も、愛の相手としては重要だなあ。

 そしてそれを思うと、レットって本当に馬鹿だわ。正直でいられる、悪夢の際に甘えられる相手であるというのは、アシュレに対する絶対のリード部分だったのに、みすみすそれを手離すんだもの。ボニーの暗闇恐怖症に関してスカーレットと対立した際に、スカーレットが悪夢に脅える姿をせせら笑う原作レット。あれじゃあ終わるよ。二人の関係の破綻は、一方的にスカーレットが悪いわけじゃないわよ。と、若い頃は特に思わなかった感想を今はレットに対して抱いている私・・・・・・・。

 悪夢の描写はこの舞台でも綺麗に抜けてましたね、そういえば。
 あの飢餓の悪夢は、戦後のスカーレットの性格をつくりあげる上で、きわめて大きい要素なのに。

 高校生の時、読書感想文への先生のコメントで、「読みこみが足りない。もっと重要なテーマがあるはずだ」と怒られたけれど、男女の描かれ方をどう読むかってのは「風と共に去りぬ」においては極めて重要なテーマですよね(笑)南北戦争や奴隷制度への語り口についても、勿論いろいろ思うところはあって、その部分も年齢や時代と共に感想が揺れ動いたりしますけれどね。「『風と共に去りぬ』」のアメリカ」(岩波新書)は、原作小説の中に散りばめられた黒人蔑視と差別感情、それらに複雑な思いを抱きながら原作小説や映画に関して言葉少なになるアメリカの黒人について真正面から分析している必見書だったな☆ そうした大いなる欠点も含めて、「風と共に去りぬ」という世界を何度も何度も読み直すのが楽しい。

 何度読み返しても、わかりづらいなあと思ってしまうのがメラニー。わかりづらいなりに私がうけとるメラニー像は、映画や舞台で描かれるものとは違うんだけど。
 メラニーは、この舞台においても、完全無欠な女性として描かれているのですね・・・。私は、映画版も含めて、その種のメラニーの描き方はあまり好きではなかったりする。原作メラニーってところどころ、結構とんでもない部分もあったりする。タラでスカーレットと軽く悪態つきあったりとか、ピティパット叔母さんへの容赦なさとか。これはひどい、ひどすぎる、と思ったのが、スエレンとウィルの結婚を機にニューヨークに移り住もうとしたアシュレの決意を翻させるところ。スカーレットがアトランタの製材所を任せるという形でアシュレの人生を滅ぼすにあたって、メラニーが積極的に味方しちゃってる^^; 私は、メラニーは単に、性善説を信じる気質で、育ちが良くて文学的教養があり、でも最大の美点は努力家である女性なんだと思うのだ。善良ではあるけれど、娘らしいきゃぴきゃぴした感も、内気さの底に見え隠れしていると思うのだ。邪悪や悪意に関しては無知だし、時代感覚、政治感覚といった部分は夫まかせだったりして、その部分では彼女自身の思考はかなり浅い。そばにいたら結構うるさくてうざいと感じさせられそうな部分もあったりする。でもそういう不完全な部分も含めて面白い女の人だと思ってるんだけど・・・・・・舞台やら映画やら他作者の続編やらを読むと、メラニーって私の受け取り方とは違う描かれ方であることが多いなあ。

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2011年6月20日 (月)

エンタメ子育て備忘録

 子育ての愚痴というのは言い始めるとキリがなく、なんでこんなもん始める酔狂な気分に陥ったんだっけ?という後悔にかられることは一度や二度や三度でも十度や二十度や三十度でも百度や二百度でもないくらい何度もあったりするけれど。

 そんなもん愚痴っても別にいいことあるわけでもないので。

 子育てで面白かった、笑えたことの方を記録に残しておくことにしましょう(笑)

 うちの娘がこんなこと言った、娘とこんな会話した、みたいな話を書くと、たまに友人からの受けがよかったりするので、過去のアホ話メモをいろいろさらしてみます。ハガレンBL話とか大河出演者話とか、まああんな感じです。

 子育てはエンターテインメントだなあ、と思ったりする今日この頃(笑)
 こんなに笑えるもんだとは、思ってもみなかった。
 目の前にいるのは自分とは全く別の奇人変人。でも何か、自分と妙に似ているというか、妙に自分が与えたとおぼしき影響を見るというか。


1)中大兄皇子→天智天皇

 娘が小学校六年生の夏頃の会話。

私「中大兄皇子はその後になんていう人になったの?」
娘「えっと、ええええと・・・・・・明智光秀?」
私「・・・・・・・・どこのSFだよ? そのネタでなんかタイムスリップ物の小説を考えてちょうだいよ」

 「智」という字以外に天智天皇と明智光秀に共通点なんぞあるもんか。

 中学受験をわずか半年後に控えている時期だったので、こいつは洒落にならんと思いはしたが、メモは残した(笑)

 あの頃は社会のテストでは≪琶琵湖≫とか≪養食漁業≫とか≪豊富秀吉≫といった珍回答で、しばしばハハを悩ませてくれたものだった・・・・・・・・。


2)娘が小学六年生の時の漢字の宿題

 習った漢字を使って文を作るという学校の宿題。
 ノートを見せてもらって眺めていたら、微妙にへんてこな文章が並んでいた。
 なんか、家庭とか親子会話がすけて見えるよね、これ・・・・・。

