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2011年8月

2011年8月31日 (水)

8月に読んだ本(物語)

 我が家の娘は十二国記未読だったらしく、今年の夏休みに入ってから読み始めた。はしゃぐ娘につきあってなんとなく再読。娘は、
「楽俊いいね。燕王いいね。延麒もいいよね。陽子かっこいい!『月の影 影の海』の前半みたいな暗めの話が好み。『東の海神 西の滄海』もすごく良かった!」
とはしゃいでおります。5冊読み、残りも夏休み中に読んでしまう予定だったようだけど、果たせなかった模様。でも、今現在、未読で、先にわくわくする状態だなんて羨ましいなあ。


●有川浩「別冊図書館戦争II」(角川文庫)

 発売日が入院中に来てしまったけれど、娘が本屋に足を運んでくれたので、遅れることなく読むことが出来た♪

 別冊はI、IIと出てるけれど、笠原郁のドタバタドキドキ牛歩恋愛話よりも、IIの方が好みだ。第一章の「もしもタイムマシンがあったら」で語られる緒方副隊長の不器用な恋物語が一番好き。だから、文庫のおまけでついた短編「ウェイティング・ハピネス」で、その後が語られているのが嬉しい!!!!

 文庫6冊にそれぞれついてたおまけ短編では、この巻に収録された「ウェイティング・ハピネス」が一番好きだったなあ♪♪♪
 稲嶺、玄田、緒方といった素敵なおっさん達を前面に出しての幕切れ。
 緒方の想い人登場を告げた玄田の言への稲嶺の最初の一声がいいですねえ(笑)

 竹内加代子が折口マキの紹介を獲得する過程ってどんな流れだったのかしら。
 インタビュー時点では、会話の流れを見る限りでは多分まだ、竹内加代子は、折口と図書隊の関係は把握していないように思われる。
 となると、インタビュー掲載の雑誌が出版された後、そのインタビューを読んだ竹内が、折口の過去の仕事にも関心を抱き、バックナンバーを何冊かめくっていたら関東図書隊について折口が書いた記事にばーんと出会った、なのかな。で、折口が緒方とどうやら直接面識があるらしいと気付いた竹内が、折口に連絡をとって「実はインタビューでお話したあの人は図書隊の・・・・」といった打ち明け話に踏み込み、折口が前のめりになるような勢いで協力やらアドバイスやらを申し出た、といった裏展開があるのかなあ(笑)自分が知っている者同士、好感を感じている者同士が実は、という流れは折口にとってはとてもうれしかっただろうし、自分自身と玄田との関係にも改めて重ねたりするものもあっただろうし。

 IIの主力内容である、柴崎&手塚の恋の成就の話も好きだ。なかなか素直になれない不器用なこの二人が可愛くて可愛くて。


◎ル・グウィン「ギフト 西のはての年代記I」(河出書房新社)

 2004年に刊行された、ル・グウィンのファンタジー小説。
 ヤングアダルト向けファンタジー・シリーズ「西のはての年代記」(The Chronicles of the Western Shore」の一作目。

 ≪西のはて≫の高地は、代々、ギフトと呼ばれる力を受け継ぐ領主たちが治めていた。カスプロ家の跡継ぎである少年オレックは、強すぎる力を持った恐るべき者として父カノックに目を封印される。

 ル・グウィンの小説って一時期、なんだか私にとっては異空間にいってしまったような感があり、近寄りがたいものがあったのだけど(ゲド戦記は1巻と2巻しか所有してないという嗜好の私(^^ゞ)、久々に手にしてみたこの小説は、初期に読んだル・グウィンの小説によく感じた、緻密でありながらもダイナミズムのある物語だった。


 あとがきで、2000年にハイニッシュ・ユニヴァースのシリーズの長編が刊行されてたということをはじめて知った。私がはじめて読んだル・グウィンの小説は多分、サンリオ文庫から出てた「辺境の惑星」か「ロカノンの世界」のどちらかだったような気がする。だから、なんだか懐かしくて嬉しい。翻訳が出てるのかどうか知らないけれど。


◎ル・グウィン「ヴォイス 西のはての年代記II」(河出書房新社)

 ≪西のはて≫の都市アンサルでは、侵略国オルドの圧政により、長い間、本を所有することが禁じられていた。少女メマーは、館に本が隠されていることを知り、当主である道の長から、ひそかに教育を受けるようになる。
 2006年刊行のル・グウィンのファンタジー小説。「西のはての年代記」二作目。

 一作目が少年主人公で二作目が少女主人公って、某○○戦記のようだわ(笑)


 シリーズ三冊目は今月中には読み終われなかったので、感想は来月に。


○辻村深月「V.T.R.」(講談社)

 「スロウハイツの神様」に登場する人気作家チヨダ・コーキのデビュー作。
 怠惰な生活を送るティーのもとに、三年前に別れた恋人、極上の美女アールからかかってきた一本の電話。「アタシの酷い噂話や嘘をたくさん聞くことになると思う。ティーにだけは知っておいて欲しいと思って。アタシは変わっていない」街に出たティーが友人たちから聞くアールの姿は、まるで別人のように痛々しく、荒んだものだった。

 チヨダ・コーキのデビュー作ってこんなふうなんだぁぁ。
 ちょっとイメージが違ったかもしれない(笑)
 ヒロインのアールは「スロウハイツの神様」の環とイメージが重なる部分も。デビュー作を書いた時点のチヨダ・コーキはまだ環とは全く出会ってはいないわけなのだから、アールってのはチヨダ・コーキの理想のタイプ、好みのタイプってことなのかしらね。環はきっと、アールに感情移入しやすかったに違いない。
 作品そのものよりも、「スロウハイツの神様」の登場人物達を思い浮かべながら楽しんだ。


○辻村深月「ふちなしのかがみ」(角川書店)

 ホラー系の中編五つ。
 最初に収録されている「踊り場の花子」が一番ホラーっぽいかな。部屋を真っ暗にして、頭の中で映像と音声を想像しながら読むと楽しいかも。
 「ブランコをこぐ足」は、アニメ「アルプスの少女ハイジ」の主題歌が不気味な使われ方をしている。この著者ならではの、クラスで上の方、下の方といった言い回しがあいかわらず・・・・・・・・。
 「おとうさん、したいがあるよ」は、最初はヒッチコックの「ハリーの災難」風かなあと思いながら読んでたんだけど、もっとずっと悪趣味だった(^^ゞ
 「ふちなしのかがみ」は深夜の鏡に願いをかける物語。アニメ「ムーミン」に、鏡を使った怖い話があったなあと思いだす・・・・・・・・。
 「八月の天変地異」は、友達がいないと同級生達に蔑まれている小学生の少年シンジとキョウスケが夏休みに経験した、素敵な友達をめぐる天変地異の物語。これはホラーではなく、後味が悪くないファンタジー系青春小説といったようなノリ。

