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2011年7月

2011年7月31日 (日)

7月に読んだ本(物語)ーーー小野不由美、雪乃沙衣、有川浩、宮部みゆき、今野敏、神永学、茅田砂胡、辻村深月、菅野雪虫、ジュリー・ガーウッド、メアリ・バログ

●小野不由美「ゴーストハント5 鮮血の迷宮」(メディアファクトリー)

 リライト作業は≪ゴーストハントをする人達の推理過程の描写の拡大≫が最大目的であるように見える。そのため、真実に行きつく前の、試行錯誤過程の中での、一つ一つ消されていくべき間違った推理に関する描写が増えている。このため、ホラーとしての怖さが減じているともいえるかもしれない。

 そういった傾向が顕著なリライトではあるが、今回は、リライトによる変更は若干少なめ? 元々の旧版で、5冊目あたりになると、少女小説のレーベルによる限界をとっぱらって好き放題がしやすくなってきていて、リライトで変えたい部分が減ってきているのかもしれない。

 安原少年とぼーさんのファミコンゲームに関するミーハー談義の描写はかなりおさえられた。時代がかわったから通じなくなったことが多くなったがゆえ?FFとかDQとか「女神転生」とかは消えちゃったけれど、暴走で王蟲ってのがすらっと出てくる会話は消えないのね。

 ≪みなしご≫とか≪孤児≫ってのは若干語感が強すぎるような印象はあったんだけど、そのへんの語選択はそのままだったな。さらっと≪親がいない≫程度じゃダメなのかな?
 ところで、今回の加筆で一番怖かった部分。綾子においてけぼりにされかかった麻衣が浦戸に連れてかれちゃいそうになる描写!? なるほど、失踪者はこういった経緯を経て消えていたということなのか? が、一人称文体だから余計な説明が加わらず、麻衣自身が自分の置かれていた最大の危機に最後の最後まで全く気づかぬままってのが・・・・・仲間たちも気づいてないままってのが・・・・・・怖い^^; 悪夢よりもこっちの方が怖くないですかぁぁぁぁ!? 
 麻衣の一人称による進行であるため、偽デイヴィス事件の概要も結局は明らかにならないまま。他の偽霊能者・自称霊能者たちの詐術に関する描写も増えてはいたけれど、そのあたりも結局全容は明らかにならないまま。うーーん、ちょっとそのへんが残念といえば残念。


●雪乃沙衣「彩雲国物語 紫闇の玉座(下)」(角川書店)

 完結おめでとうございます
 シリーズ物がちゃんと完結するというのはいいことだ、うん。突っ込みたいところは山ほどあるけれど、まあ大団円エンディングでよろしいんではないかと。

 当初は一巻のみの予定で出された小説が、人気が出て長いシリーズになった際に、その最後が当初予定のものからひっくりかえってしまった、というのは、あってはならない掟破りだとは思っているので、秀麗と劉輝がちゃんと結婚できたのは、良かったとは思います。
 ・・・・・・・・・私の好みとは違うけれどね(苦笑)
 燕青とか清雅がお相手である方が秀麗は秀麗らしくあれるんじゃないかとも思うのだ。まあ、それは言ってもしかたない。早く登場した者が絶対的に有利というのも、少女物のお約束の一つだ。

 享年三十ということは、秀麗ちゃんが官吏をやめて後宮入りしたのは二十九歳くらいってことか。
 女ざかり、人生これから、官吏としてもまさにこれからっていうお年頃で、さぞや猛烈な反対が多かったろう。

 結婚生活が一年ということは多分。
 あと一年くらいしかないとわかっていて、ならば最後の一年は劉輝にあげようと決意したということなのかなあ、と。人生まだあと三十年以上あるかもしれないって状態だったら、秀麗ちゃんは劉輝のためとはいえ官吏をやめられないだろうし、やめたくないだろうし、周囲ももはややめさせられないところまでいってただろうし。でも、あと一年しかないと知らされてたんだとしたら、官吏としての人生をくれた劉輝のために、彼を幸せにしてあげたいというふうに思うような情は彼女にはあっただろう。
 秀麗が愚痴も言わずにきっぱりと官吏をやめる決断をした姿を見れば、何かを察して反対の言葉を口にしないという人も周囲には多かったかもしれない。燕青とか燕青とか燕青とか。

 そんなふうに脳内補完して無理やり納得することにした。
 だから、秀麗と劉輝の結婚生活については、細かく言及せずにさらりとまとめてくれたことに安堵している。こんな形でさらりとまとめてくれるんであれば、恋愛至上主義の読者はそっちの方向で脳内補完すればいいし、官吏の道を邁進する秀麗ちゃんを応援してた私みたいな読者は上記方向で脳内補完すればいいわけだし。


●有川浩「別冊図書館戦争I」(角川文庫)

 短編「マイ・レディ」所収。小牧教官と毬江ちゃんのラブラブ話。あまり波乱が無いので、「はいはい、幸せそうでよかったですね」で終わっちゃう。そういう意味では、本編の郁&堂上教官の関係も(^^ゞ 作者が楽しそうに書いているのはよく伝わってくるので、あとがきにあるみたいな≪いやいや書かされたのか?≫なんていう疑問は一瞬たりとも発想したことなかったなあ。あの展開読んで、なんでその発想が?いや、あの展開が好みではないと感じる層がそれなりに多いかもというのはわかるけれど。

 ちなみに、ハードカバーで読んだ時も思ってたんだけど。
 堂上教官の郁への対応って、妙に女慣れした男の対応なんだなあ。忍耐強すぎるというか、包容力がありすぎるというか。今まで描かれてきた堂上教官のキャラと何か合致しない違和感があるので、この巻における二人のラブラブっぷりにいまひとつのめりこめないという無念さがある。


○宮部みゆき「火車」(新潮文庫)

 上川主演でドラマ化されるとのことなので読むことに。
 すさまじい牽引力のある世界。どうなるんだろうとわくわくしながら読み進めた。各所で用意されているどんでん返しがもたらす味わい。そしてラスト。こう終わらせるのか。なるほど・・・・・・・。残りが20頁ー30頁あたりになった頃、
「残りこれだけ!? 終われるの?」
と不思議に思ったりしたのだけど、なるほどラストを読んでみると、これ以外の終わり方ってのはありえないかもしれないな。


○今野敏「隠蔽捜査」(新潮文庫)
○今野敏「果断」(新潮社)
○今野敏「疑心」(新潮社)
○今野敏「初陣」(新潮社)

 上川隆也さんが舞台で主演と聞いたことをきっかけに読み始めた、警察小説のシリーズ物。警察小説の分野はそんなに好みではないので、こういうきっかけが無かったら多分読まなかったと思う。が、この小説は、警察小説としてはどうなのかな。あまり、≪考えたこともなかった分野についていろいろ知りえた!≫といった感じにはならなかった。

 主人公の竜崎は、東大卒で国家一種合格の警察キャリア官僚。専業主婦の妻と、就職活動中の上智大生の娘と、一流私立大に受かったものの東大以外は認めない父の意向により浪人させられている息子からなる四人家族。

 うーん、どうなんでしょうね、この竜崎って男。
 男の人ってのは、男は肝心な時に芯としてしっかりしてればいいんだって思いたいものなんでしょうか。私はこの長男、可哀そうでならないけれど^^; 東大以外は認めないっていうなら、その意向は息子が高校生の時にしっかり伝えておいてあげるべきだっただろうに。息子の言い分を読んでいる限りでは、浪人させられたのは青天の霹靂といった感じで、不満がつのるのもわかるのよね。文脈から判断する限りでは、上智よりも偏差値的評価が高い所に受かってる様子だし。(KもしくはW?)

