観劇(Steps&音楽座)

2011年6月11日 (土)

リトルプリンスーーー童話劇へ

 Rカンパニーで上演の「リトルプリンス」をル・テアトル銀座後方席から観劇。
 「星の王子さま」を原作とするミュージカル。
 音楽座の初演を見て以来、ずっと大好きだった作品だ。美しい音楽、美しい舞台装置で表現される砂の広がるとても静かで寂しい世界。かつてその中心に立って王子を演じていた土居裕子さんの歌声が、奇跡みたいな美しさだった・・・・・・。

(思い出は美化されると思われてしまいそうですが^^; 土居さんが「行こう、あの星へ」と歌い上げる時に、強引に幽体離脱させられて大きな星空に放り出されるような感じ、忘れられないし、他の人だと味わえないのだ・・・・・)


◆今年の再演の違和感

 劇場の小ささを感じた今回。

 布で表現する砂の世界の神秘的な美しさが、今回あまり感じられなかったのは何故だろう。物語が始まっていく際の、砂が迫ってくる感じ。砂嵐。砂嵐に飲み込まれる黄花。水の発見。もっともっと、絶対に美しい場面であったはず・・・・・・という、違和感。

 劇場が小さいにもかかわらず、ダンスシーンが増えているのも、なんだか違和感になっている。特に1幕、なんだかせかせかした感じ。


◆戯画的な童話劇へ

 Rカンパニーでの上演になってからのリトルプリンスは、王子がいつも≪こども≫だ。非常にわかりやすい形で、こどもらしいこどもだ。

 かつて見た土居裕子さんの王子は、一見こどもではあるけれど、こどもではなかった。年齢不詳の不思議な存在だった。

 高野菜々さんの王子には、年齢不詳な神秘性はない。その喋り方、動き方は、とてもこどもらしい。あえて舌ったらずな喋り方にしてたりする箇所も。

 主軸の印象が異なると、紡ぎだされる物語の印象もかわってくる。

 20世紀に上演されていた「リトルプリンス」「星の王子さま」は、ずっと昔に過ぎ去ってしまった少年の日々、傷ついた少年の日々を、少しずつ思い起こしながら、抱え続けていた傷を癒していく物語だった。
 今、上演されているものは、それとは少し違うなあ、と感じる。
 かなり純粋に、こどものための童話劇という形に方向づけられてきているように見える。

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2010年8月 4日 (水)

「LOVE OF SEVEN DOLLS」雑感

 Rカンパニーの「LOVE OF SEVEN DOLLS 七つの人形の恋物語」をル・テアトル銀座の前方上手ブロック席にて観劇。
 一昨年の初演は未見。実はポール・ギャリコの原作がちょっと苦手分野だったりしたもんで。ただ、再演で今拓哉さんがキャプテン・コックを演じると聞き、ならば行こうと決定。

 プログラムを読んでたら、ラストシーンが初演とは違うとのこと。
 どんなふうに変わったのかなあ。
 今回の再演版をはじめて見て、ラストシーンにびっくりして口をあんぐりあけてしまい、拍手すら出来なくなってしまった私としては、初演ではどんなラストだったのか知りたくなってしまった。

 ということで、ラストに関して書きまくり、書きなぐる。
 これからご覧になるという方はご注意下さいね。


(あらすじ)

 人形遣いのキャプテン・コック(本名ミシェル・ペエロ)は、幼少期の体験がもとで、誰にも心を開くことができない男。
 しかし、その彼が作った七体の人形たちは、絶望して自殺しようとしていた少女ムーシュに優しく声をかけ、楽しい時間を現出する。人形たちと触れ合うことで、ムーシュは心を開いていく。キャプテン・コック自身も、人形を通じてムーシュの心と触れ合っていくことで少しずつ変わっていく。しかし、冷酷な男である彼は、ムーシュによって揺れ動く自分自身を認めたくないから、人形を手にしていない時の彼はムーシュに対して残酷にふるまわずにはいられない・・・・・・・・。