○谷瑞恵「伯爵と妖精 情熱の花は秘せない」(集英社コバルト文庫)

 長いシリーズもそろそろ佳境?
 リディアとエドガーって、結婚したばかりの頃の記述を読んでいた時期には
「この二人ってもしかして、某シリーズのナリスとリンダみたいな結婚?」
と疑ったりしたものだったけれど・・・・・・・今回の巻を読んでいると、ちゃんと結婚してるんだなあ、と(笑)

○前田珠子「破妖の剣(6) 鬱金の暁闇 9」(集英社コバルト文庫)

 だらだら。

 まあとりあえず、ヒロインがちゃんとラエスリールに戻っていることには安心。


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2011年8月30日 (火)

8月に読んだ本(物語以外)

○塚田幸光「シネマとジェンダー アメリカ映画の性と戦争」(臨川書店)

 総括的なタイトルではあるけれど、内容は、研究書・雑誌などに載っていた著者のアメリカ映画のいくつかの作品に対する批評を集めた物。
 頁数の関係で割愛されたという、戦争映画に対するいくつかの分析、ヘイズ・コード以前にグレタ・ガルボやディードリッヒが見せてきたもの、ホラー映画に関してなども、一緒にまとめてあれば、このテーマを語る物としてはさらに面白かっただろうと思われる。 
 この本において語られる映画で私が見ていたものはヒッチコックの「レベッカ」のみだったので、その批評を中心に読んだのだけど。
 フェミニズム批評が果たしてきた業績を踏まえつつ、「レベッカ」という映画の語り口、視座、視点、視野を、物語を細かく細かく追いながら分析していく。セルズニックが映画制作において要求したものをヒッチコックが逸脱させていく過程、そこから立ち現われる多面性と違和感。
 

○萩尾望都「一瞬と永遠と」(幻戯書房)

 80年代後半ー2000年代前半にあちこち(季刊へるめす、ユリイカ、漫画文庫解説文、キネマ旬報その他)に掲載されたエッセイをまとめたもの。
 漫画文庫解説がかなり集められているので、手塚、大島弓子、和田慎二、坂田靖子、超人ロック、サイボーグ009などへの熱い語りを読みつつ、萩尾漫画の思考のルーツをたどることができる。
 映画・舞台についてのエッセイも沢山。
 表題のエッセイは、スタジオライフで「トーマの心臓」「訪問者」の公演があった時の宣伝用印刷物だったとのことだから、非売品???
 私はスタジオライフの舞台は三原順原作の「SONS」でしか知らないのだけど、演出・脚本の倉田淳という人が、単に台詞が原作に忠実といっただけにとどまらずに原作漫画に展開されていた世界観をも生真面目に真摯にうつしとろうとしている作風にうなったものだった。原作者とスタジオライフとの出会いという意味では、萩尾望都に関する出会いが一番強烈な出会いだったんだろうけれど・・・・・・なかなかすごい出会いだったんだなあ、とあらためて。


○広瀬隆・たんぽぽ舎「こういうこと。終わらない福島原発事故」(金曜日)

 広瀬隆氏の講演録。2011年6月刊。


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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2011年8月29日 (月)

ちょっと入院、すぐ退院

 8月に入ってから、食欲が激減。おかゆ、スープ、果物といった物以外が食べられない。一日に摂取する総カロリー量が、本来だったら一回の食事で摂取するはずの総カロリー量よりも少ないかなあといったような状態。

「運動しているわけでもないのに体重がすばやく減るのはありがたいかな。ただ、全然食べないのはしゃれにならない事態ひきおこしかねないから、ちょっと困ったかなあ」
とか暢気に思いながら半月以上過ごしてたんだけど。


◆24日(水)

 布団に横になっている分には問題ない。本も読める。
 しかし、起き上がって数歩歩くと、胃が気持ち悪くて耐えがたい。布団に戻って横になって、1時間以上待ってようやく吐き気がおさまるといった具合。
 当然、何も食べられない。幸い、吐き気はあっても嘔吐は無いので、水分はなんとかとれる。全然食事がとれないので、塩分やら糖分が含まれてる物がいいのかな、と思い、麦茶だけではなくポカリスエットも飲むことにしてみる。
 前日までの吐き気とはレベルが全く違う吐き気にうんざり。

 水曜午後は、主治医の先生の外来担当日だなあと思い出した。

 で、夫に付き添ってもらってタクシーに乗って病院へ。

 相当ひどい顔色でふらふらと歩いてたみたいで、病院入口に立っている職員の方に、
「車椅子使いますか?」
と聞かれた。
 その時は辞退したのだけど、外科外来待合室で私を見た看護師さんが、何も言わずのすぐに車椅子を持ってきてくれたので、素直に使うことにした。採血室まで車椅子。レントゲン室まで車椅子。そして、救急外来の部屋のベッドで休むことに。
 車椅子も必ずしも楽なものではなかったのだけど。振動が胃に響くのだ(涙)

 救急外来室は夕方はベッドをあけておかなければいけないらしく、診察のために外科外来までまた車椅子で移動。

 先生は、吐き気止めの点滴をうって帰宅するでもいいし、このまま入院していくんでもいいし、どっちでもいいよ、みたいなことを言う。
 いつもの私だったら絶対に帰ると答えるところなんだけど、とにかく胃が気持ち悪くてどうしようもなくて、口を動かすのが億劫だ。判断を夫に委ねてみたら、夫は入院を選択。

 まあこれからは、体調崩して入院して、少ししたら退院してってのを繰り返していくのかもしれないし、入院生活がどんな感じなのかは把握しておいた方がいいかもしれないな、みたいなことを考えた。

 緊急入院で大部屋があいてなかったため、ナースステーションのすぐそばの、手術直後の人のための部屋に入れられた。8年前に手術で入院していた時は、手術直後に入ったのはいくつもベッドが並んでる部屋だったが、今回私が入ったのは、ドア付きの個室みたいな場所。小さな流し台がついている。ずっとここでもいいかも(笑)でも看護師さんは
「大部屋あいてなくてすみませんねえ。明日手術の方がいますので、明日の夕方には移動できますから、それまでお待ちくださいね」
とのこと。

 夫はいったん帰宅して、入院用グッズを入れたバッグを持って戻ってきた。突然入院というのは大いにありうる健康状態なので、パジャマ、下着、ポータブルCDプレイヤー、歯ブラシ、ボックスティッシュ、タオル、コップといったような物はバッグに準備してる。自分のバッグだけだけど。突然バタバタってのは大変だから、夫用バッグや娘用バッグも準備しといた方がいいかなあ?