「劇」を使った文
『劇場内でのご飲食、カメラの撮影はかたくお断りします』

「朗」を使った文
「上橋菜穂子さんの精霊の守り人を朗読していたらあっというまに三時間もたってしまった」

「暮」を使った文
「日が暮れる前に帰ってきなさいと言われたけれど、夏至の日は7時ぐらいまで遊んでいていいのだろうか」

「勤を使った文
「勤めていた会社を辞めて作家になろうと思うが、まずは地道にお金を貯めていくところから始めよう」

「私」を使った文
「私立の学校は公立の学校より学費が高くついてしまう」

「存」を使った文
「この店の野菜は安いが保存状態があまり良くない」


3)娘が小学六年生の時の国語の宿題

 学校で出た国語の宿題は、「内容」「新刊書」「制度」「保障」「仁術」「著作者」「仮装」「高層」「住宅」「城下町」を使って文章を作れという問題だった。

 パズルみたいで楽しそうだけど、娘は
「ママが書く文章は変だから何も言わないで!自分で考えるから!」
と宣言。
 そして、出てきたのが以下の文章。

「医は仁術だと説いた内容の新刊書が今日発売された。
 著作者の私は、地方に住宅をおいている。
 城下町にある出版社は高層ビルの32階に入っている。そのビルの前で仮装ショーが開催されていた。
 さて、私は子どもの時に、のどに塩ジャケの骨がささったことがある。すぐに病院に運ばれて骨を取った。すると、なんとか制度がどうとかといって、医療費の30パーセントが保障された。今あんなことがあったら出版社に迷惑をかけるので気をつけよう。」

『医は仁術であるという内容の本と、城下町には高層の住宅は建てるなという制度をつくってほしいと訴える本の、どちらをレポートの宿題で使おうかと悩んでいたら、
「そんなことより仮装行列を見に行こうよ」
と友達に誘われた。でも、このレポートの宿題をちゃんとやらないといい成績は保障しないからねと先生に言われているのだ。』

 最初の文を見て、
「川原泉の漫画を読んだわね?」
と聞いたら
「なんでわかったのーーーー!?」
と叫ばれた。いや、のどに塩ジャケの骨ってあたりが・・・・・・・。


4)アムネスティ歴○○年

 娘が小学校六年生の12月。社会の模擬テストの話。

「国際赤十字、国境なき医師団、海外青年協力隊、アムネスティ・インターナショナルのうちNGOでないものを選べ」
という問題で
「アムネスティ・インターナショナル」
を選ぶ馬鹿回答をしやがった我が娘。

 あの間違いを見た時は
「あんたは私の子じゃないわ!」
と冗談半分本気半分で言っちゃいましたよ・・・・・・・・・・。


5)娘の中学受験の半月後の会話。

 朝ごはんを食べながら娘と話していたら、レマルクの「西部戦線異状なし」の話題になった。
 読んでないものと思って話していたのだけど、なんか話の展開が変。内容がわかっているような反応をする。
「あれ、まだ読んでないよね?」
「ついこの前読んだよ」
「ええっ、いつ?」
「入学試験が始まる前と休憩時間中」
「・・・・・・・・・・・・・まわりにはそんなことしてた人いないよね・・・・?」
「問題集読んでる人はいっぱいいたよ」

 受かったから笑えるけどさ^^;


6)彩雲国物語新刊読了後の、四半世紀以上年の離れた女二人の会話

 娘が中学一年生の12月頃のメモより。

A「ああっもうじれったい。大体ねえ、王様が秀麗を諦めれば解決する問題が半分くらいあるんじゃないの!?劉輝(りゅうき)と秀麗を恋愛関係にしてその関係を成就させなきゃいけないなんていう、いらんフラグがあるから、お話がややこしいことになってるんじゃないの」

B「しょうがないでしょ。十何巻もずっと続けてきているシリーズ物で、今さら主役二人の関係は恋愛としては成就しませんでしたなんていう成り行きにはできないでしょ」

A「でも、十何巻もかけて、秀麗があのダメダメ王様とどうなるんだろうドキドキ、なんていう話をやられるのも、たまったもんじゃないわよ。お話の各所で、秀麗は稀代の官吏になるって書かれているから、最終的にはおとしどころがあるんだろうけれど、いらいらするーーーー。劉輝が彼女をとっとと諦めさえすれば、他の伏線もとっとと回収できるし、劉輝と秀麗のフラグ折れてくれた方がお話おもしろくなるのにーーー」

B「まったくもう、どんだけ燕青(えんせい)が好きなのよ」

Aが私。Bが娘。


7)腐女子化進行中

 娘が中学二年の夏休み前の会話。

「夏休みは『金色のコルダ』でもやろうかなあ。1は前にプレイしたから2の方」
と娘が言う。

「ふーん、やれば?」
「火原先輩と柚木先輩に興味があるの」
「ひはらっちはともかく、柚木先輩? あの男、好み?かなり個性的でない????」
「火原先輩と柚木先輩の組み合わせに興味があるの」

「・・・・・・・・・ちょっと待て。あんたがさっき言ったのは、ゲームの中で『火原先輩と恋愛すること』と『柚木先輩と恋愛すること』に興味があるっていう意味ではなくて、『火原先輩と柚木先輩の関係を見て楽しみたい』という意味なの?」