(人形)

 もともと私はこの物語、レスリー・キャロン主演の映画「リリー」をきっかけにして知ったのだった。
 「リリー」に出てくる人形は七つではなく四つ。にんじんとレイナルドとジジとアリ。映画の中のジジはマダム・ミュスカの役割も兼ねているかな。ムッシュ・ニコラとデュクロは映画には出てこない。映画の人形遣いは不器用で冷たい言葉を口にするが、原作のキャプテン・コックほどには残虐ではない。だから映画は原作とは全く違い、苦みのない可愛いおとぎ話になっている。

 にんじんが声をかけ、絶望した少女の自殺を止める。そして少女の前に次々と姿をあらわす人形たち。彼らとの会話の楽しさがいつしか少女に生きる意欲を取り戻させる。
 しかし、人形たちを動かし、人形の後ろで喋っている人形遣いの男。彼は人形を遣えば彼女に幸せな笑顔を浮かべさせることが出来るのに、彼本人として彼女に向かうと冷たい言葉しかかけられない。冷たい態度しか見せられない。人形は彼女に素直に好意を示し、素直に甘え、悲しい思いをしている時の彼女には優しく接することが出来るのに。
 この物語構造はとてもとても好きでツボにはまるものだった。

 Rカンパニーのこの舞台。
 人形劇団プークの製作した七つの人形が動く。
 入れ替わって、人形に扮する七人の役者さんが動く。
 何度も何度も、プークの人形と演じる役者さんが入れ替わりながら、この物語のヒロインであるムーシュに接する。
 優しい。楽しい。そして幻想的な空間。

 しかし、原作を知らない状態だと、この舞台の物語構造、すんなり理解できるのかな?
 私はずっと昔に映画見てはまって原作も読んでしまった身なので、この舞台の演出がわかりやすいのかわかりにくいのか判別できない^^;
 レイナルドが「シラノ・ド・ベルジュラック」を演じてロクサーヌへの愛を歌う時、そこにムーシュへのありったけの想いをこめる。その時、舞台下手側には、人形レイナルドを動かしているキャプテン・コックの姿がある。レイナルドをキャプテン・コックの切ない無表情。この構図の哀しさ。

 それから。原作既読の身なので、人形たちとムーシュの優しい楽しい時間を見ながらびくびくしてしまうんだけど。
 1幕。ムーシュをとりまく優しい時間がもうすぐキャプテン・コックにずたずたにされることを知っている。場面表にはそのものずばりの二文字が記載されたし・・・・・・。
 そして2幕。ジジがどういうことになるかも知っている。

 しかし、原作既読者を仰天させる展開がさらにその後にやってくるとはさすがに思ってなかった・・・・・・・。
 ほんのり楽しいムーシュの時間が何度もずたずたにされても、最後の最後にはムーシュに優しい時が訪れるものだと思っていただけに。
 あのラストはどうなんだろう。
 

(ラスト)

 原作が苦手な理由。
 語られている恋愛の形がDVと共依存の関係であるため。

 主人公二人の関係の中に暴力が入り込んでいることにどうしてもなじめなかった。

 キャプテン・コックの抱える傷は哀しい。
 人形を介在させなければ想いを語ることが出来ない姿は哀しい。

 けれど、彼がムーシュにしている仕打ちは、許容できる限界を超えているように私は思えた。だから、彼の哀しさが癒される形で彼がムーシュと向かい合うというラストが来る時に、私はこの物語に納得が出来るのか、自信が持てなかった。凌辱も殴打も故意に彼女を貶めるための侮辱も、舞台では原作に沿って描かれていた。

 原作のラストは、キャプテン・コック=ミシェルから分離した人格ともいえた人形たちがミシェルに統合される形で、彼はムーシュとの間に幸せを見出す。

 しかし、舞台のラストは・・・・・・・原作と違ってる!?