 吐き気どめの点滴のおかげか、少しだけ楽になってきた。
 トイレまでの距離は片道で徒歩15歩程度だけど、家にいた時よりは大分移動が楽になった。トイレへの移動の際の車椅子移動は断った(^^ゞ


◆25日(木)

 吐き気止めの点滴が大分きいたのか、午前中の体調はさほど悪くない。
「食べられそうだったら看護師さんに言って食事だしてもらって」
と、朝、様子をみにきてくれた主治医の先生に言われる。

 ・・・・・・・うん、食べられなくないかな、これなら。
 先生から看護師さんには伝達いかなかったようで、朝食は無しだったけれど。
 午前11時ちょっと前に、看護師さんに
「昼ごはん出してもらうことできますか?」
と尋ねてみたら、びっくりした看護師さんが食事出していいかどうか確認にいってくれた。
 そして、普通食かお粥かどっちにするか私に尋ねる。いやいくらなんでも普通食は無理ですってば(^^ゞ ここ半月くらい、普通のご飯なんて食べてない。

 てなわけで、お粥。
 積極的に食べたがったわりには、大量に残しちゃったけれど(^^ゞ

 でも、なんといいますか、食べた!という感覚ってのは精神的には有効なんだな。
 吐き気止めを処方してもらいつつも食べる。早く復活したいという意欲でいっぱい。
 なんとなく前向きな気分になってきて、昨日病院に来る際にバッグに突っ込んだ「西の善き魔女 外伝1」を開いた。

 夕方近くなってから、六人部屋への移動。といっても、患者さんは皆、常時カーテンを閉めている状態なので、挨拶をすることもなく喋ったりするでもなく。前回入院した時は、カーテンはあまり閉めず、同室の方ともちょこちょこお喋りしたりもしたけれど、今回は違うんだなあ。周囲の様子は筒抜けの狭い個室、といったような感じ?

 夕方、夫と娘が、入院グッズを入れたバッグに入ってなかった物をいろいろ追加で持ってくる。スリッパとかビニール袋とかウェットティッシュとか。荷物が多めなのでタクシーで来たらしい。夫が来ることはわかっていたけれど、夏休みの宿題と学校の夏期講習予習で忙殺されている娘が来たことにはびっくりした。しかも、
「毎日来た方がいい?」
と聞いてくれる。どう答えたもんか(笑)毎日来てくれたらそれはとても嬉しいことだけど、9/1に提出しなければいけない卒業論文がまだ手つかずに近い状態であることを私は知っているのだ(笑)構想は大体まとまってはいるようだけれど、文章はまだ白紙に近いはずなのだ。

 娘は、海街diary4冊と、遠藤淑子の漫画3冊と、シークレットガーデンのCDを数枚持ってきてくれた(笑)ものすごくぶっきらぼうな口調で
「いらなければ持って帰るよ」
とか繰り返し言う。素直でない反抗期娘の態度が可愛くて面白すぎる・・・・・・・・・・。

 しかも。本屋まで片道が徒歩10分くらいなんだけど。8/25発売日の「別冊図書館戦争II」の文庫版も買いにいってくれたのだった。普段だったら面倒がりそうなのに。私自身だったら「帰りに買って明日持ってくるね」とか言いそうなものなのに。
 反抗期娘が優しい。そんなに心配されるような事態なのか、私は。なんかちょっと違うような気もする。昨日に関しては入院もやむをえなかった体調のような気もするけれど、今日について言うならば、家で大人しく寝てるだけでいいといった体調のような????
 と言ったら夫に、
「少し元気になったような気がするのは点滴のせいだ。勘違いすんな」
と言われた・・・・・・・・・(^^ゞ

 伯母が見舞いに来たのにもびっくりした。しかも、週末に、妹、父も見舞いに来るとか言う(@_@。 なんか大事!? でも正直なところを言うと、お見舞いは嬉しいといえば嬉しいんだけど、気力と体力を消耗させるので、夫&娘以外の人が立て続けに入れ替わり立ち替わりってのはちょっと・・・・・・・・・。(我儘?)
 後から知ったんだけど、どうも主治医の先生が私のいない場で夫に、
「長期入院になるかもしれない。こうなってくると、これからはどんどん衰弱していくという可能性が高い」
みたいなことを言ったらしく、夫がそれをそのまま連絡したようで・・・・・・・・。

 長期入院?そんなことありえないですってば。私は9月に青山劇場に「髑髏城の七人」を見に行くのよ!!!! 吐き気さえおさまれば即退院よ!
 というか、既に吐き気は大分おさまりかけている感触だし。明日には退院したいなあ、とか言ってみたら伯母に怒られた(^^ゞ

「言わせてもらいますけれどね!8年前に手術で入院した時、本当だったら20日くらい入院しているものだと思ってたけれど、あなた2週間足らずで退院しちゃったでしょう!?ああいう無理がたたって今回入院になっちゃったんだと思うのよ」

・・・・・・・・8年前?なんでそんな昔のことを持ち出す?それ絶対関係ないと思う(苦笑)そもそも8年前なんて、点滴やドレーンが不要になった退院直前は、ご飯で胃もたれするし運動量が絶対的に少ないから体重もなんか増加しちゃうし。で、地下売店と病棟の間の移動にあたって、少しでもいっぱい動こうと思って、エレベーターではなく階段をせっせと上り下りしてた状態だったのよ。無理なんて無い無い。そんなお元気者がいつまでも入院続けてたら、他の患者さんの邪魔じゃないですか(^^ゞ


◆26日(金)

 吐き気止めはまだ必要だけど、食欲は大分戻ってきた。半分くらいは食べられる。お肉やお魚やお豆腐はちょっと無理だけど。食事残すのは大嫌いなんだけど、今回は胃の調子が悪くて入院なんだから、無理して食べるってのは体調を逆行させるし・・・・・と思い、食べ物が捨てられる事態に耐える。ああでも辛い。世の中には栄養失調で死ぬこどもが大勢いるというのに、自分自身は食事を捨てる側の人間であるというのは罪悪だよな・・・・・・(:_;) でも、食事をすることで普段は罪悪感がごまかされているのだとしたら、それはそれでとんでもないことなので、罪悪感を感じるべき時にはきっちり罪悪感を意識して忘れないようにしておくというのも必要なのかな。ああああっでも食べ物捨てるのは本当に嫌だ。

 妹&伯母が見舞いにきてくれた。伯母が私の娘に電話。
「今すぐいらっしゃいよ。女三人で、外食でもしましょうよ」
と誘ったらしい。
 しかし、外食には至らなかった。

 電話してから約30分後。私が真っ先に気づく。

「・・・・・・・ねえ、これ、雨の音?」

 窓を見に行った伯母が絶句。とんでもない集中豪雨がいきなりなんだもの。

 そして、暫くしてからあらわれた娘は・・・・・・・・・。
 家から病院までは自転車なんだけど、あまりにも雨がひどいので、傘を開いて自転車ひきずって歩くことにしたらしい。傘差し運転禁止は一応守っている模様。が、傘なんか役に立つ雨じゃなかったようで。
 すさまじい濡れ鼠。Gパンから水滴が滴り落ちている(@_@。下着も指先だけで絞れそう。