 教育評論家には東大卒の人間はいないとかいう言い方もなんだかなあ。東大に入る人間なんてごくごく一部なんだから、それ以外の生き方に関して評論する人がいっぱいいる状況なんて、ごくごく当り前のことじゃないか・・・・・。
 まあそんな感じで、著者の考え方の細かい部分の作品への反映のされ方にひっかかる部分は多々あるんだけど。

 堅物のキャリア竜崎VS現場で活躍する幼馴染の伊丹といった図、仲がいいような微妙なようなといった対照的な二人のキャラは楽しい。・・・・・・というか、この部分が一番の売りっぽいな、このシリーズは。中年男どうしなのに、なんか、BL好き腐女子のツボを妙に刺激するような精神的関係じゃないですか、この二人って???? この小説は、警察小説として読むよりも、キャラ読みするのが一番、なのかもしれない。

 伊丹視点で展開される連作短編集「初陣」を読みながら、ああやっぱりこのシリーズは、キャラ物として、竜崎&伊丹の微妙な友情を楽しむ物として、歓迎され喜ばれているシリーズ物なんだなあと、大いに納得したのであった^^;


○神永学「心霊探偵八雲 2 魂をつなぐもの」(角川文庫)
○神永学「心霊探偵八雲 3 闇の先にある光」(角川文庫)
○神永学「心霊探偵八雲 4 守るべき想い」(角川文庫)
○神永学「心霊探偵八雲 5 つながる想い」(角川文庫)
○神永学「心霊探偵八雲 6 失意の果てに」(角川文庫)
○神永学「心霊探偵八雲 SECRET FILES 絆」(角川文庫)

 「また借りてるの?」と娘に笑われてしまった。いや、前回借りたのと違って、文庫版には「添付ファイル」という名のついた短編が収録されているから、一応は目を通しておこうかと。

 2「帰郷」3「返却」4「写真」5「横恋慕」6「夜桜」絆「憧れ」
 八雲と晴香の二人が出会う、数頁で起承転結する小編。
 これを読むために文庫を、と、あくせくしなきゃいけないというほどでもない、本当に本当に、ちょっとした小品といった感じかなあ。「憧れ」は「絆」の中の中編「それぞれの願い」の後日譚ともいえるので、他の小品に比べると読んでおいてよかったかなあといった感じ。


○茅田砂胡「コーラル城の平穏な日々」(中央公論新社)

 デルフィニア戦記外伝。

 「ポーラの休日」はデルフィニア国王の愛妾ポーラが気晴らしにとコーラル城下に出かけたがこれが大騒動に発展するというドタバタを描いた中編。画集に収録されていた作品。(画集収録だから、私が利用した図書館では閉架書庫にあった。この作品の存在を知らない人も多かったかも。)

 「シェラの日常」は、王妃リィの超絶的≪侍女≫であるシェラの、超ヘンな日常の日々を描くかきおろし中編。
 その二つの中編の間に、短編「王と王妃の新婚事情」がはさまっている。

 この時期のデル戦は結構面白かったんだよなあ、と懐かしく思い出す。黒天使登場でデル戦って世界が面白くない方向にいってしまった感じで。作者にとってはお気に入りキャラなんだろうけれど。


○辻村深月「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」(講談社)

、かつて幼馴染だった、三十歳という人生の分かれ目に立つ女性たち。都会でフリーライターとして活躍しながら幸せな結婚生活をも手に入れたみずほ。地元企業で契約社員として勤め、両親と暮らす未婚のOLチエミ。ある殺人事件が起こったことをきっかけに、離れかけていた二人の人生が再び重なる。

 あああああああ、もう叫び出したくなっちゃうよ^^;
 共感したくない。遠ざけたい。疲れる。登場人物達の人間関係における距離のとりかたが気持悪くてたまらない。この作者の小説を読むというのは、その気持悪さから逃れられないということなり。


○菅野雪虫「女王さまがおまちかね」(ポプラ社)

 始まりは夏休みの宿題の読書感想文、そして怪人物「女王さま」からの謎のメールだった…。新刊本が出なくなるという事件が発生し、本が好きなゆいは、女王さまと対決することに!
 ポプラ社から出る児童向けの本って、イラストがいかにもお子様向けといった感じの物が多いなあ・・・・・・・。

 読書は大好きなのに読書感想文を書くことへの苦手意識が大きいゆいの苛立ちは、まさに作者のこども時代の苛立ちだったようで。同じいらいらで苦しんでた過去があるのでよくわかるわ^^; 小学生の頃って、本当に感動する物語に出会った時って、その感想を言葉にするなんてできなかったもの。ただただ脳内で、その物語世界をより鮮やかにより鮮やかに再生することのみに神経を使う。自分がその世界の一員になるべく、自分の思いをその世界にとばす。「感想」なるものを文章で書けるのって、感動から少し距離を置けるようになってからなのよね。世の読書好きはそれがわかっている人が多いだろうに、なぜ、読書感想文という苦行の宿題から小学生達は逃れることが出来ないのだろう・・・・・・。

 終盤、タイトルも出さず注釈も出さないまま言及されるホラー小説の話題・・・・・。
 キングの「ミザリー」というのは、ターゲット読者であろうとおぼしき小学生が持つべき教養の一環なのかしら?(笑)


○ジュリー・ガーウッド「バラに捧げる三つの誓い」(ヴィレッジブックス)

 原題「THE CLAYBORNE BRIDES」
 西部開拓時代のアメリカを舞台とするヒストリカルロマンス。「バラの絆は遥かなる荒野に」の続編。前作のヒロインの兄であるクレイボーン兄弟のロマンス。「ピンクのバラ」は四男トラヴィス。相手は東部から、まだ一度も会ったことのない男性と結婚するために長い旅をしている女性エミリー。「白のバラ」は次男ダグラス。馬を譲り受けに行ったら、その家にただ一人いた未亡人女性イザベルが陣痛に苦しんでいて出産を手伝わされる羽目に。「赤のバラ」は長男アダム。困っている人をみると助けに乗り出して行かずにはいられないジュヌヴィエーヴが抱え込んでいた災難に巻き込まれる。
 三男コールのロマンスは次の「Come The Spring」でなんだとか。


○メアリ・バログ「婚礼は別れのために」(ヴィレッジブックス)

 原題「SLIGHTLY MARRIED」
 ロマンス小説。偽装結婚から真実の愛が芽生え・・・・という定型物(*^^*)1814年のイングランドを舞台とするヒストリカルロマンス。
 主人公二人は物語中盤では精神的関係のみにとどめておいた方がじれじれ感が増して面白かったんではなかろうかという気がするんだけど、この種の小説でそれは難しいのかしら^^;


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2011年7月30日 (土)

7月に読んだ本(物語以外)ーーー雨宮処凛、高橋源一郎・山田詠美、永井朗、広河隆一、田中優

○雨宮処凛「ドキュメント雨宮☆革命」(創出版)

 月刊誌「創」で3年間連載してきたものをまとめた本。
 こうやって三年を振り返ってみると、いろいろなことが大きく大きく動き、そして、いろんなことが動かなかったんだなあ、と改めてびっくりする。政局は動いた。でも、格差は変わらないどころか・・・・・・・。現在、民主党政権が叩かれるのが当り前の状況になっているが、2008年の時点では自民党政権ってのはこんなふうに叩かれていたんだなあ。麻生氏の豪邸なんて、まさしく貧富の格差の象徴みたいなイメージだったのよね、そういえば。


○雨宮処凛「小心者的幸福論」(ポプラ社)

 小心者と自身を卑下する雨宮さんだけど、若年層の貧困を訴える場の一つとして、現都知事との対談から逃げなかったというのは、すごいことだと素直に感心し賞賛してますよーーー。すごく嫌な気分で覚悟しなきゃいけない対談だったのではなかろうか、そして実際、対談後に虚しさに襲われるような対談だったのではなかろうか、と思うんだけど、それでも対談に挑んだのは本当にすごい。


○高橋源一郎・山田詠美「顰蹙文学カフェ」(講談社文庫)