 舞台後半では、原作には登場しない、しのびよる戦争が描かれる。Rカンパニーって唐突に戦争を物語の中に織り込むのが好きだね^^;

 なんで戦争が描かれてたのか。
 このラストのためか!?

 突然の空襲。ムーシュを体でかばって倒れるキャプテン・コック。
 人形ならぬミシェルその人が自分自身を全身で助けてくれたという事実。彼という人自身が自分を大事に思ってくれているという事実に直面するムーシュ。
 一瞬の優しい幸福感が二人の間に交錯する。

 しかしキャプテン・コックは意識を失い・・・・・・・その後の現実は舞台上では示されていない。
 生きることに絶望した少女と人形たちの出会い再び。その場面で舞台は終わる。

 これって。
 一瞬の幸福感は一瞬だけのものであり、すべてが終わった後の美しい夢場面!?
 キャプテン・コックにとって一番幸せだった時間は結局のところ、分裂した多重人格ともいえる人形たちがムーシュと過ごした時間であったと語ってる?

 そのラストは原作ラストとはあまりにも違うので軽く混乱^^;

 ただ、DVと共依存の関係を恋愛ととらえることに納得がいかなかった者としては。
 哀しいキャプテン・コックがやっと報われたのは、わずかな一瞬のみだったという結末だったのだとすれば、それは一番納得しやすいものだったりもする。
 幸せになりました、で納得するには彼の行動はあまりにもひどすぎるから。原作にはないローラという人物が介入してくることで、彼の行動は原作以上に許したくない性質のものとなっているから。ロクサーヌを想う芝居歌のレイナルドの下手側でレイナルドの人形を動かしているキャプテン・コック。ひどく哀しい美しい構図だった。あの彼には幸せになってほしかった。矛盾するこの複雑な状態。その矛盾解消のために、ラストでキャプテン・コックが報われた、幸せな思いを味わえたのはわずかな一瞬だった、というのは一番綺麗な終わらせ方であったような気はする。

 だけど。
 これって、原作に納得がいかなかったからこそそう思ってしまうわけであって。
 原作を愛している人は、このお芝居のラストをどううけとめるのだろう?

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2009年6月10日 (水)

幸せな日々をありがとうーーー「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」

 赤坂ACTシアターでRカンパニー上演による「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」を見てきました。

 作品・脚本そのものに関する感想は、今回の上演前に書いたこちらの方がいいかも。ネタバレですが。

 10年待てますか・・・・・・・?

 待ちました。
 14年待ったんです、大好きな大好きな作品を。

 私事ですが・・・・・・・・まにあってよかった。
 大好きな大好きなあの作品を劇場で見る時のあの空気を、再び体感したかった。
 記憶だけではなく、再度体感することで、幸せだった日の記憶を補完したかった。
 だから、まにあったことが嬉しいです。

 帰りの電車の中で開くつもりで、昔購入した台本をバッグに入れていきました。(昔の音楽座は、台本を販売していたのだ)
 目的は本当に、帰りに読む、その一点での持参だったのですが^^;

 終演後、出演者のみなさんがロビーでお見送りをしてくださる際に、解散前の音楽座での「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」に出ていらしたある役者さんのところに行って、その台本へのサインをお願いしてしまった私^^;

 ただでさえもとから役者さんとお話するのは苦手で≪柱の影から好きな人を見つめていればそれだけで幸せ≫というファンのるんせる。涙腺は崩壊し、嗚咽をこらえるのに懸命で、脳内は完全におかしくなっていて、言葉なんかうまく出てこない状況。
 でも、サインをお願いする時に、昔の台本をお見せする、今も大事に持っていることをお見せするという行為で、この公演を待ち続けていたのだということ、大好きな大好きな作品だったということがちょっとでも伝わるといいなあ。そんなことを思い、その台本にサインをしていただきました。