 幸い、入院用グッズのバッグにはタオルやらティッシュやらが入ってる。(新聞紙も三日分あるけれど、新聞はまだ読んでないから使えない・・・・・)
 洗濯に持ち帰ってもらおうと思ってた、入院した日に着てた私の服もある。

 着替えさせて、その間、バッグの中身を出して絞ったりふいたりする作業。
 豪雨の中を自転車走らせてずぶ濡れ、という事態は、妹&伯母よりも私の方が慣れてたりするので(高校生の時、雨の日も風の日も台風の日も自転車通学してたから)、せっせと作業する私。安静はいずこ?(笑)図書館で引き取り手続きしてきてと頼んであった本は無事だったけれど、娘の数学のノートや学校の夏期講習のプリントはすごい濡れ方。

 いや、とんでもない雨でしたねーーーー。アメッシュの真っ赤な雲表示が見られないのが残念だったわ。
 夫がノートパソコンを持ってきてくれたのは、その日の夜だったので。

 夜中。もともとちょっとした音ですぐ目がさめてしまう方なんだけど。睡眠がさらにおかしくなってきた様子。午前3時頃から一睡も出来なくなってしまった。運動量が少ないから眠気がこないんだよなあ。仕方ないので灯りをつけて、新聞をまとめ読み。
 昼間見舞いに来た娘に
「なんか大きなニュースあった?」
と尋ねた時に、
「芸能人の誰かが引退だとかで、騒がれたり叩かれたりしているみたい」
とか言ってたけれど、それってこのニュースかぁぁぁ。
 カダフィはまだつかまってないのね・・・・・・。アメリカ大統領選が来年だってことを考えると、あまり早くつかまえると忘れ去られちゃうから、大統領選挙を派手に演出しうるような時期に逮捕劇が設定されるってことなのかもな。
 アメリカの東海岸で起きた地震ってのは結構気になるニュースだ。マグニチュードが5を超えないような地震で原発がストップしちゃうのね。
 地上波番組なんてどうせニュースくらいっきゃ見ない私、今回の入院ではテレビカードは買わないことにしたので全然テレビ見てなくて、ここ2、3日の報道をようやくこれで把握したのであった・・・・・・・。(8年前に全摘手術で2週間弱の入院をした時はテレビカードを購入したけれど、朝・晩7時台のNHKのニュース、大河ドラマ新選組第一回、実写版セーラームーン以外は、見舞いに来た娘が見たがるアニメ番組をつけただけ、だった。)

 
◆27日(土)

 朝食はお粥じゃなくてパンだった。パンだったら余りをとっておけるな、と思い、ジャムと一緒に袋に入れたまま保存しておいたら、昼に見舞いにきてくれた夫がご飯にしてた(笑)

 看護師さんが残食で状態チェックをしていることはわかっているから、勿論ちゃんと申告してますよ♪

 朝の回診は、主治医の先生。連日様子を見に来てくれてたけれど、正式に回診で会ったのはこれがはじめてかしら。
 退院日について話し合い。
「月曜日に退院したいです」
「え?せめて火曜日にしようよ」
「いえ、月曜日がいいです」
「なんで」
「いろいろためこんでしまっていまして」

 HDDの空き容量がもうやばいことになっていて、月曜夜に再放送の「獣の奏者エリン」の録画が危ないかもしれないことが気になって仕方がないというのはナ・イ・ショ(笑)
 まあそんなやりとりをして、月曜退院をもぎとりましたとさ。

 パソコンを見る気力が少し出てきたので、電源を入れた。
 ブログ更新をする気力はわかないけれど、mixiとtwitterにはちょこっと近況書き込み。
 おおっ、かなりすぐ反応がかえってきた。ありがとう。でも、ごめんなさい、すぐにレスする気力・体力はまだ無いかも・・・・・。
 26日(金)の帝国劇場の三銃士千秋楽で発表されたことを、この時にはじめて知った・・・・・・・。彼は博多座は降板か。代役出来る方がいるならそれがベストだなとは思うけれど、派手な立ち回りが好評だった役だったし、少し悲しい。でも、代役できる方がいたという事態に安堵と感謝も。博多座公演は休演日が一日しかないので、怪我をかかえて立ち回りを沢山するにはあまりにもハードすぎると心配していたのだ。

 夫が保険・共済の書類を持ってきた。自分にも理解できるように、書類を整理して説明してほしいと言われる。今までは私一人しかわかんない状態だったのだ。加入やら請求やら、全部私一人で管理しちゃってたから。そんなにいっぱい入っているわけではないんだけどね。今回の私が給付金請求できる保険と共済は全部で三つだけ。
 書類を整理しながら一通り説明。病気で入院してるのに、なんでこんなお仕事状態に?(苦笑)
 入院給付金でもらえるとおぼしき金額を把握した夫、喜んでる(^^ゞ
「こんなにもらえるのか。入院すると得するんだな」
「考え方が逆!今までずっと毎月払い込みしてきてるんだから、ちゃんと請求して取り戻さないと、『大損』なの!」
といったアホ会話。


◆28日(日)

 かなり食欲が復活してる。
 夕方には、一体いつ以来ぶりだろうといった空腹感。そして夕飯完食。

 朝食の食パン二枚については、一枚は夫にまわし、一枚は半分残したけれど(笑)

 父が見舞いにきてくれた。父と私の二人きり状況ってのは間がもつんだろうか、一体何を喋ったらいいんだろうか、と危惧したけれど、同じことを憂いてたのか、父は一人ではなく夫婦でやってきた(笑)


◆29日(月)

 主治医の先生は今日は回診には来ないだろうと思ってたんだけど。月曜でなく火曜を退院日にしてほしいと言ってたのは、多分、回診日の都合だと推測してたので。でも、回診という形ではなくちらっと私に声かけに訪れてきた。私以外の患者さんには声かけしてない・・・・・ってことは、本来は今朝は病棟に来る予定ではなかったということか????

 午前中に退院♪
 たったの数日の入院でシーツが大分汚れたなあ(^^ゞ 金曜日の豪雨で濡れ鼠になった娘がベッドに腰かけた際に出来たしみ。金曜夜に点滴漏れに30分以上気付かずにいて数か所つくってしまったしみ。なんか手がずぶ濡れ状態になるなあとか思ったら点滴漏れだったのよねえ。点滴がただの輪液で良かった。これが抗がん剤だったりしたら・・・・・と思うと、ぞっとするものが(^^ゞ

 タクシーで帰宅。

 前回の入院の際は、帰宅してすぐに自分で共済や保険の給付金の手続きをしたけれど、今回は夫が「自分でやって流れを把握したい」と言うので、おまかせすることに♪ 8年前に入院・手術して給付金申請した後は、ただただ払い込みをするだけだったがん保険で、ようやく給付金をもらえるーーーー♪ 共済は私が払い込みしてるんだけど、がん保険は夫が払っているので、夫は
「この給付金もらっていいよね?」
と聞く。はいはい、いいですとも・・・・・・・・・・(^^ゞゞゞ 私が受け取ったら娘の学費用に貯金。夫が受け取ったらマンションのボーナス返済用に貯金。家計にまわすっていう意味ではどっちも一緒。

 昼過ぎ。HDDの空きを確認。LPモードで30分!!! うわ、危なかった。月曜夜はいつも、銀魂とエリンを録画してるんですもの。エリンの録画失敗せずにすんだ!!!