 ≪文学は顰蹙買ってナンボ!顰蹙買うのも才能のうち!≫と言いつつ対談をし、ゲストを呼ぶ高橋&山田。カフェ店員が魅力的に思えて思わず借りてしまった本。特に山田詠美という店員(^^)。今でこそ、数々の文学賞の選考委員をつとめる彼女だけど、出てきた頃は、文学以外の部分であれやこれや言われまくる人だったもんねえ・・・・・・。書いている内容自体は、本を沢山読みながら育ってきました、という人ならではの小説なのに。女性のセクシャリティの部分を描くといっても、嫌らしい文体になるのでは全然なく、なんでこれが忌避されたり面白可笑しく扱われたりするのだろうというのがさっぱりわかんなかったもんだったな。黒人の男性との恋物語よりは、「蝶々の纏足」「風葬の教室」「放課後の音符」のような系列の青春小説の方が、私の好みではあったけれど。
 呼ばれるゲストも、瀬戸内寂聴だったり、島田雅彦だったり。瀬戸内をまじえた三人での石原慎太郎談義が結構楽しい(笑) 一人なにやら腰がひけている高橋源一郎。文学に関して語る時にむきになってしまう石原氏をかわいいと言う山田&瀬戸内。


○永井朗「不良のための読書術」(ちくま文庫)

 洋書輸入販売会社に勤めた後、編集者となり、ライターとなり、書籍についての評論等を書いている著者の本。
 1997年刊行だけど、本屋という不思議世界を知る上で参考になることが載ってないかな、と思って借りてみた。
 業界の人ならではこその知識がそこここに散りばめられてて楽しい。駅前のちっちゃな本屋に岩波書店の本が無い理由だとか(答。買い取り制ゆえ)。図書館の効用についてだとか。無料の貸本屋と化した図書館は書店や出版社の敵という説は、私も日頃から嫌だったもん。本好き養成ギブスである図書館がなければ、そもそも本は売れない。近視眼的な図書館嫌いのコメントをする作家などを見るたびに、小馬鹿にしたくなるのは根っこはそんなところだわ。(本を買ってほしいなら、印税に貢献するだけの価値があると購買者に思わせる価値のある物を書けよ。図書館に買ってもらうなら、税金で保護する文化として自著を扱ってもらっていることをありがたく思えよ、とかよく思う)図書館も永久的に書籍を保存するわけではなく住民があまり利用しない物は処分するというのも、よく考えてみれば当たり前だけど意外と気づかないまま行動してしまったりすることだったり。「これは図書館で読める本だから自分の本棚に置くのは諦めよう」と思って手離した本に関し、後々、深く後悔したなんてこともあった・・・・・・そう、図書館は永久に書籍をとっといてくれるわけではないのだ。

 「線など引かずがんがん読め」「読んだらすみやかに忘れ去れ」も大事なことだな。
 線なんか引かなくたって、心に残る部分は残るもんだ(^^) ちなみに、私は自分の記憶力には自信が無いので、後で振り返りたいと思った時は、広告紙を小さく切ってそれを本にはさむことにしてる今日この頃。図書館に返す時にはずす。はずす時に、その頁を読み返すけれど、意外と、再度振り返る価値があることとか、心に残ったのに記憶してなかったってことは無いもんだ。
 「面白い本は誰かに伝えたい」時に≪パソコン通信≫を持ちだすのは時代だねえ♪ でも、Niftyで、じっくりと感想を語り合うという悦びを知ってしまった身にはこれもよくわかるわ♪
 

○広河隆一「暴走する原発 チェルノブイリから福島へこれから起こる本当のこと」(小学館)

 骨子となっているのは、二章から六章、「チェルノブイリの真実」(1996年講談社)に一部加筆した部分。一章は雑誌「Days Japan」5月号記事への大幅加筆。「はじめに」と「おわりに」は、福島での事故が起きてからの書き下ろし。

 チェルノブイリでの取材に賭けまくった著者が、福島でも駆けずり回ってる。


○田中優「原発に頼らない社会へ こうすれば電力問題も温暖化も解決できる」(ランダムハウスジャパン)

 2010年刊行の「ヤマダ電機で電気自動車(クルマ)を買おう」に福島第一原発の事故に関する記事を加えて改題・加筆して出版された本。


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2011年7月26日 (火)

ガラかめ47巻ーーーついにやってきた両想いの日

 美内すずえ「ガラスの仮面」47巻を買ってきた。

 オビは、熱心なファンに、≪ガラかめってのはネタ漫画ですよ!≫と訴える内容のものになってますなあ。ファンが自虐でネタ漫画扱いするのはともかく、公式サイドでそんなことしていいものなんだろうか?速水真澄Twitterも、キャラクターの性格が反映されていない、出来の悪い文章だけど、クリアケースの付録にする等の形で公式で推しているし、原作者も面白がっている。そんなふうにネタ漫画扱いしながら、白泉社や原作者は、原作が完結しない事態について
「まあまあ、そんなにきりきりしないで。所詮はネタ漫画なんだからさぁぁぁ」
という方向に持っていこうとしているのかしら。そんなふうに勘ぐってしまう。

 私はガラかめをネタ扱いして大笑いはするけれど、それは熱心なファンだからこそでもあるので、創り手側から熱心さを嘲笑われる事態がつくられているのはあまり愉快ではないなあ。

 と、愚痴を最初に書いてしまったけれど。

 とりあえず祝杯あげましょうかね。
 速水真澄が北島マヤへの愛を自覚したのは17巻だった。
 それから、30冊目にして、ようやく、二人がお互いの想いを確認し合う日がやってきたのね(笑)
 実際に流れている年月も三十年くらいたっているような気がするのは、なんなんだよ、と思うけれど(^^ゞ

 今回は、女優北島マヤを描く場面はほとんど無く、ただただ、恋愛面のみで流れていった巻だった。女優・北島マヤについては、桜小路くんの一真についてマヤが、どんな一真でも自分は受けてみせると決意している部分くらいかなあ。マヤの演技がどんなふうに動いても、姫川歌子や姫川亜弓がどんとうけとめるというエピソードはあったけれど、マヤの側がそういう立場に立つってのは新鮮といえば新鮮。でもきっと大した意味は無く、受ける側にまわった女優・北島マヤについて描かれることはどうせほとんど無いんだろうなあ・・・・・・。美内すずえが三十年以上描いているのは、熱血漫画ではあるけれど演劇漫画ではないからなあ。学園での一人芝居や「真夏の夜の夢」なんかでは、舞台を創ることの面白さを結構描けてたとも思うんだけど、最近はそういった点では本当にダメダメな印象。「紅天女」は作中では幻の名作にとどめておくべきだった。描いてしまうから、紅天女という物語が薄っぺらく見えてしまうことになり、作者の力量の減退も重なって、演劇漫画としての側面ではつまらなさが増してしまってる。

 まあそんなわけなので、演劇漫画としてどうこうというよりは、長年ウォッチを続けてきたじれったい恋愛がどう動くのか、に関しての方が、興味が動いてしまうのだ。だからこそ、いろいろと楽しかったこの47巻。この後はまたしばらくつまんないうざったい展開になりそうでもあるけれど。 

 以下、恋愛部分について、今回の巻で目についた部分の感想なども。
 なお、雑誌連載中の感想については、ここココにも書いたりしてます。

●速水真澄さんのお金でドレスアップしたマヤの姿

 薔薇のイヤリング、薔薇のネックレス、薔薇のブレスレット、薔薇飾りのついた靴、薔薇模様入りハンドバッグ。そして、胸にかすかに谷間が見えるようなドレス(笑) 
 雑誌で見た時、ドレスの胸のふち部分にも、薔薇柄のスクリーントーンを使っているのではなかろうか??と疑って必死に目をこらしたんだけどよくわらからなかった。コミックスだと当然、黒くつぶれてしまってて全然わからない。

●抱擁中の睦言加筆

 速水さんがマヤに対し、いつから自分がイヤでなくなったのかと問う場面、マヤが答える場面が追加されている。
 あくまでも、変化の状況についてはうやむやに答えるマヤ。あまり追及しない速水さん。

 あんまりちゃんとした受け答えになってないんだけど、幸せだからいいのか!?

●名前呼びに関する加筆

 速水さんがマヤに、これからはチビちゃんとは違った呼び方にすると宣言し、呼ばれたマヤが真っ赤になった後。
 速水さんがマヤに対して、これからは自分のことを冷血漢、ゲジゲジ、冷血仕事虫、その他の呼び方をするなと言う場面が追加されてる。

 ・・・・・・・・はあ、そうですか。それ以外に語り合わなきゃいけないことが山ほどあるだろうに、この二人は。幸せそうにじゃれてるからいいのか?