「うん、そうだよ」

「・・・・・・・・・・・いやーん、あんたってば、腐った女子!?」


8)読書量の多さと国語の成績の良さは無関係であることを証明する娘

 娘が中学二年の時の12月の会話。

 いつのまにかマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」を読み終わってて、スカーレット・オハラについて熱く語る娘。
「いつ読んだの?」
「読み終わったのは一週間くらい前かなあ」
「・・・・・・? 一週間前って、期末テスト最終日じゃなかった?」

 娘が読んだ時期を言い間違えたのか、試験期間真っ最中に気晴らしってことで読みふけってたのか、どっちでしょう?
 後者のような気がしてます。


9)確かに有名ではあるけれど普通はこの流れでは出さない

 先月の娘との会話。 

 ブランド物の洋服とか小物の話題。
 私は、そのへんの話題には疎い。
 多分、娘も疎いはず。
 しかし娘は言った。

「そんなことないよ。普通に話題になる程度は知ってるよ」

「ふーん、じゃあ、有名なブランドを一個あげてみてよ」
「ユニクロとか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

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2011年6月16日 (木)

「MITSUKO」観劇記

 青山劇場1階後方下手ブロックで「MITSUKO 愛は国境を越えて」を観劇。


◆物語雑感

 去年、オーチャードホールで上演されたF&Fコンサートで、曲紹介と大まかなストーリーを見た際の感想はこちら
 この時にストーリーに関して感じたことと、実はあまり変わらない感想となった。私はやはり、小池修一郎オリジナル脚本におけるヒロイン造型が基本的に苦手らしい。
 小池修一郎氏が、ミツコという人を描くにあたってあまりミツコに共感したり魅力を感じたりしてないんじゃないかという気がした。だから、ミツコ一人を前面に出すのではなく、副題部分の≪愛は国境を越えて≫の物語として1幕はハインリヒ主役、2幕はリヒャルト主役であるかのごとく、彼らの思いを強調する物語になる。が、ハインリヒ描写もリヒャルト描写も、タイトルロールのミツコを描かなければいけないがゆえか遠慮がちな描写となり、彼らの思いの部分が展開の軸になっているにもかかわらず、彼らが実質主役と言いきれるほどにはキャラがたってない。

 ≪母≫であるよりも≪伯爵夫人≫であらねばならなかったミツコは、人生後半、母として得たかったであろうものをぽろぽろと失っていった。その悲しみは、描かれていないわけではないけれど、観る人に届くような形で描写されてたかというと若干疑問が残る。リヒャルトと真剣な恋に落ちたイダをいきなり魔女と決めつけた愚かしさに対しての内省が、どういった形で変化していったか等は、台詞にはほとんど表現されず演技でしかあらわせないようになっているが、これは演者にも観る側にもきついものが・・・・・・。


◆舞台雑感

 ワイルドホーンの曲は普通^^;
 新曲「後ろを振り向かずに」は、耳に残るメロディとはいえるんだけど、妙な歌詞でもあるなあ。ミツコさん、あなた、後ろを振り向いて内省した方がいい局面が幾度もあったはずなんじゃあ????

 青山劇場という大きな舞台空間はうまくは使われてない。大劇場であると感じさせるのは、映像やハインリヒを乗せた装置くらい。もっと小さな劇場でじっくり心情を見せる形で演じられる方が良いタイプの物語だったのでは?

 ドレスは美しかった♪


◆キャスト雑感

・青年リヒャルトを演じた初舞台のジュリアン。ビジュアルはあまり好みでなかったけれど^^; 声は正統派二枚目青年スターといった趣きでとても良い。

・増沢望さんってこんなに端正な印象の役者さんだったっけ、とびっくり。ラストの、光子との別れの場面のお芝居がいいねえ♪

・光子の両親を演じる大谷美智浩さん&ハマコ(未来優希)。演技の質が違う夫婦だけど、達者な並びの二人。

・アンサンブルは男女とも、段取り芝居といった趣きで不自然な感じの人が多かった。もっと曲の力が強ければ、あるいは、もっと小さな劇場であれば、いかにも段取り芝居と感じさせる部分がもっと小さくすんだのかもしれない。
 百合子の大月さゆちゃんって、宝塚時代、演技が達者とまでは思ったことはないけれど、ここまで妙な発声と段取り芝居の人だったっけ????

・光子はタイトルロールであるとはいえ主役ではない物語ではあったけれど(シェイクスピアの「ヘンリー六世」みたいなものだなあ^^;)、とうこちゃん(安蘭けい)のお芝居も、今回は、良い方向にも悪い方向にも大きく印象に残るタイプとは違ってた・・・・・・。若い娘時代よりは、頭の堅い婆さんになってからの方が、声も衣装も似合ってるなあと感じたりしてしまった^^;

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2011年6月14日 (火)