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2011年8月17日 (水)

宝塚宙組「ヴァレンチノ」---二人の女

 日本青年館で「ヴァレンチノ」再々演版を観劇。

 「ヴァレンチノ」。演出家・小池修一郎のデビュー作であり、おそらくは最大傑作。 

 イタリアから遠い異国のアメリカ合衆国に渡ってきた青年ルディー。彼の夢は、アランチャ(オレンジ)。アランチャの農園を作って、アランチャで稼いで、そして、イタリアに置いてきた母を自分のもとに呼び寄せたい。資金をつくるために、まずはニューヨークの酒場で働く彼は、女性の心を鷲掴みにするような人気タンゴ・ダンサーに。外見ゆえに出来ること、全く裏腹の若い綺麗な夢。その不思議なアンバランスを演じる大空祐飛くんがすごく良い。ルディー、可愛い♪
 が。街の影のボスであるデ・ソウルの愛人のつかのまの相手となったことがデ・ソウルにばれる。(デ・ソウルの悠未ひろ君は、この種の役だと誰にも負けない存在感とかっこよさ。2幕が特に良かった)。ニューヨークにはいられなくなったルディーは、カリフォルニアへ。アランチャの夢に一歩近づこうとするが、特技といったらタンゴを踊るといった以外にこれといって無い彼が、仕事を探す際に紹介されたのは、ハリウッド映画のエキストラ。毎日仕事がまわってくるわけではない。二日間何も食べずに過ごす羽目になったルディーは、アランチャの香りに誘われて、ある屋敷の庭に入り込んでしまう。そこに住んでいたのは、シナリオライターのジューン・マシスだった。護身用の造り物の銃を突きつけながらルディーの話を聞いたジューンは、まだ決まってなかった映画「黙示録の四騎士」の役に彼こそがぴったりなのではないかと予感する。ジューンはわずかな時間のやりとりの中で、ルディーの中には、女を夢中にさせるラテンの男の香りがあることに気づく。ライターとしての彼女は、原石の彼を磨きあげてその部分で彼を売り出せる可能性に気づく。そして、ライターならぬ女としての彼女は、ラテン・ラヴァーの彼の内にある少年のような部分に惹きつけられずにはいられなかった。
 ジューンはメトロ映画の宣伝係ジョージ・ウルマンにルディーを紹介。役者として身なりを整えられたルディーは、ラテン・ラヴァー≪ルドルフ・ヴァレンチノ≫として新たな道を歩み出す。「黙示録の四騎士」のジュリオは大成功、続いてジューンがシナリオを書いた「椿姫」。その撮影現場で、ルディーは、新進デザイナーのナターシャ・ラムモヴァと出会う。ナターシャはルディーの中にインスピレーションの源を見出だし、ナターシャの積極的な接近でルディーとナターシャの距離は縮まっていく。
 ルディーの映画デビュー以来、ずっと彼を見つめ見守ってきたジューンは、ルディーとナターシャが男と女として近づいていくのをただ見つめていることしか出来ない。姉のように母のようにルディーと接してきていたジューンは、その位置づけを崩すことが出来ない。「椿姫」公開後、ルディーはナターシャの紹介でメトロ映画からパラマウント映画に移籍。移籍後の最初の作品「シーク」のシナリオはジューンが執筆する。しかし、ナターシャはルディーの作品のすべてをプロデュースすることを望んでおり、その次の作品「血と砂」を最後に、ルディーの出演作品にジューンがシナリオを書かないように仕向ける。
 ルディーとナターシャの結婚が発表され、ジューンはハリウッドから姿を消す。
 美とセンスの結婚と世間に騒がれるルディーとナターシャの関係。しかし、二人の関係がもたらした幸福感はほんのわずかなものでしかなかった。アランチャの農園、故国に置いてきた母を呼び寄せることを夢見るルディーの求めるものは、ささやかな家庭的な幸せだった。が、それはナターシャの求めるものではなかったし、そうした夢を持つルディーはナターシャが求める男ではなかった。ナターシャはルディーにインスピレーションを求めた。けれど、ナターシャが知っているルドルフ・ヴァレンチノの魅力の土台は、ルディーの魅力を知りつくしているジューンがつくりだしてきたものであり、ジューンを排除して新たなルドルフ・ヴァレンチノをプロディースしようとしても、彼をかすめとっただけのナターシャにはジューン以上に彼の魅力をプロデュースすることは出来ない。二人はそれぞれ孤独の中でもがき、そして結局二人の関係は破綻する。
 ルディーは、自分を最もわかってくれた女性ジューン、自分と最も親しい位置にいた友人ジョージのもとに再び戻って再出発したいと願う。ジョージのもとを訪れたルディーは、ニューヨークの街で≪ラテン・ラヴァー≫を思い起こさせる男性を描き続けるロマンス小説作家が活躍していること、その作家はおそらくはジューンであろうと思われることをルディーに告げる。
 
 再演版のナターシャだったゆきちゃん(高嶺ふぶき)は、女性としての押し出し、威圧感、自信をもっと前面に出していたような感があったけれど、今回みた七海ひろきのナターシャはもっと線が細い。以前見た「ヴァレンチノ」は、一人の男と二人の女の物語だったけれど、今回見た「ヴァレンチノ」では、ルディーとジューンの存在が突出していて、ナターシャの存在感は後退している。ルディーの魅力を自分こそが完璧に見せるのだと望みつつも、所詮はジューンの造り出した物の中であがくことしか出来なかった。その情けなさと哀しさ。

 一方のジューン。自分自身を見せることに関しては徹底して不器用で、ナターシャが女としてルディーに接近してきた時に、ルディーに対して姉のような存在であり母のような存在である場所からもう一歩踏み出してみせることが出来ない。シナリオライターとしてはルディーを知り尽くしていて、知り尽くしているということそれ自体がナターシャに敗北感を抱かせるほどの存在であるにもかかわらず。戦いの中でナターシャが自滅してしまったので、ジューンのもとにルディーは戻ってきたけれど、戻ってこないという道もありえたほどに脆い関係の男女であった二人でもあった。早すぎるルディーの死といった現実がなくても、男と女という形での二人の結びつき方は脆いままだったかもしれないと思わせる二人。男と女というよりは、夢や幻想といった形で結びついている二人。アランチャやラテン・ラヴァーは、その象徴の形であるようにも見える。

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2011年8月16日 (火)

「小説キャンディ・キャンディFINAL STORY」---キャンディが辿り着いた所

 名木田恵子「小説キャンディ・キャンディFINAL STORY」(翔伝社)を図書館で借りて読んだ。

 小説版が出てるらしいというのはなんとなく知ってたのだけど、小説版というのは所詮は亜流、ベースは漫画版でそれ以外の物に手を出す必要はなかろうと思い、読むのは見送っていた。
 が、今年になって、噂話のような形で、
「いがらしゆみこの頭の中では違うかもしれないけれど、水木杏子の頭の中では、キャンディ・キャンディってのはどうも、あの後アルバートさんじゃなくてテリィとハッピーエンドになるらしいよ?そのへんが小説版でうかがえるんだとか」
といった話を聞いた。

 えーーーー!? テリィと?
 それはぜひ読まなくては!!!!!!