●伊豆の別荘デートお誘いへのマヤの反応

 雑誌でマヤが「はい」と答えた時、疑った人は多かったはずだ。
 マヤは、その別荘で二人きりで過ごすということの意味をわかっているのか?
 ただ、海辺で蟹と戯れながら文字通りあははうふふとはしゃいで過ごすだけのつもりでOKしたんじゃないのか?

 コミックスのマヤは理解していた!!!!!(笑)
 「きっとその夜は帰れない!」と気付いて真っ赤になりつつ、自分も一人で行くと返事をしてた。

 どこで何を覚えたのか、ちゃんと成人した女の子してるのねえ・・・・・・・・・。

●婚約解消前触れ

 雑誌では速水さんはまず紫織さん個人と対決してたかと思うんだけど、コミックスではまだそこまでは描かれず。かわりに、結婚式の詳細な計画について語る水城さんに対し、速水さんがキャンセルの場合の事態を想定するように指示をする場面がはさまれる。

 それにしても、派手な結婚式のご予定だこと。
 引出物に二人のイニシャル入りのバカラのワイングラスという計画に関しては、いかにも成り上がり者的な品の悪さに目を疑った(笑)

●蛇足のおまけ

 最後に、蛇足の感想。

 少女物において、王道展開ではあるが私の逆ツボをついてしまうという設定がいくつかありまして・・・・・・・・・。

 相手の男性を意識はしているものの、その感情が恋愛感情であるとは自覚できてはいない状態のヒロイン。
 男性はヒロインへの恋愛感情を意識はしているものの、ヒロインから想われることに関しては諦めの感情がある。
 そんな状況の中、その男性のもとに、婚約者なる女性が出現。
 その婚約者の登場により、ヒロインは男性への想いを自覚しはじめる。

 よくある展開。でも私、この展開が大・大・大嫌い!!!!
 婚約が成立してしまったら、それを解消する過程の中で、男性のキャラクターの魅力を保持し続けるのって難しい。他に好きな女がいるなら、テキトーな婚約なんかすんな!一人でい続けろよ、片想い抱えてただ苦悩し続けてろよ、と思っちゃう。
 なのに、結構、好きな作品の中でこれがよくあるのだわ(涙)
 ガラスの仮面もそうだし、「花咲ける青少年」もそうだったし、実写版「美少女戦士セーラームーン」もそうだったなあ。

 速水さんは婚約なんてすべきじゃなかった。彼は選択が許される立場にいたのだから、拒絶すべきだった。
 ストーリー上、どうしても婚約させなきゃいけないんなら、あくまでも、ビジネスライクに彼は動くべきだった。下手に誠意なんてもんにこだわるから、相手の女はその優しさを愛情と勘違いしてしまった。そうした状況からの婚約解消は、どう動かそうとも男をつまらない性格に見せてしまう。

 時をもとに戻せるのであれば、何十年か巻き戻して、紫織との婚約話はなかったものにしてほしいわ、全く・・・・・・・。

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2011年7月17日 (日)

「三銃士」初日観劇記

 日曜日の夕方。
 ミュージカル「三銃士」の初日を観劇してきた。
 帝国劇場1階後方席センターブロック上手寄り席。

 原作は既読。高校生の頃に読んだ。
 「二十年後」以降については「鉄仮面」の部分しか読んでないけれど^^;;;

 デュマの小説ではじめて読んだのは「黒いチューリップ」だった私、この「三銃士」のいい意味でも悪い意味でも大らかで大味な作風にはいろいろとびっくりしたもんだった。「黒いチューリップ」はもっと繊細だぞ^^;
 でも、大味でもぐいぐい読ませる妙なエネルギーがある小説ではあった。

 そんなわけで、以下、原作、舞台ともにネタバレの方向の感想になります。


◆原作感想と映像化などの思い出

 原作では断然ミレディが好きだった。あの強烈な悪女っぷりが。
 
 他のメディアで見た最初の物は、宝塚歌劇団の生徒さんがフジテレビの宝塚番組で演じた三銃士だったかな。アトスのシメさん(紫苑ゆう)が渋くてかっこよかったのだ。
 マイケル・ヨークのダルタニャン、フェイ・ダナウェイのミレディ、チャールトン・ヘストンのリシュリューといったキャスト陣の映画はテレビで見た。コンスタンスがセクシー部分をやたらと強調されたアホヒロインだった(^^ゞ
 NHKアニメは存在は知ってたんだけど、三銃士の一人が男装の麗人という設定にびっくりし、その声優さんの声がちょっと苦手というのもあったりしたので見ないままになってしまった。
 最近ではやはり印象的だったのが三谷幸喜脚本の人形劇。前半はすごく楽しかったんだ♪ 物語世界にそぐわない反戦劇が入り込んできたり、強引な大団円に持ち込まれたことで、終盤が無惨な物になってしまったという印象だったけれど。レギュラー声優陣の声芝居が一人の例外もなく強烈にうまかったことに感嘆。

 このお話って、基本は活劇≪少年ダルタニャンの冒険≫だと思うのだ。現代的なモラル意識とかに合わせると世界が壊れると思うのだ。剣で戦うぜ、偉くなるぜ、オレは男だ仲間と力を合わせてガンバルゾーのノリで突っ走ってる活劇だと思うのだ。だから、物語の基調はコミカルで正解だと思うのだ。 
 描かれた時代のためか、物語を書いたデュマという人の道徳観・男女観がそもそも妙であるためか、物語を貫く論理にはいろいろ納得できない部分も多い。アトスとミレディの関係は、非常に興味深い展開を見せる軸の一つなのだけど、作者の考え方が現代的な道徳観・男女観とは大きく異なるためもあって、納得できない部分も多い。だから、様々な脚色でこのへんは相当に手を入れられることになる。


◆観劇直前の動揺

 プログラムをぱらぱらとめくった。
 
 ナンバーの一覧と、その歌い手を見た。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 プリンシパルのお名前が一人、そこにはなかった^^; 他のプリンシパルは、最低一曲はお名前があるのになあ。
 うーーーーーーーーーーーん。


◆セット

 全体的に簡素。

 オケは舞台の手前に。そしてさらにその前に、宝塚歌劇でいうところの≪銀橋≫が設置されていた。帝劇に銀橋って懐かしいなあ。「十二夜」でもあったっけ?「She Loves Me」でも。

 三銃士は動きが多いお芝居なので、客席通路使用演出多用かもしれない、みたいな予想をしていたのだけど、客席通路使用は無し。そのかわり、銀橋での見せ場がたっぷり。今まで帝劇で設置された銀橋の中では一番効果的な使われ方をしていたんではないかしら。
 客席通路使用演出は、一階席で見る分には楽しいのだけど、二階席で見るとさびしい気持ちになる演出なので、これは良かった♪
 三銃士みたいな、無意味に派手な動きのある物語には、銀橋という空間の存在はとても似合っているとも思うし。

 カーテンコールでも、銀橋にプリンシパルが並ぶ。
 宝塚みたい(^^)


◆物語の全体的印象

 もともとの物語がラフで、かつて描かれた頃の道徳観や男女観と現代の道徳観・男女観が大きく異なっていることもあり、かなり大きな脚色・改訂が加えられることもある、この「三銃士」という物語。
 一番新しく見たところでは、三谷幸喜脚本のNHK人形劇の脚色が、終盤かなりぶっとび脚色になっていたりしたものだった。
 さて今回はいかに。

 と、期待半分不安半分で観劇にのぞんだのだけど。

 意外と、原作に忠実。ぶっとび三銃士ではなく正統派三銃士だった。
 一番の違いは女性キャラの描き方かな。原作のコンスタンスは無個性お約束型ヒロイン。原作のミレディはバリバリの悪女。原作のアンヌ王妃の描き方には、国王と国王への忠実な銃士達を描きたい著者の苛立ちが反映されていた。そのあたりがかなり改訂されている。
 特にミレディ。
 あれはもう、全然、悪女ではなかった。生き方を変えざるをえなかった哀れなオンナ、と改変されてた。