 懐かしそうに台本をぱらぱらとめくりながら眺めていらっしゃいました(*^^*)
 台詞がちょこちょこ変わっているんですよね、とにこやかに語っていらっしゃいました。ちゃんと反応できなくてすみません(:_;)
 最後に握手をしていただきました。
 ありがとうございました、とはなんとか言えました。

 サインをして下さったことへのお礼だけではなく、音楽座ミュージカルという素敵な世界をくださったことへのお礼。
 幸せな幸せな、本当に幸せな時間をいただけました。

 どなたにサインをいただいたのかは書きませんが^^;このブログの音楽座関連文章をささっとお読みになればどなたのことであるかは多分わかっちゃうとは思います・・・・・^^;

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2009年6月 6日 (土)

Steps「ヴェローナ物語」___幸せな幸せな異空間

 絶対に絶対に再演あると思ってたんですよ。だって本当に本当に楽しくてハッピーで幸せになれるミュージカルなんですもの。Stepsの知名度がいまひとつで宣伝が行き届いていなかったこともあったりして、客席が埋まっていないのが本当にもったいない。≪この人多分、自分でチケットセンターに連絡とったりしたんじゃなくて誘われたりして足を運んだんだろうなあ≫とおぼしきお客さんが多いような気がするんだけど、舞台の最中は笑いも自然と湧きあがった手拍子もいっぱいだし、終演後の客席からは「楽しかったね!」「面白かったね!」「あのドン・ジュアン良いね」「ジュリエットが可愛いね」「ロミオが笑えるよね」なんていう声はいっぱい。

 前回サザンシアターで見た時にはそれなりに真面目に感想をココlに書いたので、「ヴェローナ物語」の感想を検索でお読みにこられた方はそっちを読んだ方がいいかも。

 今回はあんまりまとまらない形で変な感想をだらだらと羅列していきます。


・前回公演、観た日にすぐ、柳瀬亮輔くんを気に入っているUさんにメールしちゃったんですよね。これは絶対絶対見逃したらいけない!と思って。でも、スケジュールの都合でダメだったのがすごく残念だったんです。だって、柳瀬くんが今まで演じてきた役の中で、ドン・ジュアンは一番良かったと思うのだ。「モダンガールズ」のナナシノニノハチさんものほほん坊ちゃまぶりがとっても似合ってたけれど(あの時もそういえば、「主役よ、主役!見逃しちゃダメ!」と騒ぎましたっけ^^;)、ドン・ジュアンはもっと好きだ。今回はスケジュールがなんとか合わせられたみたいでご覧になっていただけて、とーっても楽しんでいただけたようで良かったぁぁ!


・1995年頃の音楽座でこの舞台上演してほしかったな、と実は前も思ったのよ^^;
 そしたらドン・ジュアンはきっと某YKさんだっただろうなあ、それも見てみたかった

・観る時の精神状態で観劇の際の自分の感情って変わるなあと今回しみじみ実感。
 前回はただ単純に≪楽しかった、楽しかった≫と楽しみ笑い転げていた。
 今回の私はかなり鬱が入った状態で劇場に足を運んでいた。気分が暗かったからこそ現実を忘却してひたすら笑い転げたかった。
 そんな気分の違いのせいか? この楽しさが・・・・・・・楽しい空間が・・・・・・・・泣けてくるんですよ。鬱だったから、笑うために劇場に行ったはずなんだけど、楽しく楽しく盛り上がるシーンで、笑いながらぼろぼろと泣く。なんなんだ?
 楽しくて幸せで、ありえないような幸せな異空間。
 舞台で繰り広げられる物語が、冒頭とラストが現代日本となっているという二重構造物語であるからこそ、展開されるヴェローナでの物語が幸福な異空間として浮かび上がる。
 非常に緻密に構成されたスラップスティックコメディ。ロミオとジュリエットの世界が、とても幸せな形でひっくり返される。
 脚本・演出の横山由和さんが、30年前に鬱状態の時にこの作品を書いたということに、ものすごく納得する・・・・・・・・。