(そんなわけで、以下の文章は、ネタバレ遠慮することなく超満載!状態となります。)
 最後の最後にキャンディは丘の上の王子さまに行き着いた。胸を焦がす熱愛ではないけれど、穏やかさと信頼と安心の伴う笑顔でもって共に過ごせる人に行き着いた。
 漫画のキャンディ・キャンディの終わり方というのは、そういうものなんだと思っていた。
 綺麗な終わり方ではあるのだけど、切なくもあった。胸が焼きつきそうな、身が焦がれてしまいそうな、あのテリィとの関係は結局戻らぬまま終わってしまうのか?テリィとの恋は、辛いけれども幸せだった過去の思い出としてしまいこまれることになるのか?
 でも、両想いなのに? テリィは絶対に絶対に、スザナをキャンディ以上に愛せるようになれるはずないのに?
 スザナを切り捨てる選択はエゴイスティックに思えるかもしれないけれど、決して忘れえぬ人の生きた女性の面影を鮮烈に胸に抱えながら≪自分の幸せよりも君を選んだ≫と言ってスザナのそばに居続けるってのは、スザナに対する侮辱にも見えた。それでもテリィを離せないスザナという女が、私は嫌で嫌でたまらなかった。

 漫画じゃなくて書籍なら、図書館で読めるかな?
 検索をかけてみたら。あったーーーーーーーー!!!!! すぐに予約手続き。今年刊行の本だけど誰も予約者がいなかったので、すぐに借りられた!


◆小説版の経緯

 あとがきに書かれた出版経緯を整理してみるとこんな感じ。

1)1978年に水木杏子名義で講談社から「小説キャンディ・キャンディ」出版。
 全3巻の3部構成。3巻目を手紙形式として漫画で描き残したことを書き足す。

2)1990年に名木田恵子名義で講談社から小説版復刊。

3)1996年、原作者と漫画家の間で著作権をめぐる争いとなる。

4)2003年にブッキング(現・復刊ドットコム)から、漫画絵の無い形で小説版の復刊。

5)2006年に祥伝社から小説版を文庫で復刊の話。
 小説版を全面的に書き直すことを決める。
 当初は文庫の予定だったが、上下巻の単行本での出版となる。

 2006年から2010年までの経緯はよくわからないけれど、図書館で借りてきた「小説キャンディ・キャンディFINAL STORY」は2010年11月の刊行と書かれている。


◆全体の構成

Prologue
 全8頁の短い物。
 大人になっているキャンディが過去の回想を始める。

I章
 普通に小説形式。キャンディの幼かった日から、アンソニーの事故死まで。

II章
 大人になったキャンディの回想を織り交ぜつつ、大体は普通に小説形式。
 回想はキャンディのイギリス行きから始まる。
 セントポール学院をキャンディが去るまで。

III章
 大人になったキャンディの回想と、キャンディが様々な人達とやりとりする手紙、様々な人からキャンディ宛てに送られた手紙が組み合わされた形。
 時系列に添った小説形式ではない。
 もともとの原作を未読の読者には、読みづらいかもしれないが、多分、まっさらの状態でこの本を読む人なんてほとんどいないだろうからどうでもいい類のことであろうと思われる(^^ゞ
 III章の大部分は、キャンディがまだウィリアム大おじさまの正体を知らなかった時期。
 漫画には登場しない決定的なエピソードでしめくくられる。

epilogue
 III章に続き、キャンディが書く手紙とキャンディが受け取る手紙が軸。
 ラスト2頁で、回想を終えた大人のキャンディの現在が綴られる。


◆謎の「あのひと」

 キャンディの回想の中で≪あのひと≫といった形で言及される人が何度も登場する。

 名木田恵子は、≪あのひと≫とは誰のことなのかを最後まではっきりとは語ることなく、曖昧にしたまま物語を終結させる。
 あのひとが誰かをきちんと描くには長い物語が必要だが、あのひとが誰であるかを明かすことは長年の読者の夢を奪いかねないようなものでもあるので、謎は謎として曖昧なままにとどめて想像の中で楽しんでほしいと、名木田恵子は語る。

 キャンディが最終的にどういった形で幸せになったのかについて、名木田恵子(水木杏子)といがらしゆみこの間で意見の食い違いがあったしら?


◆「あのひと」は誰か

 キャンディは、恋愛という部分においては誰とハッピーな結末を迎えることになったのか。
 かつて全8冊の漫画を読んだ時、キャンディ・キャンディという物語はキャンディが丘の上の王子さまと出会うところからはじまり、丘の上の王子さまとの思いがけない再会でしめくくられるという形で綺麗にまとまって終わっていたので、切ない未練を抱えつつも、キャンディはアルバートさんと今後の人生を共に過ごしていくことになるんだろうと思っていた。

 だから、この小説版を読み始めた時、「あのひと」ってのが登場してきた時、それはアルバートさんのことなんだろうと無邪気に思っていた。

 でも、少し読み進めてから違和感が。
 これってアルバートさんじゃないんでは?テリィのことなんでは?

 ≪あのひと≫ってのが誰なんだろうというのを気にしながら、もう一度読み返し始めた。

・プロローグ

 数年前に≪あのひと≫がロンドンの蚤の市でキャンディのために油絵を買って贈ったエピソードが綴られる。たくさんの古びた油絵から、≪あのひと≫は一目で、その絵がポニーの家なのだとわかったのだと言う。どうやら、≪あのひと≫は、ポニーの家の描かれた物に、強い思いを感じる人であるらしい。

 アルバートさんもテリィも、ポニーの家を知っている。
 現在のキャンディは、≪あのひと≫とロンドンにいるらしい。

 この段階では、≪あのひと≫が誰であるかについては、まだ決定打といえるものは出てはいないように思えたので、従来の感覚のままさらりと読み流した。


・II章冒頭

 プロローグに書かれていたポニー先生の病気の件に再度触れられる。

 現在キャンディがいるのはロンドン。ポニー先生がいるのは海の向こう。
 看病に行きたくてもすぐには行けない遠い地にポニー先生はいるらしい。

 ふとひっかかりをおぼえた。
 アルバートさんはウィリアム大伯父さまだ。大金持ちの実業家だ。
 キャンディがロンドンからアメリカに渡るためのお金をぽんと渡すのなんて、難なくできる人のはずだ。でもどうやらキャンディは、ポニー先生のもとに行きたいと言いだせないような事情にあるらしい。