◆ダルタニャン

 可愛い。キャンディードよりもさらに可愛い。
 そして、他キャラとのからみもすごくテンポが良く可愛さと楽しさを倍増させている。
 
◆コンスタンス

 原作では、無個性お約束ヒロインで、しかも人妻だったりするけれど。
 舞台のコンスタンスは未婚だった(笑) お金のためにボナシューと結婚しようとしていて、でも、ダルタニャンとの出会いをきっかけにそれを後悔し、自分ならではの生き方をしようとしている。
 可愛い、王妃おつきの女の子だった。正統派ヒロインだった。宝塚時代は、歌声は絶品だけど、芝居となると魅力がいまひとつ前面に出ないなあ、みたいなもどかしさをよく感じたけれど、今回のコンスタンスという役には、生き生きとした若さを吹き込んでいて、なかなか良かったんではないかしら。ダルタニャンと二人、お花畑カップルなんだけど、醸し出す雰囲気がとても可愛いので、どっかいってくれという気分にはさせられない。


◆三銃士

 少年ダルタニャンの前に立つ、見本となる素敵なおっさん達。
 ちょい堅物のアトス。陽気なポルトス。端正なアラミス。橋本さとしさん、岸祐二さん、石井一孝さんという人達がぴったりはまっていて、なかなか面白い並び。1+1+1が3になっているか3より大きくなっているかは見た人によって印象が異なるかもしれないけれど、妙に視覚的印象がでこぼこした並びっぷりが私には結構ツボにはまった。背は三人とも高いんだけど、ビジュアル的印象が皆、全く違うのよね・・・・・・。発声もそれぞれ異なる三人なので、三重唱も、合っているのか合ってないのかよくわからない、それでいて妙に面白い声の重なり方。
 ダルタニャンとの出会いの場面のかけあいはテンポが良くて、それぞれの個性がしっかり出てる。

 三人の中で一番おいしい役になっているのは、ミレディとの過去が描かれるアトス。 しかし、アトスがかつての彼女を想って歌う「クリスタルの天使」という歌は、歌詞がこっぱずかしくて逃げ出したくなった^^;;; シャウトするさとしさんの歌唱は好きだけど、でもやはり逃げたくなる恥ずかしさ・・・・・・・・。いい年をした男が、過去の女を思い返すにあたってその女をクリスタルの天使と表現する、そしてその女の現在の現実の姿が天使とはかけはなれたアレであるという事態が招く、ものすごい恥ずかしさ(^^ゞ

 因縁のある二人がようやくようやく舞台上で再会するのは、悲劇が一つ引き起こされた直後というのは、悲しい展開ではあるなあ。ただこのあたり、ミレディが悪女ではなく哀しい人生を強いられて生き方を間違えた女として脚本が書かれていたため、アトスの哀しさや切なさが割をくった形になってしまっていたかな。

 
◆ロシュフォール

 歌は無かったけれど、出番は多かった♪ プログラムを見た時のプチショックはすぐに忘れた。贔屓目なしで見てもかなり印象的だったんではなかろうか。黒衣。隻眼。立ち回りたっぷり。銀橋の上でも立ち回りしてくれっちゃったりしたので大興奮さ♪
 役作りは、この舞台のコメディ色を大いに高めるような方向性。だから、お馬鹿で可愛いロシュフォールになってる。活劇多くて、華やかに動いている姿を山ほど見られるので、楽しい時間が過ごせる。


◆ミレディ

 原作の稀代の悪女ミレディーがぞくぞくするほど好きだ。
 そりゃもう悪い女でねえ。幽閉された塔から逃げるために、牢番を念入りに騙すあたりとか、もう大好き(笑)

 原作に比べると、舞台のミレディは、全然、悪女ではない。
 生き方をかえざるをえなかった女だ。哀れな境遇の中で一生懸命いきがっている女だ。たった一つの真実の愛の記憶にすがっている可哀そうな女だ。

 なるほど、こういう脚色なのか。

 アトスとミレディの過去というのは、この物語の肝の部分なので、脚色がいろいろ入るというのはありだとは思う。ミレディが悪女すぎると彼女にこだわるアトスは馬鹿に見えるし、かといってミレディの生涯を哀しく描きすぎると彼女を突き放したアトスがただ冷酷で物知らずに見えるし、なので、加減が難しい脚色だなあとも思うのだけど。

 ミレディの百合の花の烙印について、仕方が無かった、そうならざるをえない哀れな運命だった、という方向性の物語にするのであれば。
 百合の花の烙印を知ってしまった時のアトスの反応も、もう少し違うものであるべきだったとは思った・・・・・。人形劇の三谷脚色はそのあたりに工夫が入ってたよなあ・・・・・。
 折角切ない方向に物語をもっていこうとしているのに、妙に中途半端なのがもったいないなあ。

 あさこちゃん(瀬奈じゅん)はさすが宝塚OG。剣さばきが綺麗だった。宝塚時代にフェンシングの場面があったっけっか?というと、記憶にのぼってこないんだけど^^; 足を大胆に見せるセクシー衣装もよく似合ってた。でも、そのお姿は、クリスタルの天使のなれの果てというよりは、そもそも、天使と表現されるのが大いなる誤りであったとしか思えなかったりも・・・・・・・・・・。


◆リシュリュー

 バリバリにロック系のナンバーがあったけれど、山口祐一郎さんの歌唱は、ロックというジャンルには合わないんじゃないかなあ、と。ロックを歌いこなす歌唱力のある人であのナンバーは聞きたかったとは思う。歌唱力があるとされている人でも、すべてのジャンルが卓越しているわけではないんだよな・・・・・・・。
 今までの祐一郎さんの枠を飛び越えてバリバリに歌おうとしている姿は、私は「・・・・・歌い方が合わない(:_;)」ともどかしく思ったけれど、それは少数派感想だったみたいで、客席は大喝采&大拍手。

 
◆ルイ十三世とアンヌ王妃

 今拓哉さんが、こんなふうに、高貴でちょっとおっとりした感のある王様の役ってのが新鮮で面白かった。

 アンヌ王妃のシルビア・グラブについては、最初にキャスティングを聞いた時は
「??????? ミレディーの方が合ってるんじゃないの?」
と思ったものだったが、舞台を見て納得。悪女でなく哀れな過去を抱えていきがっている女よりは、権力抗争が繰り広げられる宮廷の中で強くしたたかに生きる女の方が、彼女には合っている・・・・・・・。三人の女性キャラの中でただ一人、今後を生きていく人であるという強さがぴったりだった。


◆役者と従者

 サカケンさん(坂元健児)にどんぴしゃりの役がきたーーーーーー♪♪♪♪♪
 今まで
「TSのサカケンさんは素敵なのに、東宝のサカケンさんはなぜ?」
とずっと思ってたんだけど、ようやくようやくようやく・・・・・・・・・・。

 この世界の世界観を語り始める役者。コスプレ役者(^^ゞ 扮装が醸し出す雰囲気が合い、そして、滑舌が良く、キャラクターが即座に伝わってくる語り。一瞬で観客をサカケンワールド(*^^*)にひきずりこむ引力。
 バッキンガム公の従者ジェームズとの二役だったが、こちらも素敵。なにあの髪型。口調は冒頭の語りの役者と同じなんだけど、同じでありながらもこちらはこちらでキャラを確立させていてすさまじく楽しい。


◆舞台の全体的印象

 キャンディードほどではないとはいえセットはかなり簡素ではあったけれど、とにかく出演者がミュージカルとしてはすごい面子になっているので、とにかく楽しい超豪華活劇舞台!という印象になった。大人数が舞台上にいることも多く、メインキャラが大勢舞台上にいてそれぞれ楽しい動きをしていることも多く、どこを見たらいいんじゃ!?状態。

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2011年7月14日 (木)

