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2011年12月30日 (金)

12月に読んだ本(物語以外)


大野更紗「困ってるひと」(ポプラ社)

 中島岳志さんが書いた朝日新聞の書評を読んで興味がわいたので図書館で借りてみた本。

 どういう経緯で本になったのだろう?
 ポプラ社というのは、私にとっては不思議な会社で、妙な児童書を出版している所という印象。中には良書もあるようなのだけど、きらびやかに可愛い変なインパクトの表紙がついていて顧客確保が中途半端になっている所っていう感じがするんだな。児童書以外の分野にも手を出しだしているけれど、水嶋ヒロの売り出し方とか、頭悪そうというかお金への固執が見えやすいというか。

 上智大学の学部時代、院生時代、ビルマの難民支援を自分の生きる道を考え始めていた著者を突然おそう難病。著者は自分自身が、援助されなければならない≪難民≫の状況に陥ってしまう。

 友人に頼ることの難しさをとても素直に語る著者。「できることがあったら、何でも言ってね」という100%の誠意に、とても素直に甘えて頼る著者は、とても素直にその好意に甘える。幸せだ・・・・・。そして、失敗するのだ・・・・・。お友達は正直に、甘えられることの負担感を語る。著者は、学部時代の卒業論文のテーマ「援助は誰のものか」がまさに現在の自分の状況と同じであることに愕然とする。援助は難しい。援助し続けることは一時的凌ぎとはなっても、援助される側の苦境の根本的原因を取り除くことは出来ない。最も周辺化され、最も援助を必要としている人びとにとっての最良の支援とはなに?

 著者は、自分が援助する側であった時を思い出そうとする。その時、難民である友人たちはどういう姿勢であったか?援助する側である著者に対して、過度に期待したり求めたりはしていなかった。ひるがえって、病人である自分は、助けてくれようとする友人たちに過度に甘え、頼り、そして友人たちは離れていった。100%自分を投げかけて誰かを頼ることは出来ない。友人も、先生も、両親も、それを重く思い離れていってしまう。そして残るのは孤独感。
 そんな時に突然、恋愛感情という変化、ずっと熱心に親身にたずさわってきてくれていた主治医の先生の心無い一言に出会い、著者は、ずっと入院していた病院を出て外で生活することを真剣に考え始める。 
 まだこれから第二章、第三章が待っている、若い女性の生きてきた第一章。
 当たり前の大変さが、コミカルに真面目に語られ続ける。

 序盤で、上智でインドネシアについて教えていた村井吉敬先生について軽く語られていた。なんとなく笑ってしまう。私、学生時代に、村井先生の授業・語りを聞きたくて上智まで足を運んで行ったことがあるのだけど、その当時と全くおかわりなさそうで。当時は、「バナナと日本人」「ナマコの眼」で有名な鶴見良行さんもご存命で、お二人の授業には、他大学の学生さんが結構潜り込んでいて、そういった学生さんを非常に熱心に受け入れる先生達であった・・・。やはり、上智でNGO活動に関心を抱いていたら、足を運ぶ先は村井先生の所なのね。若い頃はイケメンだったんだろうな、という大野更紗さんのコメントに頷く私。うん、私、村井先生をはじめて見た時、わーい、好みのタイプだなあとか思ったもんでしたわ(~_~;)


○福島みずほ対談集(論争社)

 対談相手は、鎌田慧 田中優、鎌仲ひとみ、浜矩子、内田樹、佐藤優、西山大吉、田中優子、田辺聖子、やなせたかし、湯浅誠。

 いろんな立ち位置の人、中には福島みずほとは全く異なるのではないかといった立ち位置の人がいるけれど、そうした人達の意見や思いを謙虚な姿勢でひきだしていく福島みずほの語りが面白い。世の中での彼女の嫌われ方は、フェミニズムの立場にいる人はこんな人といった安易な批判の遡上に彼女がのりやすいタイプに見えるからかなあ、と思うだけに、こうした彼女の見え方は面白い。まあ、フェミニズムに対する世の断じ方の方がそもそもは一方的でばかばかしい斬り方であることがしばしばだったりはするわけだけど。