 ≪あのひと≫はアルバートさんではないのではなかろうか?
 アルバートさんではないとすると・・・・・・残る可能性は一人っきゃいない。

 ロンドンに移り住んだテリィというのも、キャンディのアメリカ行きを援助できないほどに貧乏であろうはずはないけれど。二人が共に暮らしているんだとしたら、簡単には離れることが出来ないような関係やらしがらみやらがあちこちに生じてくるように思える。一方、アルバートさんであれば、そういったしがらみは容易に断ち切ることが出来る人であるように思える。

 アルバートさんであれば、キャンディがアメリカに行きたいという気持ちをにおわせていたら、容易に察して「行っておいで」と送り出しそうでもあるけれど。
 テリィの場合。キャンディの気持ちは察するものの、ほんの短い時間でも彼女と海を隔てて離れているということが耐えられないといった心情に陥るのではないかといったことも想像しうる。テリィってのは結構そういった身勝手な人である。恋愛というのはエゴイスティックなものでもある。二人の関係が復活するんだとしたら・・・・・・・テリィのエゴイスティックな面も合わせて復活するのではないかというのは想像にかたくない。


・III章冒頭148頁

 イギリスからアメリカに戻る旅についてキャンディが語った時、≪あのひと≫は最初は大笑いしていたが、ふいに真剣な表情になって彼女を抱きしめ、「よく無事だった」と言った、と。

 その旅について、そういう激しい反応をする≪あのひと≫ってのは、彼でしかありえないだろう。アルバートさんであれば、もっと穏やかな反応をするはず。


・III章冒頭(149頁)

 現在のキャンディが使う象嵌細工の宝石箱は≪あのひと≫の家に代々伝わる物。

 代々・・・・・・・アードレー家もグランチェスター家も、立派な家柄なので、どっちの可能性もある。ミスリードの一つ?


・III章197頁

 現在のキャンディが住む家の書斎の壁は革表紙の書籍で埋まっている。
 シェークスピア全集、イギリス、フランスの文学書、医学に関する書籍。

 医学書を読むのはキャンディよね。ではその他の本は・・・・・・・・・。
 アルバートさんの書斎にシェークスピアがあってもおかしくはないけれど、書斎に並ぶ本のカテゴリーとして真っ先にシェークスピアがあがってくるというのはやはり・・・・・・そういうことなんだろうな。


・III章238頁

 キャンディが幸せになり器。
「ある日、とうとう壊れてしまった。ステアとのつながりが切れたような気がして、打ちひしがれていたが、それを後日、いつも簡単にあのひとは修理してくれた」

 いつも簡単に修理ってのは、彼のイメージにはいまひとつそぐわないかな。もう一人の人のイメージの方が似合うような気はする。
 でも、ここまでにもう決定打がいくつもあるしね・・・・・・・・。


・III章269-277頁 テリィのハムレットの舞台

 完全に≪その後≫のエピソードである。
 テリィの母エレノア・ベーカーからキャンディに「ハムレット」のチケットが送られてくる。再起したテリィが主演する舞台。
 しかし、キャンディは、招待券を送ってくれたことを彼女に感謝して受け取りつつも、観劇はしないという手紙を彼女に送る。
 そしてキャンディは、決して投函することのないテリィあての手紙を書き、テリィの再起を祝う。


・III章278-283頁

 ≪その後≫のエピソードが続く。
 スザナ・マーロウからのキャンディへの手紙。
 そしてキャンディはその手紙を受け取った何年も後に、スザナの死亡記事を見かける。スザナはナレーターの仕事をしながら戯曲も書き、テリィとはずっと共に暮らしていた。しかし、二人は婚約はしていたものの結婚はしなかった。
 スザナの死の一年半後、イニシャルのみで名前は書いていない短い手紙がキャンディ宛てに送られてくる。
「ぼくはなにも変わっていない」
という主旨のメール。

 そしてIII章は終わる。

 このIII章の最後を描くためにこの小説版はずっと綴られてきたらしい。
 ということはやはり、随所で登場する誰だか明かされない≪あのひと≫というのは、彼以外ではありえないようだ。
 キャンディと彼の間にある、消えることのない燃えさかる想いは、ずっとずっと続いている。
 別の人との間に築かれた兄妹のような優しい関係が、その燃えさかる想いによって生じる傷を消していくということはどうやらなかったらしい。


・エピローグ327頁

 「生きていても、会うことがかなわない運命があることも知った」
と、キャンディは、投函することの無いアンソニー宛ての手紙の中で語る。
 アンソニーへの想いは、熱く燃え盛るも優しい思い出として彼女の心の中に着地したけれど、≪あなたと似たひと≫への想いにはまだ着地点は無いまま。


・エピローグ最終頁

 アンソニー宛ての手紙を書いた後にも、どうやら様々なことがあったらしく、現在のキャンディは≪あのひと≫と幸せに暮らしている。


◆まとめ

 ファンによる同人小説といった形ではなく、原作者である水木杏子(名木田恵子)によって、こうした物語が描かれた。≪あのひと≫が誰であるかの明言は伏せられているけれど、こんなふうに一つ一つのエピソードを注意して拾っていくと、あのひとというのは彼以外の人ではありえない。

 ずっと昔に思い込んでいた物語の結末が、何十年も経た後で、こんなふうな形でひっくり返されることになるとは思わなかった。勿論、名木田恵子ではなくいがらしゆみこの中ではまた違った物語があるのだろうけれど、私はこの物語を受け入れたい。キャンディは幾多の苦しみを経た後に、テリィと幸せに暮らすようになりました、という物語。終わったということが受け入れ難かったキャンディとテリィの強い関係がその後も強く熱くずっと続いていたという物語が綴られたことを喜びたい。

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2011年8月 4日 (木)

宝塚宙組「美しき生涯」「ルナロッサ」ーーー美しきビジュアル

 宝塚歌劇宙組公演「美しき生涯-石田三成 永遠(とわ)の愛と義-」「ルナロッサ-夜に惑う旅人-」を、2階B席下手側から観劇。

 トップの大空祐飛くん&二番手の凰稀かなめ君。この二人が並ぶことによる、ビジュアルの力に絶句した。
 組替えで宙組からいなくなった前・二番手の蘭寿とむ君だって、ビジュアルに難のある人では全然なかった。蘭とむ君とかなめ君のどっちが綺麗な人であるかについては、いろんな感想があるとも思う。
 が、しかし。なんというか。

 かなめ君の美しさって、ゆうひ君の美しさと系統が同じ方向だったんだな、と認識して驚愕した。系統の同じ美しさの二人が立ち並ぶことによって出来る絵図はこんなふうになるんだ!!!