SWANモスクワ編読んだーーー2011年夏号

 土曜日にスワンマガジン最新号を買ってきた♪

 土曜朝10時に、最寄駅近くで絶対に買わなきゃいけないものがあって1時間近く並んでたら、暑さのせいか気持悪くなってしまい、
「すぐに座りたい!! 家まで歩いたら10分。電車の椅子ならもっとはやく座れる。よし、電車に乗っちゃえーーーー」
と考え、スワンマガジンを発売している本屋への電車移動。スワンマガジンおよび雑誌「ミュージカル」7月号を購入。

 今回は「アグリー・ダック」公演前の、登場人物達(真澄、レオン、リリアナ、セルゲイエフ先生)の思いを描く回。

 ネタバレ全開で、展開メモと感想を書き連ねておきます。


◆表紙のレオン&真澄は「ドン・キホーテ」のバジルとキトリ

(感想)

 この二人って、稽古場ではドンキを踊るけれど、公演で踊ったことはまだ無いですよね?ニューヨークではバランシンのシンフォニーを公演で踊らないと決まった時点で、ドンキを踊る予定もとんでしまっただろうし。
 でも、この二人の組み合わせで是非見たい公演演目かっていうとちょっと違うんだなあ^^;;;
 ふと思ったんだけど、バジルとキトリって、レオンとラリサでも結構合うんじゃあ?

◆ボリショイの公演「スパルタクス」で踊るラリサとマクシム

 マクシムがスパルタクス、ラリサがスパルタクスの妻フリーギアを踊っている。
 アグリー・ダック公演直前ではあるが、真澄とレオンはラリサの招きに応じて客席で観ている。
 フリーギアのラリサの踊りはなめらかで優しい。パートナーが愛するマクシムだからラリサの表現が広がったのだろうか、と考え続ける真澄。ひるがえって自分は、レオンへの気持を感じまいとし続ける日々の中で一体彼とどんなアグリー・ダックを踊る気だったのだろうと思い悩む真澄。
 公演は大成功。マクシムは反体制的なダンス・グループへの所属さえなければソリストではなくとうにプリンシパルだろうに、と、人々に噂されている。

(感想)
 オディールや火の鳥のような強い踊りが得意で、レ・シルフィードではあまり印象に残らなかったとされているラリサ。どうやら、踊って魅力的に見える役の幅が広がってきている模様?

 客席にすわるレオンの格好はバレエを観る者としては結構ラフ。

 スパルタクスって、真澄がはじめて見たレオンの踊りだったけれど、そういったことへの追想はなかったりするのね^^;;;;;


◆ナターシャおばさんの家での夕食会。

 リリアナとその家族、ナターシャおばさまと夫のワシーリィ、真澄とレオン、セルゲイエフ先生、ラリサとマクシム。
 料理したのは、リリアナのママとナターシャおばさん。
 リリアナの弟ミハイル(愛称ミーシャ)はモスクワバレエ学校の6年生。真澄がはじめて会った時のふわふわした天使っぽさがほとんどなくなり、いかにもレオンと気が合いそうな小生意気なガキンチョに成長してる。
 マクシモフ氏が真澄とレオンに、ドイツに戻った後の計画、踊りたい作品の方向性について尋ねる。
 真澄は、まずは自分のアグリー・ダックを成功させて、その後のことは二人で自然に考えていきたいと答える。
 レオンは、自分に合った作品を持つバレエ団、有能な振付家のいるバレエ団に興味があり、その希望を真澄に強いるつもりはない、真澄とこの先もパートナーを組むかどうかはまったくの白紙であると答える。真澄は衝撃を受ける。マクシモフ氏はパートナー固定化しないことは可能性の幅を広げると肯定、セルゲイエフ先生は思い悩むような表情で沈黙。ラリサは「暗にパートナーシップの解消を示唆する言い方よね」と、青ざめている真澄の隣で喧々した口調でレオンに突っかかる。レオンはラリサとマクシムの関係について、ラリサがいつも優位に立ってるのはバランスの悪さのあるパートナーシップでないかとやり返し、ラリサは怒るがマクシムが笑いながらなだめ、リリアナはラリサとレオンが仲良しで羨ましいと笑う。セルゲイエフ先生は、「人が深いレベルで決めている事を変えることは・・・・決して出来ない」「自分に出来る事があるとしたらそれを受け入れる事だけだ。受け入れさえすれば現実は違って見えるようにもなる」と語り、リリアナの父母が、理解しあえる友人や家族と時間を分かち合う事への悦びを語る。
 リリアナが突然、皆への愛と感謝と自分の幸せを語りだす。

(感想)

 ラリサとレオン、確かに仲がいい(笑)
 真澄とレオンよりも、よほど性格的相性がよいんではなかろうか。レオンみたいに壁をつくりたがる男に対しては、ラリサのようにずんずん突っ込んだ喋り方をする人の方がよいんではなかろうか。
 真澄はレオンに対して遠慮しすぎ。殻にとじこもりすぎ。セルゲイエフ先生に対して素直になれるほどにはレオンに対して心を開き切れてない。

 親しい家での夕食会とはいえ、レオンの格好はかなりラフ。もこもこしたセーター。ディナーや劇場行きのための服を彼はモスクワに持ってきてないのか?でもまあ、マクシムもラフな格好だし、マクシモフ氏もちょっとラフだからいいのか?女性陣はそれなりにお洒落してるし、ミーシャは正装っぽいんだけど?

 真澄が当然のようにレオンとのパートナーシップ継続を考えていることを皆の前で表明しているにもかかわらず、そんな真澄の思惑を勝手な思い込みと落とすかのごとく、皆の前でパートナーシップ継続については白紙と言明するレオンって、ひどすぎない?そこまでひどいことをしてもいいんだとレオンに思わせるほどのことを真澄はしているの?ラリサがちくちくやりたくなるのももっともだ。ラリサ、もっとやってくれればいいのに。

 そうした身勝手さも含めて、モスクワ編のレオンはプライベート面での魅力を発揮しきれず、以前の連載時に発揮してた魅力に頼り過ぎている部分が大きいと思う。アルマとの関係について真澄に言葉できちんと否定しないで真澄との関係について真澄一人のせいにしているのもマイナスポイントだ。この先、彼は挽回できるのか? ニューヨーク編での彼は、自分から動けずにいることの馬鹿さ加減について、もっと自省できていたのに。

 セルゲイエフ先生の語りは、誰に対する言明なのだろう?真澄?

 真澄は主人公ではあるけれど、反省・自省しなければいけないのは、常に真澄なのだろうか????
 レオンがもっとプライベートな感情においても素直だったら。先生が二年前に真澄のパートナーとして踊ることを厭わなかったら。

 天使リリアナが皆にもたらす幸福な空気により、死亡フラグが思い切り示唆されてる・・・


◆ディナーに招かれた客が帰る前に眠ってしまったリリアナ。

 セルゲイエフ先生がリリアナをお姫様抱っこして上の寝室へ連れて行く。

 真澄&レオンと別れた後、
「そんなにバランス悪いかなァ、私達」
とふとつぶやいて、マクシムを喜ばせているラリサ(笑)リリアナの天使っぷりに幸せな気分になっているマクシムだが、ラリサはリリアナの天使然とした姿に不吉な予感をおぼえている。


◆目をさましたリリアナとセルゲイエフ先生の会話。

 リリアナは、先生が何故、2年前のアグリー・ダックで真澄のパートナーとして踊らなかったのかを尋ねる。リリアナは、それが自分のせいなのではないかと気にしている。もし先生があの時に真澄と踊っていたら、真澄はもっと早く、あの公演でつかみかけていた光をつかんでいたのではないか、先生を真澄にとられたくないといった嫉妬心をあの時感じていたことに先生は気づいていたのではないか。ずっとそれを気にしていたリリアナ。 先生はリリアナに語る。あの時の真澄に必要だったのは、自分の助けではなく、真澄自身の力で変化を乗り越える強さであり、今の彼女だからこそ真澄はアグリー・ダックを踊れる。何よりもあの時の真澄は、真のパートナーと出逢うべき時がきていた。だから踊らなかったのだ、と。
「先生は真澄を心から愛しているんです・・・・ね」
「・・・・・・大切な教え子としてね」