・終演後ロビー

 出演者の方々がお見送りしてくださるロビー。
 しかし、今の時代、カメラ付き携帯電話が普及しているために、このお見送りのやり方も一考の余地ありかも。一緒に写真を、といった方が多いので、待ち時間が長くなる・・・・・。

 はい、待ちましたとも^^; あらかじめ持参したサインペン持って。
 2007年にはアンケートに「ドン・ジュアン良かった!」と大書きしたものの、直接お伝えしてみたいと思いながらもできなかったので。
 今後も再演はあるかもしれないけれど、私自身の病気の症状やら進行状況やらを考えると、その再演を見られるとは限らないし、後悔はしたくなかったから、「良かった!」と直接お伝えできる機会があるなら直接お伝えしたかったんですもの。
 喋るの苦手だから、「前見た時もとっても素敵だと思ったんです」「ナナシノニノハチさんも好きでした」とか、アホみたいなことしか言えませんでしたけれどね^^;;;

 そして、アンケート用紙の方は出し忘れたのであった・・・・・^^;

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2009年3月 3日 (火)

シャボン玉思い出語り

 1991年当時の私はミュージカルといったら東宝と宝塚と四季くらいしか知らなかった。
 ただ、1990年に「ジェニーの肖像」というミュージカルに感動して、うまれてはじめて≪同一キャストの公演を同一公演内に複数回見る≫という行動。上演情報をしっかりチェックして、好きそうなタイプの舞台は逃さないようにしていきたいなと考えるようになった。

 そんなわけで、「ミュージカル」誌で紹介されていた音楽座という劇団の舞台も試しに見てみようかな、と思いたち、青山劇場の当日券売り場に出かけていった。
 日曜マチネ。特に早い時刻に並び始めたわけでもないので、チケットが購入できるかどうか際どい人数。でもなんとか2階最後列端の席をゲット。

 「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」
 
 あらすじも知らない。出演者も知らない。予備知識はなく、本当に≪なんとなく≫やってきた劇場。プログラムをぱらぱらとめくる。室町あかねさんや瀬川佳英さんは宝塚OGさんよね、石富由美子さんはレ・ミゼラブルで知っている。その程度にしかわからない。

 舞台が始まる。
 SFファンタジー的にはじまる導入部。養父であるヤクザ男のおっちゃんに乱暴され殺された少女・佳代。彼女は、事故で瀕死の重傷を負った仲間のために生命をおくための仮の体を探していた宇宙人達の力によって、死んで終わったと思っていた人生を再びおくれることになる。それを機会に、育った場所を逃げ出し。
 しかし、相変わらず巧妙にスリを続けながら生きる刹那の日々。
 そんな生活を送る日々の中で、作曲家になることを目指す青年・悠介に出会う。不器用な彼に呆れつつも一途に夢を追う彼に惹かれる佳代。お佳代、悠あんちゃんと呼び合う二人は愛し合うようになる。
 が 佳代を殺したはずの男との再会が二人の人生を狂わせていく。幸せな日々にはいくつもの影が襲いかかってくる。

 綺麗な高音でぶっきら棒に関西弁を喋る佳代の土居裕子さんの舞台をこの日はじめて見た。素敵だなあ、この人(#^.^#) 歌声がそりゃまた素敵で。
 出会ったばかりの幸せな頃の佳代と悠あんちゃん。愉快でコミカルな舞台展開が2幕では一転していく。