○島崎今日子「<わたし>を生きる 女たちの肖像」(紀伊国屋書店)

 「アエラ」の『現代の肖像』の頁で書かれた、各界でエネルギッシュに動く女性への取材記事がまとめられた本。山田詠美、夏木マリ、萩尾望都、上野千鶴子のものを読みたかったので、借りてきた。
 山田詠美についての一文がうまい。こんなに短い文でここまで的確に彼女を語れるのがすごいな。

「硬質な文体はセックスを描いてもエロとは遠く、物語は感情と関係に収斂される。」

 萩尾望都の記事で著者が一番力を入れているのは多分、親との関係への絶望や萩尾望都が女性であることによってずっと味わい続けてきた閉塞感なのだろうけれど、私はその部分よりも、自己模倣を自身に対して禁じた萩尾望都の創作者としての決意に関する描写に惹かれる。
 上野千鶴子に関する文章では、彼女が人から「なぜあんな人を推薦するのか」と非難されても、頼まれれば推薦文や推薦状を書くことを断らない、自分自身が手に入れた権力を積極的に使って女たちに手を貸して人を育ててきた、ということへの上野千鶴子が持つ誇りや生き方の選択に言及しているあたりに惹かれる。


○図書館で借りて読んだ本
●購入して読んだ本
◎図書館で借りた後に購入手続きした本

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コメント

るんせるさん、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
ここで紹介された「困ってるひと」。私にとって非常に親近感を覚えるのでコメントさせていただきますね。
私の夫は昨年の秋から腎臓疾患で人工透析をしています。発病したのは97年の一月で入院して検査の結果とにかく少しでも透析の時期を遅らせよう(ならないように、ではないのですよ)という訳で厳しい食事制限をやってきました。一昨年から急激に悪くなったので仕事も通常の勤務ではなく非常勤で働ける所に転職し、近くに透析専門病院がある場所に転居しました。透析になれば当然収入は激減します。どんな状況になるかもわからないから、何よりもとにかく貯蓄の毎日でした。その間、私も何か月も入院し、複数回の手術を必要とする病気となったり、姑の認知症に介護の問題、私の実家との関係。全ての人の要求に正直に答えていたら死んでしまうというところまで行きました。ただ、私たちは身内から、「困ったときの戦力」扱いなので使えなくなると皆が距離を置いた。故に、土壇場では二人だけの事を考えて行動することが出来ました。
様々な治療を受けるための手続きは煩瑣で大変でしたよ。透析には特別疾病としての認可も必要でしたし。区役所、年金事務所、主人の職場、病院を何度となく往復して、沢山の書類を書き、申請して…。山の様な書類はまだ、許す。けど、形だけの「初診日」にこだわる役所が理解不能でしたし、医療機関だってほとんど訳も判らずに診断書出してるって事がよく判りました。主人の病気がこういうはっきりしたものでじりじりとくる性質のものでしたから、良かったかもしれません。ただここ十数年、月一回の検査の度に心配し、悩み続けた事は一つの習慣でありトラウマの様に心にこびりついています。
私には大野更紗さんの思いは少しだけ、理解できます。理解するなんておこがましいけど。どちらかと言えば私は周囲の人の状況がとても判る。なので距離を置く。……。仕方のない決断だと思えますね。当人と一蓮托生でもない限りは。とても残酷な言い方になりますが、自分の生活で手一杯で周囲への余裕のなくなる時があるんです。
難病の若年者へのケアというのは一つの提案としては高齢者と同じくくりにして同じような介護と保障を受けられれば見捨てられたような苦しみを味合わなくてすむかもしれません。
もう、くるべき時が来て、いままでその日の為生活してきた。だから、もう苦しむのはやめて解放されよう。これが私の今の心境なんです。何だか、とりとめもなくて、新年早々,陰気でごめんなさい。本当は今月から始まる「ステップファザー・ステップ」と相棒を楽しみにしてるんだけど
「火車」での上川さんはシリアスで横山秀夫ミステリーみたいでしたが、今回はコミカルな設定なので違う側面が見られそうですけど。

投稿: まるさん | 2012年1月 7日 (土) 13:01

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