(感想)

 ずるい男、セルゲイエフ先生(笑)
 一方の真実を語ることで、もう一方の真実を伏せております。
 真澄から踊りのパートナーという側面だけで見られて、プライベートな側面では相手にされていないという事態に悶々とした気持を抱えていたのは、レオンだけではないのにね^^;
 でも、そのへんのセルゲイエフ先生の葛藤にうっすら気づいてはいるリリアナ。

 2年前にセルゲイエフ先生が真澄と踊っていたら、真澄はアグリー・ダックを踊ったことを失敗と評されることはなかったかもしれないのに、ってのは、読者の抱く不思議ではありますよね。
 真澄を失敗させるというストーリー条件があったがゆえに、パートナーはレオンであっても先生であってもならなかったんだろうけれど・・・・・彼らの力量をマイナスに見せる描写は避けなければいけなかったんだろうけれど・・・・・・


◆ホテルへの帰り道を歩く真澄とレオン。

 マクシモフ氏が声をかけ、真澄に、すぐにドイツに戻るのではなくモスクワにとどまって、創作バレエをつくりたい、教えたいという思いを伝える。感謝の気持を伝えつつ、今はアグリー・ダックで頭がいっぱいで他のことは考えられないから考える時間がほしいと答える真澄。
 待っていたレオンの所に戻った真澄がそれを伝えると、レオンはマクシモフ氏の提案を受けろと言い、自分はドイツに戻ったらそのままハンブルクに行き、プリンシパルとして迎えたいというハンブルク・バレエ団のオファーを受けたいと考えていると言う。真澄がモスクワに残るのなら、自分は気がねなくハンブルクへ行ける、と。2年前に自分についてシュツットガルトに来た真澄に責任を感じてすぐには言いだせなかったけれど、自分達二人はそもそも何の約束もしてないし、アグリー・ダックが終わったら自分の事だけ考えてもいいのではないか、と。
 三日後が自分達の初日なのに、何故このタイミングでそれを言いだすのかと尋ねる真澄に、レオンは今夜だからこそ話すのだと答える。この先、どう動くかは真澄次第だ、と。
 ホテルのエレベーターの前で別れる二人。一人でエレベーターに乗ったレオンは、それまで浮かべてた笑顔から一変した、落ち込んだ表情に。
(俺だってこうして他人を簡単に心の外に閉め出してしまう事が出来るのに、どうして真澄だけを責められる・・・・・・!?)
(こんな出口のない感情の波から自分を解放するには、もう・・・・俺達、お互いを手離すしかないだろう・・・・・!)
 真澄は震えている。これは自分が招いた結果であると。自分がいまだにレオンに対して、自分に課した何かの枷をはずせないでいる、そのことこそがこの事態を招いた、と。


(感想)

 なるほど、レオンは、真澄の心から自分が閉め出されているのだとずっと思い煩い続けてきてたわけなのね(笑)

 このレオンの言いように対して思うことは二つ。

1)約束はあったと解釈してたんだけどな。強引に、なかったことにしようとしているレオンの口調はひどすぎる。雪のアンカレッジの夜に語り明かした話は、約束と言わずになんというの? 「オレがいる」「オレがみつけた、オレにしかできない」「(「私と踊るせいであなたまで世間からはじかれるかもしれないわ」と言われて)かまわないさ」ここまで彼が明言したからこそ、真澄はパートナーとしてのレオンをがっちり信じる二年間を過ごしたというのに?

 こんな男、ふられたって自業自得、と思ってしまうくらいには。モスクワ編のレオンは、レオンの男としての魅力を出せてないと思う。可愛いというよりは不甲斐ないというレベル。


2)でも、お互いのプライベートな感情はともかく、二人が個々のダンサーとしての資質をパートナーシップとは別の部分から見つめ直すことは必要な作業であるとは思う。

 レオンにとって真澄は、これ以上は無いと思える理想的なパートナーなのかもしれない。
 でも、真澄にとってレオンは本当にそうなのか!? 彼は本当に、真澄のダンサーとしての資質を生かす踊り手なのか?
 というのは、長らくの疑問だ。
 物語性が低めでダンサー自身の持ち味が軸になってくるような踊りにおける真澄を生かすにあたって、レオンは得難いパートナーであるのかもしれない。真澄の技術をより高くみせるための技量を持ち、かつ、真澄を自由な感覚で踊らせる。
 シンフォニーや牧神の午後において、相手がレオンでなければ出せない味わいを真澄は出した。でも、古典バレエのダンサーとしての真澄を生かすためにレオンはどうなんだろう?
 レ・シルフィードにおいて、真澄を最大限に生かすパートナーはレオンかもしれないと、セルゲイエフ先生や葵さんは思った。
 でも、稽古場で幾度も踊っているドンキは? バジルはレオンに最も合っている古典バレエの役の一つとして数えられるだろうけれど、真澄にとってのキトリは必ずしもそうではない。
 オデットとオディールの解釈において個性を発揮した真澄。おそらくはジゼルにおいても、京極小夜子の解釈の影響を受けながらも独自のジゼルをつくりあげていくであろう真澄。古典バレエのダンサーとしての真澄に合った役って、内因表現を重視するその種の役であると描写されていた。「春の祭典」の後にも言われてた通り、真澄はドラマティックバレエを踊るべき人だとも思う。でも、そうなると、レオンは果たして、本当に、合うダンサーなのか? ダンスールノーブルとしての資質もモダンダンサーとしての色香も兼ね備えていて、かつ、真澄の技術を最大限引き出す技術力を備えているセルゲイエフ先生の方が合ってたりはしない?(笑)

 今のままのレオンの個性って、ノイマイヤーの振付の個性に本当に合致するのだろうか? 私はノイマイヤーのバレエをそんなに沢山観ているわけではないけれど、ノイマイヤーのバレエって、物語性が高くて個々の踊り手が内因表現を高めていく作業をかなり必要としていくというような作風に思えたんだけど。

 真澄の成長の度合いにいろいろ思う所はあるらしいが、レオンだって、もっと試行錯誤を繰り返していいはずだと思う。
 まあとりあえずは、アグリー・ダックにおけるレオンの踊りっぷりを拝見させていただくことにしましょう(笑)それが見られるのは来年1月くらいかしら???

 ところで、未だにこんな感情のままとどまってる二人。
 一応、モスクワに来る前に日本で、ジゼルとアルブレヒトを踊って成功しているはずなんだけど、一体どんなジゼルとアルブレヒトだったんだか? アルブレヒトって全くレオン向きではないように思えてならないだけに、疑問がつのる。現在彼がもやもやと抱えている恋愛感情を乗り越えれば、もしかしたら面白いアルブレヒトが出来てくるかもしれないけれど?
 SWANという物語の主役はあくまで聖真澄であって、他のダンサーの役表現における成長の部分はほとんど描かれないけれど、パートナーシップというものにこだわった物語を続けるのであれば、真澄だけでなくレオンがバレエと対峙する姿ってのももっと見せてほしいと思うのだ。パートナーシップを恋愛感情の附属物として描くにとどまるのではなく。

◆新装版のアグリー・ダッグの初日。リリアナ主演日。

 公演直前のリリアナの楽屋を訪れる真澄。
 リリアナはひそかに、真澄に頼みたい事があった。
 今夜の舞台を最後まできちんと踊りたいが、もしも舞台上で自分に何かがあったらその時は真澄に代わって踊ってほしい、と。
 具合が悪いのならセルゲイエフ先生かマクシモフ氏にすぐに言わないとと心配する真澄に、リリアナは笑顔で言う。自分にはいつも代役がいてくれないので、今回だけは真澄に頼んでおきたい、と。
 約束に応じた真澄に、リリアナは笑顔で続ける。
「なんだか真澄にいろんな事約束してもらったけど、もう・・・・・これが最後だから」
 真澄は、「誰にも言わないで」というリリアナの言葉に、以前誰かに同じ事を言われた事がある、と、ふと思い出している。
 公演が終わったらリリアナに、今までリリアナがしてくれていたように心を開いて、セルゲイエフ先生やレオンのことを何もかも正直に話したいと思う真澄。
 真澄のモノローグ。
(私は・・・・・なぜもっと早く気づかなかったのか。あの人が出した・・・・・最後のサインに」
 そして、リリアナの踊るアグリー・ダックが始まり、次号に続く。

(感想)

 真澄がリリアナを「あの人」と表現するのは、真澄とリリアナの関係性とは合致しないような気もする。ここで言う「あの人」というのは、メインで言及しているのはリリアナのことではあるが、実は他の人について語っているということでもあるのだろうか?
 「誰にも言わないで」と言った人とも関係してくると解釈するのが正しいのかな?