 どうなってしまうんだろう、この二人は。
 手に汗を握りながら見つめる。
 多分、幸せになるよね。幸せにならなきゃいや。
 そう思う一方で。

 ただのラブラブハッピーエンドってのもちょっと単純すぎるだろうなあ、とか思ってしまう自分もいたりする。

 しかしラストは自分の予想斜め上の展開だった。

 こう来るのか!瞠目した。
 伏線はしっかり回収される。
 形はかわり記憶はなくなっても愛は続いていく。ずっとずっと・・・・・・・・。言葉ではなく仕草でそれが示される。
 終演後、しばらく席を立つことが出来なかった。ぼろぼろ泣き続けていたような気がする。あまりにも美しい終わり方に。

 この公演で土居裕子さんという人を覚えた。
 音楽座の作品は次もぜひ見てみようと思ったら、その次に上演されたのは「マドモアゼル・モーツァルト」だった。
 一生ついていきます!と思った。

 当時はまだちゃんと認識していなかったのだけど、はじめて見たシャボン玉には、その後大好きになる畠中洋さん、吉野圭吾くん、駒田一さんも出演してたんですよね。贅沢な並びだったなあ(#^.^#)(その人達が2008年の「タン・ビエットの唄」で共演ってのは嬉しかったですねえ)

 今年6月にRカンパニーで「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」が再演されるということなので、ちょっと思い出語りなんぞをしてみました。

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2008年2月24日 (日)

「リトルプリンス」雑感

 Rカンパニーの「リトルプリンス」東京芸術劇場中ホール公演の千秋楽を1階前方上手ブロックにて観劇。

 先にプログラムを開いた娘が「ママ、最初の方のページは読んじゃダメだよ!」と牽制。何言ってんだ?と思って開いてみたら・・・・・・そういえばこの舞台は東京都の催しの一環だから、都知事のお言葉が写真入りで^^; 同じくこの催しに参加していたTS作品ではお言葉掲載はなかったけれど。この人の発言を載せるか載せないかということで上演団体への評価を決めてはいけないわ、とか思うんだけど・・・・・・・・・・^^;

 野田久美子さんの王子は、以前はじめて観た時は土居裕子さんに似てるという印象だったけれど。そして土居さんに似ているわりには、高音の伸びが悪かったんだけど^^;
 歌、かなり良くなっていた。そしてお芝居の雰囲気も、土居さんとは違う野田さんの味が出てきているかな。
 土居さんの王子は年齢不詳で大人なのか子供なのかわからない不思議な生命体だったけれど、野田さんの王子は子どもそのもの。
 子どもそのものの王子が繰り広げる物語は、文字通り童話そのものといった世界。

 広田さんの飛行士。普通に大人。30代くらいのイメージ?周囲に対してちょっと投げやり。人生に対してもせかせかした感じ。
 王子との出会いの中で、うわばみの絵に関するやりとりの中で、外面を葬り去ると、あっさりと内なる少年が顔を出す。

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2007年10月 2日 (火)

「とってもゴースト」を母娘で観劇した日

 体調万全ではない娘を連れていくにはちょっと遠いぞ、かつしかシンフォニーヒルズ。東京二十三区西部に位置する我が家にたどり着いたら午後11時を大幅にまわってしまった(^^ゞ

 Rカンパニーの「とってもゴースト」を前方下手ブロックにて観劇。

 なんだか、見るたびに感動が深まって大好きに大好きになっていくこの作品。
「生きているって素晴らしいことなのよ。」
十何年か前にはじめて観た時よりも、今の方がその言葉が胸に響く。
 観劇2度目の娘もこの作品が大好き。すれ違いの可笑しさを笑い、パワフルなダンスを楽しんでいるうちに、いつのまにか感動の渦にひきこまれていく。
 観劇後、ガイドがユキやかたまり様に向ける気持について母娘で意見交換しながら帰宅。