PARCのシンポジウムに行ってきた

 6/4(土)に、PARC主催のシンポジウムに、友達と一緒に足を運んできた。

 「そこで働いているのは誰か―原発における被曝労働の実態」

 友人が、原発で働いている人達の実状についてもっと知りたいと言ってたタイミングが、たまたま私がtwitterでPARCがシンポジウムの宣伝をしているのを読んだタイミングと合致したので、こんなのがあるよーーと知らせたら、一緒にということになったのだった。
 自分一人だったら多分「抗がん剤点滴の翌日だしーーー」とか理由つけて行かなかったんだけど(注。今使ってる薬は、点滴翌日は具合悪くならない様子^^;)、友達が熱心だったので、じゃあ私もーーーと。

 パネリストは、報道写真家の樋口健二さん、週刊『東洋経済』記者の風間直樹さん、元東京電力社員で拉致被害者家族として有名な蓮池透さん。コーディネーターは首都圏青年ユニオンの河添誠さん。

 樋口さんのお話はこれ

 38年間、原発で働く労働者について取材をして写真を撮り続けてきている方。原発以外でも、公害問題に積極的に取り組んできている方。その立場ならではの、ものすごい熱さ。
 人に対して壁がない語り方をする人。人間というものがとても好きなんだろうなという印象。

 蓮池さんのお話はこれ
 拉致被害者家族としてのスタンスという点で、興味深い方だなあと思ってた蓮池さん。この人が東京電力の元社員で、しかも、福島第一原発で働いていた方だとは知らなかったので、シンポジウムの案内を読んでびっくりした。話を聞きに行きたかった最大の理由は、蓮池さんからどんなお話が聞けるのかな、という点だった。

 東電憎しみたいな雰囲気が反原発の動きの中でどんどん大きくなってきているような感じだけど、東京電力社員には社員ならではの会社や仕事への愛着や原発への真摯な思いみたいなものだって当然あるはず。真摯な思いを抱きつつも、今回の事故で心を痛めていないはずはない。東電を悪役にすることには私は興味がない^^; 現社員ではなく元社員という立場であるとはいえ、真摯な社員としての思いや言葉がいろいろ聞けそうというのは、とても興味深い企画だな、と思った。招く企画者もすごいし、いらして下さる蓮池さんもすごい、ありがたい。場の雰囲気によっては居心地悪いだろうからなあ・・・・・。参加者の質問の中には、東電への怒りを蓮池さんの語りに対しても同様に感じてぴりぴりした雰囲気を漂わせているものもあったけれど、大半の参加者は、現在の反原発の流れとは異なる立場にいる彼がこうして語ってくれることのありがたさを感じながら真摯に話に聞き入っていた様子。

 蓮池さんは拉致被害者家族の会での異なるスタンス等もあり、叩かれたり批判にさらされたり、というのはある程度慣れた人ではあるのかな。

 風間さんのお話はこれ。労働問題、経済問題の切り口から原発で働く労働者の問題について迫る。
 会場からの質問で、原発に関する記事を書くことに圧力がかかったりはしないのかとあったが、彼は、そうした圧力は特になく、比較的自由に記事が書けるのだと答えていた。雑誌や書籍は、テレビのようなメディアとはかなり違うということなのか・・・・・・。

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2011年6月11日 (土)

リトルプリンスーーー童話劇へ

 Rカンパニーで上演の「リトルプリンス」をル・テアトル銀座後方席から観劇。
 「星の王子さま」を原作とするミュージカル。
 音楽座の初演を見て以来、ずっと大好きだった作品だ。美しい音楽、美しい舞台装置で表現される砂の広がるとても静かで寂しい世界。かつてその中心に立って王子を演じていた土居裕子さんの歌声が、奇跡みたいな美しさだった・・・・・・。

(思い出は美化されると思われてしまいそうですが^^; 土居さんが「行こう、あの星へ」と歌い上げる時に、強引に幽体離脱させられて大きな星空に放り出されるような感じ、忘れられないし、他の人だと味わえないのだ・・・・・)


◆今年の再演の違和感

 劇場の小ささを感じた今回。

 布で表現する砂の世界の神秘的な美しさが、今回あまり感じられなかったのは何故だろう。物語が始まっていく際の、砂が迫ってくる感じ。砂嵐。砂嵐に飲み込まれる黄花。水の発見。もっともっと、絶対に美しい場面であったはず・・・・・・という、違和感。

 劇場が小さいにもかかわらず、ダンスシーンが増えているのも、なんだか違和感になっている。特に1幕、なんだかせかせかした感じ。


◆戯画的な童話劇へ

 Rカンパニーでの上演になってからのリトルプリンスは、王子がいつも≪こども≫だ。非常にわかりやすい形で、こどもらしいこどもだ。

 かつて見た土居裕子さんの王子は、一見こどもではあるけれど、こどもではなかった。年齢不詳の不思議な存在だった。

 高野菜々さんの王子には、年齢不詳な神秘性はない。その喋り方、動き方は、とてもこどもらしい。あえて舌ったらずな喋り方にしてたりする箇所も。

 主軸の印象が異なると、紡ぎだされる物語の印象もかわってくる。

 20世紀に上演されていた「リトルプリンス」「星の王子さま」は、ずっと昔に過ぎ去ってしまった少年の日々、傷ついた少年の日々を、少しずつ思い起こしながら、抱え続けていた傷を癒していく物語だった。
 今、上演されているものは、それとは少し違うなあ、と感じる。
 かなり純粋に、こどものための童話劇という形に方向づけられてきているように見える。

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2011年6月 7日 (火)