 となると、真澄がレオンに対してつくってしまっている壁、真澄が封印している感情というのは、やはり、ルシィへの想いとかかわってくるということなんだろうか。そのあたりがきっちり描かれていくことになるのか?

 なんにせよ、リリアナがこの公演を最後までつとめられないというフラグは立ってしまったようだ。以前、ラリサが、リリアナには代役がいないということも語っていたし、代役問題というのが次回多分、大きくクローズアップされてきてしまうんだろう。

 願わくば。真澄とレオンの本公演をリリアナが観ることがかないますように。真澄が完成されたアグリー・ダックを踊ることを一番待っていたのは、リリアナなのだから。セルゲイエフ先生やマクシモフ氏以上の情熱を持って、彼女は待ち続けていたのだから。

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2011年7月13日 (水)

ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」を母娘で見てきた

 ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」を娘と一緒に見に行ってきた。

 赤坂ACTシアターで観劇した際の感想はこちら
 娘は「薔薇とサムライ」を見るのははじめて。
 早めに映画館に行って好みの位置の座席(最後列)を確保した後、バラサムカフェに行って、日輪の瞳ベーグルに、ローズヒップティーを付けたアンヌセットを注文。ハーブティーがあまり好きでない娘は、日輪の瞳ベーグルとジュース。合計額はアンヌセットと同じ価格だった。

◆娘の感想

「ポニーの人、歌うまいね。可愛いね」
「山本太郎、わかんなかったよーーー。メイクが濃くて」
「シャルル王子、面白かったね」

 「薔薇とサムライ」の舞台は未見で、ゲキ×シネではじめて見る娘。
 終わってから
「プログラムを、事前に見せないでいてくれてありがとう」
と言われた。プログラムに載ってる橋本じゅんさんの写真は、ある意味、強烈ネタバレ。事前に知らないで、お話の流れの中で見る方が絶対に面白い。隣席で、体を二つ折りにして大笑いしてた・・・・・・・・・。

 冠徹弥くん、教祖イコマノリユキの、シャウトするロックにも喜んでた。

 しかし、ストーリーに関する感想は言ってくれないなあ。「蛮幽鬼」を見た後に比べると、はしゃぎ度が若干少なめのような気がする。と思って、
「『蛮幽鬼』と比べてどうだった?」
と尋ねてみたら、
「分野が違うから比べるもんじゃないでしょ?」
と言われた。そらまあそうだ。

◆私の感想

 いろんな意味でくだらなさ大全開(笑)

 ゲキ×シネになる舞台って、今までは、悲劇であったり、切ない芯のある物語であったりしたから、ここまでお気楽にくっだたない展開でみちみちた物は実ははじめてなのかな。「五右衛門ロック」だって、物語を動かすのはクガイであったから、お気楽ストーリーとは言えない重みがあったわけだし。

 いや、アンヌも一応はいろいろ苦悩はしてはいるみたいなんだけど、アンヌの無意味なかっこよさに比して、アンヌの真摯な人生の悩みの部分が、こちらにあまり強く伝わってこないからこそ、お気楽ストーリーとして受け取ってしまう部分が大きいのかもしれない。この舞台って≪天海姐さん七変化≫を楽しむための舞台になってるからなあ^^;;;

 悲劇性の芯が無い物語であるがゆえか、脚本がもともとラフであるせいなのか、映像になると、一場面ごとの長さ、物語が動き出すまでの序盤の長さが結構気になりはした。舞台を見た時は、一回きり観劇だったということもあって、大きく気にはならなかったのだけど、ストーリーが既にわかっててリピートすると、冗長に見えるというのは少ししんどいかな。

 映像へのストレスは昔に比べると大分少なくなってはきている。以前は
「この場面はここが見たいのに!」
「ここはもっとひいて全体を撮るべき!カメラ寄りすぎ!」
というストレスが多かったんだ。
 カメラが寄りすぎないので、舞台上で使用されていた映像によるダイナミズムもよく伝わってくるし、ひいて撮るからこそわかる役者さんの存在感の大きさってのもあると思うんだ。

 海賊バルバの橋本じゅんさん七変化は、ゲキ×シネの客席でも、舞台の客席と同様、ものすごく受けてましたねーーーー♪

 カーテンコールで浦井健治くんがシャルル跳びを披露してくれなかったのが残念だわ。私が舞台を見た日のカーテンコールでは、浦井くん、跳んでたのに・・・・・・・・。

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2011年7月 1日 (金)

juillet

☆今月の観劇

 「三銃士」。帝劇で初日を観ます。原作は読んでるけれど、舞台については予備知識無し状態なので、どんな脚色になっているのやら、と、楽しみだなあ。出演者には好きな人がいっぱい。

 観劇ではないけれど。
 ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」を娘と一緒に映画館に見に行きます。スワンマガジン夏号の発売日のあたりに合わせたいのだけど、娘の期末テスト終了を待たないといけないので、スワンマガジン入手はおそらくは発売日翌週。


☆今月買う本・漫画

 ゴーストハント第5巻「鮮血の迷宮」。
 今回はどんな表紙なのか、楽しみ。

 別冊・図書館戦争Iの文庫版。
 収録短編が楽しみ。

 7SEEDSの20巻。
 ガラスの仮面47巻。
 ひかわきょうこ「お伽もよう綾にしき」2巻。
 漫画購入が結構多い月になる模様♪ 7SEEDSのために本棚のスペースはどれだけ確保しておいたらいいのかしら。BASARAより長くなりそう?

 川原由美子「ななめの音楽」1巻。
 この作品は雑誌で読んでないので面白いのかどうか知らないが、とりあえず久しぶりに読める川原由美子漫画なので。川原由美子漫画は私的には、あたりはずれも結構あるんだけど、あたりだといいなあ。過去作品では「ペーパームーンにおやすみ」「センチメンタル」「観用少女」が好き。

 「高橋留美子傑作集 運命の鳥」。これも雑誌チェックしてないのでちょこっと検索かけてみたんだけど、若干ダーク系? 高橋留美子作品は、明るい作品よりもダークな系統の方が好みなので、一応買ってみようかな、と。


☆今月見るテレビ番組

 6月下旬に地上波デジタル視聴環境完成。ものすごくぎりぎりだったな^^;

 無料で、地上波・BS・CSを受信できるチューナーをもらった。でも、CSについては、チューナーとセットのアンテナを購入するか、ケーブルテレビで追加契約をするか、といった対策をしないと結局は見られない様子。なので、今まで使ってたBS・CSチューナーを併用することにした。普段は地上波を見られるチューナーにつないでおいて、CSの番組を見たい時だけAVセレクターで切り替える。最近は、宝塚とフィギュアスケート以外でCS見ることもなくなってきていたので、まあなんとかなるかな。
 家族のために、とりあえず、新しいチューナーのリモコンの裏側に、チャンネルの合わせ方を記入した小さなタックシールを貼り付けた。

 7月開始のドラマはいまひとつ食指をそそられるものがないので見ないままになるかも。上川さん出演ドラマはあることはあるんだけど、さてどうしよう。

 フィギュアスケートのドリーム・オン・アイスのBSフジ放映はチェックする。地上波ではランビエールとボロソジャル&トランコフが全く放映されなかったんだもの(涙)小塚くんの滑りは、一蹴り一蹴りを眺めているだけでうっとりするような滑りだったなあ(#^^#)

 WOWOWで放映の野田地図もチェック。

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