(あらすじ)
 第一線で活躍するファッションデザイナーの入江ユキ(浜崎真美)は、リハーサルの日、ドライブ中に事故死。自分の死に気づいていないゴーストとなったユキは、リハーサル会場へ。姿も声も誰にも気づいてもらえない。高慢に威圧的にふるまってきたユキの不在を喜ぶスタッフ達が嬉々としてリハーサルをすすめる姿に愕然とする。そこに、天界からのガイド(新木啓介)が登場し、ユキが死んだことを告げる。人生に思い残すことばかりで納得できないユキは、天界にユキを導こうとするガイドのもとから逃げ出す。誰にも気づかれない孤独、つっぱりすぎて人とのつながりをきちんと築いてこなかった人生の空虚さを感じながら夜の街をさまようユキ。そこに現れたのは靴のデザイナーを志望する貧乏学生の服部光司(安中淳也)。午前零時、ユキの独り言に光司が突然反応する。実は、パワーの強いゴーストは、午前零時から三時の霊界タイムの間だけ、人間の目に見える存在となるから。存在を気づいてもらえたという喜びを噛みしめるユキ。ゴーストのユキのわけのわからぬ言動にとまどいつつも、危なっかしい印象の彼女を何故か放っておけない光司。二人の間には次第に恋愛感情が育っていくが、四十九日までには絶対に天界にユキを送り届けなければいけないガイドは彼女を探し続け・・・・・・・・・・・。

(ガイド雑感)

 去年は東京芸術劇場で広田勇二さんのガイド、グリーンホール相模大野で佐藤伸行さんのガイドを見て、今年の今回の観劇では新木啓介さんのガイドを見た。
 広田さんのガイドは若くて二枚目だったな(笑) ガイドとして動いているけれど、わりと最近まで人間であり青年であったというような生気を最初から感じさせるような存在だった。
 佐藤さんのガイドは、人間界でかつて人間であった頃の生気を感じさせない。まとっている空気が違う。明らかに、別世界の空気。口調や物腰が柔らかくコミカルであるにもかかわらず、どこか枯れていて、どこかに生の世界じゃないひんやりとしたものを感じさせる登場だった。

 私的には今回の観劇の最大の目玉が、新木さんのガイド。
 だって、新木さんといったら、「マドモアゼル・モーツァルト」のサリエリもとても好きだったけど、「アイ・ラブ・坊ちゃん」の赤シャツとか「星の王子さま」の実業屋の印象が強くて。
 ちょっと(どころではなく)気取りの入った二枚目さんがはまるという舞台上のイメージが強くて。「とってもゴースト」のガイドのコミカルな姿はもしかするとミスマッチかな、でもミスマッチが意外な面白さになったりするかも?なんか想像がつかなくて、見るのが楽しみだったんですが。

 ファッションショーのリハーサルの場面で出てきたガイドさん。
 驚愕。いきなりダンディでかっこいい方がいらっしゃるんですがぁぁぁぁ(@_@)
 モデルさん達のウォークに囲まれて、なんだか違和感なくその場で一緒に歩けそうなんですが(笑)

 非常に端正な物腰でありながら、最初は、あたたかみに欠けたような印象を漂わせる。霊界へのガイドになる前の人間界にいた時代に、女性関係で神様に罰を下されるようなふるまいをしていたんでしょうねえ、彼がなくしている人間時代の記憶にはそうした罪の日々があるんでしょうねえ・・・・・・と、思わず想像。そんなガイドが入江ユキが真摯に生と死を思いながら愛に向かっていく姿に心をうたれて次第に雰囲気にあたたかみを増していく。
 生き返らせてほしいというユキの願いを最初は突っぱねつつも受け入れる際の逡巡、その直後にかたまり様が解放された時に彼の迷いも残らず解放されるあたり。
 かたまり様がこのシーン、とてもよかったこともあり、爆涙シーンでありました。
(踊りの最中に帽子を落としてたが(^^ゞ)

 ダンディなのになにげにバック転を見せて下さったことにも感動(^^)

(かたまり様)