アブラキサン三回目と、前回点滴からの状況

◆前回(5/13)点滴後の副作用記録

点滴当日  ものすごく汗かいた
点滴三日後 足が痛い痛い痛い痛い痛い。だるい。

 脱毛進行中。まだスキンヘッドにはなってないけれど、帽子を風でとばされたら洒落にならないレベルにはなっている(笑)睫毛はあるけれど、眉はもうこの状態だと、無いと表現していいかもしれない(苦笑)

 他には副作用について特に書くことはなし。アブラキサンは私にとってはかなり副作用の点では楽な薬みたいだ。ジェムザールやってた時より元気そうだと言われる。
 足が痛かった日はしんどかったけれど。


◆点滴予定日前日(6/2)と点滴予定日(6/3)。予定は決定にあらず。

 呼吸が苦しい一日。そういえば、前日夜もなんか調子悪かったっけ?

 6/3。やはり苦しい。動いたりせずに、ただすわっているだけ、ただ横になっているだけでも苦しい。これは今日は点滴は諦めて胸水を抜くことになるか?

 息苦しいと思いつつも、病院への移動手段は自転車。
 予約してた本が一冊きてるらしいので、図書館も経由していく。苦しくてたまらんのに(苦笑)自転車をこぎながら、図書館を経由しないで病院に直行というのもちょっと考えたけれど、結局は読書欲を優先。

 ただし、病院の待合室に着いたら、完全にへたばった。
 レントゲン撮影って立ってやるものなのよね。こんなにしんどいのに、なんで、立った状態での検査なんてあるのよーーーー。
 外科診察室と採血室って距離があるのよね。こんなにしんどいのに、なんで採血室まで歩いていかなきゃいけないのよーーーーー。
 病院って具合悪いから行く所なのに、あちこち動けることが前提になっている。動けないなら入院しろってか?

 点滴は翌週まわしとなり、胸水を1400cc抜く。
 抜いている最中、呼吸が嘘みたいに楽になった。
 検査の際の移動に疲れ、横になっていられる状態に安堵したというのも大きいかもしれない(笑)

 前回同様、今回も、帰宅したら体温上昇。38度超え。

 今後いろいろとスケジュールを組むにあたって、胸水を抜いた日の晩は高熱が出て、翌日まで若干ひびくというのは織り込んでおいた方がいい?


◆本日の点滴

 図書館に予約していた本を引き取ってから病院へ。

 金曜日の採血結果データがOKだったので、今日は採血無しですぐに点滴。

 前回からの副作用について聞かれた後、
「痺れはある?」
と聞かれた。
 痺れは無いですねえ、今のところ♪ このままずっと無いとありがたいな。
 しかし、最近、右の胸部と右背中の痛みが増していて、もしかしたら鎮痛剤がそろそろ足りなくなってきているかもしれないような気がしないでもないといった気はする、とは伝えた。長ったらしいなあ。要は、痛いけど、痛いけど、痛いんだけど。鎮痛剤料金が増えるのが嫌なんだ、私は^^;

 さて点滴。
 先生が
「どっちの手だっけ?」
と私に尋ねる^^;
「いつもは左でしたけれど、最近よく右でやってます」
と丁寧に返事する私。
 血管を見比べて
「あ、そうだったねーー」
と反応する先生。暫く右手を握ったり開いたりを繰り返すように指示されたが、15秒くらいで
「じゃあやろうか」
とグーパー中断指示。は、はやい・・・・・。左手時代は3分くらい放っておかれたような気がするんだが。
 でも右手の甲だと、手の甲を叩いたりしばらく眺めたりといった余計な時間がなく、あっというまに針が入るのだった。

 ずっとこうでありますように。
 そして、浮腫みがきませんように。

 点滴針を刺される前に、アルコール消毒をするのだけど、その時にえらくしみる部分があってはじめて気づく。手の甲に小さな引っかき傷が二つ。こんなもん、私、いつつくったんだろう?
 右手・右腕を大事にしなければいけないはずなんだけど、なんか私ってば杜撰すぎる?
 点滴後は外来注射室の長椅子に移動。
 夏場なので、家から、タオルにくるんだ冷却材を持参してた。これを頭の位置に置く。
 朝刊を読みかけだったので読み続けたいのだけど、左手だけで新聞を読むのは難しいので、図書館の本にしておく。佐藤真由美の「恋する世界文学」。
 CDプレイヤーは持ってくるのを忘れた。


◆本日の午後

 スーパーマーケット経由で病院から帰宅。そんなわけで、図書館で借りた本9冊と、野菜・魚・1000mlジュース2本と抱えていたわけですが・・・・。

 自宅マンションのエレベーターが、点検中で止まってた。

 ・・・・・・・・・青ざめた^^;

 夫が家にいるはず。携帯電話にも固定電話にも電話してみた。階段上るなら、荷物を半分持ってもらおうと思って。
 しかし、電話はつながらなかった。体調悪くて横になってて聞こえないのかな。

 仕方ない。階段のぼった。荷物多いからゆっくりと。途中何度も何度も休憩しながら。 5キロ米1399円を買わなかったのは大正解だったなあ・・・・・・・。 

 息が切れる、気持悪い、と思いながら家に入ったら。

 夫、起きてるじゃないかぁぁぁぁ!!!
 携帯ラジオの改造に熱中してた。
 起きてるんなら、電話に出てくれよぉぉぉ(涙)