 ゆうひ君と蘭とむ君は全く逆方向の持ち味の人だった。月とお日様。陰のある人と体育会系。
 でも、ゆうひ君とかなめ君は・・・・・・・「大王四神記」のホゲが二人。陰のある人が二人。陽光ではなく月光が持ち味である人が二人。

 蘭とむ君のビジュアルってのは、ビジュアル一辺倒ではなく、エネルギッシュなダンスとか、元気な体育会系的雰囲気とか、そういったものを合わせて楽しむものだったけれど。
 ゆうひ君とかなめ君のビジュアルってのは、まずビジュアルありき、みたいな感じ。素顔はめちゃくちゃ美人というわけでもないような気もするけれど、メイクして衣装つけて宝塚の舞台に立つと、宝塚的な美しさを発散させる。かなめ君はついこの前まで、最大の武器であるはずの宝塚的ビジュアル力という点においても、持っているはずのものをきちんと出しきれてない物足りなさがあった人だったけれど、ここ一、二年で急速に何か(多分、最大の武器が最大効果を発揮するような活用法)を身に付けてきたという感じ。ビジュアルが徹底した力になってきた。

 銀橋に石田三成のゆうひ君と疾風のかなめ君の二人が並ぶ場面があった。
 呆気にとられるほど美しかったーーーーーーー。

 「美しき生涯」というお芝居において何よりも印象的だったのはその部分かな。

 次に印象的だったのは、ヒロインが主軸のお芝居だったということか(^^ゞ トップは石田三成のゆうひ君だけど、脚本における実質主役は、茶々の野々すみ花だった。世間や物事がわかっていなかった少女時代とその時の運命の出会いに始まり、抗争の中で諦めざるをえなかったことと諦めずにすがりつきもぎとったものが描かれ、最後の最後には農民の女に扮装して囚われの三成に会いにまで行ってしまう、激しい激しい火の球のような勢いのある主人公。三成と疾風は相手役(光・・・・・というか月の表側)と相手役(影)。他に重要な役は、豊臣秀吉とねねだけ。忍びのさぎりと七本槍の福島正則も、まあそこそこ主だった役にカウント出来なくもないかな??? 外部脚本家である大石静氏は、宝塚歌劇団における人数を脚本においてあまり重視はしてなくて、見事に茶々中心ドラマをつくってしまっていた・・・・・・・・。

 茶々という役は、火の球みたいな勢いで芝居するののすみにはどんぴしゃりの役だった。すさまじい熱で、石田三成を巻きこんでいく。茶々さえいなければ、三成はもっと穏やかな人生を歩めたんではなかろうか?茶々さえいなければ、疾風は下手に人間的な味なんて身につけずに生き残れる人だったのではなかろうか。
 ののすみはビジュアルが売りの人ではないけれど(^^ゞ、熱量のある可愛さがはまっていて、熱量が低めな二人の相手をぐいぐいとひきずりまわす。

 しかし、ショーは・・・・・・・・・トップ、二番手、トップ娘の三人ともに、歌が得意な人ではないがゆえに・・・・・・・・・歌は怖いことに。その分、三番手の北翔海莉くんの美声が際立つし、七瀬りりこ、百千糸といった娘役シンガーの歌も楽しめるし、下級生ダンサー達ががしがし踊る姿も楽しめる、といった方向はさらに突きつめられてきてはいる模様。

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2011年8月 1日 (月)

aout

☆今月の観劇

 宝塚宙組公演「美しき生涯」「ルナロッサ」。
 宝塚宙組公演「ヴァレンチノ」
 三銃士。

 久々の宝塚観劇は、宙組公演が二つ。このところ、東京に来る公演はできるだけ全部見るというのをすっぱりやめてしまったので、宝塚チケット代が少なくなり、宝塚人事へのイライラというストレスも減り・・・・・助かってる^^; 「歌劇」を購入するのをやめて図書館で読む形に切り替えたら、下級生さんへの関心が減じていってしまってるんだけど、そうした状態で舞台を見るのもまた、舞台そのものへの関心だけで見るという方向につながってきているかなあ????? 作品そのものへの関心だけで動こうとすると、観劇したい作品ってこんなにも減ってしまうのね・・・・・・・。一公演が一か月とか、その中でさらに役替わりも、なんて、全部つきあうのは時間的にも体力的にもしんどいので、宝塚観劇と自分のあるべき距離を見つめ直すいい機会になった。という流れは宝塚歌劇団の意図するところとは大いに違いそうだけど^^;

 大石静脚本で主役が石田三成、演出が石田昌也ってのは、なんだか全然燃えてこないものがあるんだけど、宙組トップコンビが好きなので、行かない選択肢が無いのだった・・・。でも、トップが好きだから演目がぴんと来なくても行く、というのは、この宙組トップでそろそろ打ち止めにしようかと思ってる。お金ないしストレスたまるし。他の組のトップさんも好きなんだけど、今後は演目で行くか否かを決めていこうかと。
 ちなみに、大石静脚本というのは、あたりはずれは大きいけれど、好きな時はとても好き。ただ、がっかりする時はどん底までがっかりさせられるということもあるので・・・・どっちに転ぶかなあ、と不安なのだ(^^ゞ

 ヴァレンチノ。3月の東京公演中止でがっくりしてたので、時期をかえて上演されることになったのがとても嬉しい。小池修一郎氏がプログラムの中で、ジューンを演じる野々すみ花について、作家のエゴみたいな形容をしていたのが気になってたんだ。紫ともちゃんのジューンは、母性的な柔らかな優しさと男女のかけひきが得手ではない孤独な書き手の哀しさを匂わせるジューンだったけれど、ののすみのジューンはどんなジューンなんだろう?

 三銃士は、キャスト豪華と大喜びしたわりにはあまり観劇回数増やしてないですねーーー^^; 激忙の7月は乗り越えたので、チケット増やせるかな。一回公演の日のチケットがほしい。そして、ロシュフォールかアトスの持つ義捐金箱にお金入れてきたい・・・


☆今月買う本

 有川浩「別冊・図書館戦争II」文庫版。

 吉田秋生「海街diary」4巻。
 聖千秋「KECHONPA」2巻。

 野村美月の新シリーズ2冊目は図書館経由で読む予定。


☆夏休み

 娘は小学校1年生の時から毎年夏、こどもキャンプに行ってたのだが・・・・・・。
 福島第一原発から40キロ無いというような距離の場所なので、今年は開催無しなのだった(:_;) というか、多分、今年だけじゃないな・・・・・。まさか、去年が最後の参加になるとは。

 夫と娘が1週間、九州の実家へ。私はお留守番。
 私も5年行ってないので行った方がいいんだけど、この体調だと心配かけるだけだしねえ。
 一人きりで過ごすこの一週間、観劇予定は一回だけ^^;

 折角の機会なので三銃士観劇をこのあたりの期間で増やそうかと考えたりしてるんだけど、本棚買い替え計画進行中で本の入れ替え作業で意外と手間取りそうなのでどうなるやら?

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