◆本日の夕方

 夕飯づくりおさぼりしようかと思ってたのだけど。

「具合悪いから夕飯調達よろしく」
という台詞と
「ちょっと今から本屋ハシゴして『守り人のすべて 守り人シリーズ完全ガイド』を探してくるわ」
という台詞は、両立しないよな・・・・・・・・。

 炊飯器のセットをして、サラダ用に野菜を切って、メインのおかずになんか惣菜買ってくることにする。英検が近いので一応は試験準備することになっている予定の娘は、今週はあまり買物には行きたくはないらしいし。本当に準備しているかどうかは知らない。

 本屋四軒ハシゴして目的物ゲット。
 三軒目までは、偕成社から出ている守り人シリーズの本がずらりと並んでいるにもかかわらず目的物は無し。
 しかし、絶対無いだろうとダメモトで行った四軒目。児童書コーナーがしょぼいお店でねえ・・・・・・・・・。ところがあったんだわ。児童書売場には「流れゆく者」軽装版と「守り人のすべて」が一冊ずつ並んでた!!!!! ちなみに、その前に行った3軒は、軽装版の守り人シリーズは沢山並んでたのだけど、肝心の目的本は無かったのよね。

 帰宅したら。
 炊飯器のスイッチを入れ忘れてたことに気づき青ざめた・・・・・・。ちょうどご飯が炊けている頃だと思ってたのに。


◆まとめ

 そんな感じで元気に過ごした一日でありました。
 仕事は30分としなかったような気がするけれど(涙)
 今やってる作業、6月中旬までには絶対終わらせないといけないから、頑張らねば。

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2011年6月 2日 (木)

再読二冊ーーーDie Energie 5.2☆11.8、原発ジプシー

 現実を見つめるのが辛くて、3/11以降、原発関係の本の再読は避けていたのだけど、それでもなんとなく読み返したのが以下二冊。三原順は、3/20の三原順の命日に。原発ジプシーは、地震で落っこちた本棚の中身を整理してたら出てきたのでなんとなく。「死ぬまで読み返すこともないかもしれないなあ」と思ってた本を窓のそばのカラーボックスにぶちこんであって、それが散乱したのだけど・・・・・・・・原発ジプシーは再読価値あるだろうなあ、と、娘の目の届きそうな位置に置きかえた。1999年に東海村の核燃施設での事故があった時、報道を見ながら「70年代後半と、結局、現場労働者の作業環境って変わってないんだなあ」と愕然としながら「原発ジプシー」の内容を思い出したものだった・・・・・・・。


●三原順「Die Energie 5.2☆11.8」

 少女漫画誌「Lala」に掲載され、白泉社コミック「夕暮れの旅」に収録された漫画。現在は三原順傑作選 (’80s) (白泉社文庫) で入手することができる。

 三原順という漫画家は多分、原子力発電の問題について、放射性物質への漠然とした恐怖感からはいっていったのだろうなと思う。「X-Day」という作品では、落下・飛散したソ連の原子炉衛星のかけらがある登場人物の人生に重大な影響を与えるエピソードがあり、ここにも放射性物質への恐怖の思いが顔を出している。
 しかし、三原順の漫画における描写は、山岸涼子の反原発漫画「パエトーン」のようにシンプルに「原発ってこわいんですよ!皆、知ってた?知って知って」と訴える調子にはならない。反原発について考え続け、その難しさや限界についても考え続け、その脳内試行錯誤の過程が、作中のやりとりに出てくる。

 主人公ルドルフは、電力会社に勤めている男性。20代後半もしくは30代前半あたり?
 アパート(もしくはマンション?)の隣には、看護婦の仕事をしているロザリンという若い女性が住んでいる。ルドルフの親友のダドリーがこのロザリンを気に入っていることもあり、三人でよく食事に行って歓談するような関係。ちなみに、恋愛関係ではない。ロザリンは、自分は趣味が悪いと自嘲しつつルドルフに惹かれているんだけど片想い。ルドルフには想い人がいるらしいことが「X-Day」や「踊りたいのに」といった別作品の中で簡単に触れられる。ダドリーは女性に関しては恋愛と友情はきっちり分ける男で、ロザリンはダドリーにとっては信頼できる友人のカテゴリーに入ってるから、男女の関係にはならない。こんな形で、少女漫画にありがちな≪恋愛≫のような甘い関係性を除き、語られる台詞は台詞そのものの意味を読み取るべき物語になっている。

 原発の近辺の住民である13歳の少女が白血病で入院してきたことがきっかけで、ロザリンは、それまでおぼろげに怖いものとだけ感じていた原発に対し、積極的に反対という意思を持つようになり、環境保護団体にも加入。
 物語のメインストーリーは、ルドルフの勤める電力会社がしかけられたテロ事件での攻防で、ロザリンはメインストーリーとは離れた位置にいるキャラではあるのだが。
 ルドルフとロザリンの意見のやりとりは、様々な示唆にとんでいる。

 ロザリンは優しい良い人だ。だからこそといった典型的な反応をする。
 彼女に対するルドルフの反応は辛辣だ。

「目下の所、君達がつくる事を許そうと思っている発電所はどういう種類のものなんだい?何ならば・・・電気を受けとる代わりに失ってもいいと思っているんだい?」

「何の問題もない方法などありはしないんだ。だから・・・もし君がそれを覚悟の上でAなら我慢するがBは認めないと言うならばそれもいいだろう。だが何も譲りたくないが分け前は欲しいと言うならオレは何も話したくない」

「何もせずに生きてゆける程、自然は優しくはないし何もせずに死を待つほどには人間の寿命は短くもない」

「ああいうタイプは見ているだけでいい!」

 ルドルフは、原発の危険性について知っている。知っていながらも、自らの職に邁進し、「オレは加害者でいい!ただの加害者でいい」と言う。そこに至るには様々な葛藤がある。わかっていてそのスタンスを受け入れた人は、自分が何を切り捨てたかも勿論わかっている。切り捨てる際には勿論、痛みの感情だってある。

 そんな彼に対し、反原発を正論として叩きつけることには意味はない。

 ではどんな言葉だったら、彼に通じる言葉になるんだろう。
 その困難さを自問自答しない限り、現在の反原発も結局は今だけのブームで終わってしまうんだろうなと思ってしまう。スリーマイルの後のように。チェルノブイリの後のように。

 おそらくは三原順は反原発にシンパシーがある人だったのだろうと受け取れるけれど、反原発の運動の方法論については、非常にリアリティのある厳しい眼差しを持った人であった。


●堀江邦夫「原発ジプシー」(講談社文庫)

 学生時代に、原発関係の本はあれこれ読んだが、一番インパクトがあったのはこの本だった。読み返してみたら、あちこちに鉛筆で線をひいて書き込みをしている^^;

 ルポライターであることを伏せて三つの原発(福島第一原発も)で仕事した記録。手ごろな分量で、文章は扇情的ではなく、淡々と日々の作業について記録していて、非常に読みやすい。
 特に反原発を強くうたった文章では書かれていない。勿論、強い感情があったからこそ現場に潜入して報道したいとなったのだろうけれど。ルポの中の堀江氏は、現場監督から最初は、やっていけるのか?と不安に思われるようなよわっちい感じに見えたそうだけど、若い作業員として周囲の作業員と普通にコミュニケーションをはかりながら、真面目に熱心に労働をしていく。

 原発って、もっと機械化がばっちりすすんだ物かというイメージがあったのに、現場というのは3Kどころか何Kだろうと愕然とするほどに原始的な大変な労働に支えられていた世界なんだな、ということが非常によくわかる。それでも著者はこのルポを出版した後、大勢の同僚から「あんたが体験したことなんてまだましな方だ」と言われたのだと、文庫版あとがきで明かしている。頑張って潜入ルポを書いたつもりだったけれど報道しきれていなかった恥ずかしさ、そしてそれ以上に、これよりも過酷な労働が普通なのだということを大勢の作業員から言われたという事実に対する震撼。淡々とした言葉で綴られるその震撼が、じわじわと読み手のこちらにもうつってくる。


●あれこれ

 三月上旬までは、原発に関して、メディアが偏った報道しかしないこと、ほしい情報は自分から得ようと努力しないと得られないことにいらいらしていた。
 今は新聞もテレビもインターネットも連日、原発原発原発原発。

 ・・・・・・・・・こんな理由で原発の危険性に関する報道が増える状況がくることを望んでいたわけじゃない。

 原発の安全性なんて信じてなかったし、原発が低コストであるとされるのも数値操作だと思ってたし、原発が地球温暖化を防ぐクリーンエネルギーであるといった宣伝にいたっては、唖然とするばかりだったけれど。
 事故さえ起こらなければ、原発賛成の立場の人の言うままでもいいかもしれない、なんていう気分もここ数年なきにしもあらずだった。「原発ジプシー」を読んだ自分がそれを思うという事態に憤りと羞恥心をおぼえつつも。解決策が無い廃棄物問題を後の世代にただただまわしていくだけの状況を、わかってて見過ごすのはエゴイスティックだと思いつつも。
 周囲に対し原発に関してはほとんど口にしなくなった。ただ、娘に対してだけ、私が実は基本的には原発反対の立場であることは吹きこんだ^^; そのせいかどうか知らないけれど、小学校時代の娘は六ヶ所村についてなんかいろいろ調べまくり、アースデーフェスティバルに連れてった際も、六ヶ所村についての運動をしているNGOの展示をえらく熱心に読んでた・・・・・・・・。

 放射性物質の危険性の診断については、昔も今もよくわからない。
 「Die Energie 5.2☆11.8」でダドリーが言う状況は、今もそのまま。
「反対派は少量の放射線でも危険の可能性はあると言い、すると推進派は許容量以上の被曝者を連れて来て言う訳だよ。『見ろ、彼は生きている』」
こんな状況で、何をどう判断したらいいの?
 安全性を気にし始めたら、それこそきりがないくらい、沢山のことを気にしなきゃいけない。食品添加物、農薬、合成洗剤と水、食品への放射線照射、遺伝子操作、日付偽装、その他いろいろ。そして、気になることをすべて気にし続けながら商品を選ぼうと思ったら、とんでもなく高い商品を買い続けていかなきゃいけない。どこかで切って諦めないと、貧乏人にはついていけない。

 ただ気になるのは、チェルノブイリ後の、こどもの甲状腺がん発病の増加。
 そして、日本において、水俣病などの公害病や薬害エイズ問題について、国が原因と発病の関連を認めるのがきわめて遅かったという点。

 これらを考え合わせれば、「ただちに危険なレベルではない」を鵜呑みにするのはあまりにも危険だということを、感覚の部分で反応する人が多いのは当たり前。

 自分についてはどうでもいいんだ。もう十分生きたし、いろいろな失敗や挫折はしたけれど結構幸せに生きてきたと思うし、「発がんの怖れ?どうせ私は既にがん患者だし、どーでもいい」といった感じ。ただ、人生これからのこどもがいるので、自分自身の生に関する開き直りをそのままこどもにあてはめるわけにはいかず、途方にくれてしまうのだった・・・・・・
 五年後十年後には、日本の若年層にがん患者や白血病患者が増えるんだろうか?
 多分私はそれを確認することなく自分ががんでいなくなっちゃうと思うんだけど、その前にやっておかなきゃいけないことはいろいろあるような気はする。

 人生あと残りちょっとなんだ。一歩、もう一歩、今までとは違った方向にいってみないといけないなあ・・・・・・・。チェルノブイリの後の状況を考えると、今ある反原発の動きに対するバックラッシュも近い将来はじまってくるだろうと予想されるし。

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2011年6月 1日 (水)

juin

●今月の観劇予定

リトルプリンス
風と共に去りぬ
MITSUKO

 リトルプリンス。星の王子さま。土居裕子さん主演の初演からずっと観てます。とても美しい、大好きな演目です。楽曲では「砂漠はきれい」「輝く星」が好き。旧・音楽座時代のキャストが好きだったので、それを思い出させる新木啓介さんの実業屋、五十嵐進さんの地理学者といったキャスティングが懐かしく嬉しいです。

 風と共に去りぬ。岡田さんのアシュレに一点集中してきます。すみません、他キャストには興味がなかったりする・・・・・・寺脇康文さんは好きなんですが、レット・バトラー役には雰囲気が優しすぎるような気もしたりしてて。

 MITSUKO。まだチケットを手配してませんが、大きな劇場ですし、まあなんとでもなるでしょう^^; 小池修一郎脚本ということで、テンションがあがらないのですが、出演者の力量やらワイルドホーンの曲の力は信頼できるので、劇場に行きさえすればテンションの問題はなんとかなるでしょう・・^^; 体調悪いと、宮益坂が絶壁に見えるのが困ったところだけど。

 うーーーーん、今月はなんだか観劇に関しては若干テンション低目か?
 「風を結んで」や「ノバ・ボサ・ノバ」も観たいんだけど、6月と7月は一年で一番忙しい時期なので、あんまり無理しないようにいたします。「風を結んで」は2005年公演の記憶を頭の中でころがしているだけで結構楽しいというのもあるし。女優陣は初演よりも今度の公演の方が役に合っているかもしれないという気はしないでもないけど。


●先月の観劇

 「レ・ミゼラブル」と「港町純情オセロ」の2本だけの予定だったのだけど、「私の頭の中の消しゴム」にも行ったので計3本になりました。


●今月買う本と漫画

 有川浩の図書館戦争シリーズ「図書館革命」の文庫版。短編目当てで買ってる文庫版なんだけど、有川浩&児玉清の対談もとても読みごたえがあって楽しみ。

 「守り人のすべて 守り人シリーズ完全ガイド」。バルサとタンダのつれあいとしての生活を描く短編が載ると知って、テンションあがっております♪♪♪

 文庫版の「儚い羊たちの祝宴」。米澤穂信作品。文庫化されるのをお待ちしておりました。

 川原泉「コメットさんにも華がある」。
 川原泉の新作は久しぶりだな♪

 そして、彩雲国物語最終巻は7/1発売日とのことなので、多分、今月末に買えるんじゃないかと。6/1の発売の巻も無事に5/31に買えたし。ただ、5月中に読み終わりませんでしたが^^;

●今月見るテレビ番組

 WOWOWで「告白」放映。R-15なので映画館で見ることの出来なかった娘から、録画するようにという指令が・・・・^^;

 「遺留捜査」が終わってしまう。上川隆也さんが演じるのほほん糸川さんが結構好きだった。のほほんなのに、意外と強いのには、何か背景があるんでしょうか?

 「JIN」はいつまでかな?お話自体がとても面白いし、中谷美紀の演技が大好き。
 ただ、見るきっかけとなったお目当て役者さんのこのドラマにおける芝居は、実はいまひとつ好みじゃなかったりする・・・・・・・。クライマックスに向けて修正されてくるといいんだけどなあ。

 さあ今月は、地上波デジタル放送が見られる環境を作らねば。


●その他

 PARC主催のシンポジウム「そこで働いているのは誰か―原発における被曝労働の実態」に出かけてきます。観劇友達をお誘いしてこの種のイベントに出かけるのってはじめて。

 3月頭に行きたいと言ってて行きそびれてたドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」、アンコール上映があるとのこと。今月は行けるかな?

 ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」は25日から公開だけど、7月上旬に娘の1学期期末テストがあるので、試験休み一日目に二人で行く。ということで、今月は見に行きません。

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