 一緒に観劇した娘の今回の一番のお気に入りは、秋本みな子さんのかたまり様。
 ダンスがとても綺麗だった!と興奮。
 かたまり様が解き放たれるシーンに母娘で今回感動しまくる。

(終演後のロビー)

 出演者の方々に見送っていただくロビー。
 まっしぐらにガイドさんを探す私。
 元来、≪素敵な方のことは柱の影から見つめていたい、それで幸せ≫と思ってしまう内気者だもんで、御姿を確認してそのまま帰ろうかと思ったんだけど、娘に
「中途半端なことはやめなさい!!」
と叱られたので、勇気を出してパンフにサインをいただいてまいりました。
 お願いした時にパンフと一緒に渡したペンがピンク色の蛍光ペンだったので、
「ピンクですね」
とちょこっと笑われてしまった。バッグに手を突っ込んだ時に最初に出てきた筆記用具がそれだったもんで(^^ゞ変な観客ですみません
 サインいただいた後、にこやかに娘・私の順で握手して下さいました(^^)こんなふうに手を差し出される事態に、普段≪柱の影から≫スタンスのるんせるは、緊張しまくり・・・・・。

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2007年9月28日 (金)

Steps「ヴェローナ物語」-ーー幸せ空間

 見終わって帰る際、ずっと笑顔になってしまった。
 楽しかったけれど、ただ楽しいだけではなく、ほのぼのとした幸福感やらエネルギーやらをもらえるスラップスティック・コメディ。

 新宿サザンシアターで上演中のSteps「ヴェローナ物語」を観劇。
 昔の音楽座の代表作の再演。私が音楽座ファンになった1991年よりも前の作品。
 パンフによると、横山由和さんはこの作品を書いた頃非常に鬱な時期だったらしく、そこから脱するために、ドン・ジュアンやロミオとジュリエットの物語を悲劇的結末から解放しようと思い立ったんだそうな。ドン・ジュアンやロミオとジュリエットだけでなく、あれやこれやの物語やら詩やら音楽が詰め込まれた、愉快なドタバタ。

(あらすじ)
 家のために婚約をいやいやながら承知したプレイボーイのドン・ジュアン。
結婚は人生の墓場。墓場に入ってからも人生を謳歌するつもりだけど、墓場に入る前にも独身最後の人生を謳歌せねば、という意思のもとに、従者のスガナレルを伴って浮気の旅に出発。贈り物を手に入れるための旅という台詞に疑念を抱いた婚約者ジュリアンは、男性に変装して二人の後を追う。
 三人の行き着いた先はヴェローナの街。モンタギュー家とキャピュレット家が争いを続ける街。過去にあった幼い幼い結婚と離婚が争いの原因らしい。
 ドン・ジュアンとスガナレルはモンタギュー家に落ち着き、何故かロミオ少年の家庭教師に。ドン・ジュアンはロミオに勉強を教えるのではなく、坊ちゃん坊ちゃんした彼を男にするのだと決意。
 一方の男装したジュリアンはロザーリオと名乗ってキャピュレット家に落ち着く。キャピュレット家にいるのは、いかにも十代の女の子のジュリエット。
 そして始まる、二組の男女にとっては、運命の仮装舞踏会。

(物語感想)
 
 「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」や「マドモアゼル・モーツァルト」や「チェンジ」等にあった楽しいドタバタ感をあちこちで思い出す。ジュリエットの漂わせる雰囲気は、「シャボン玉・・・・」のお佳代だし(^^) 
 音楽座大好きで「ヴェローナ物語」未見の方は是非見逃さないでほしいな。とっても横山由和さんらしい、楽しくあたたかい物語。小さなホールで小規模に上演されているけれど、最近見たどの舞台よりもミュージカルらしさに満ち満ちた作品。アンケートに再演希望、映像化希望と書いてきた。映像化は音楽的に無理そうだけど、再演希望の方はかなえてほしいな。
 seiryokuzousinzai(←検索除け表記でスミマセン)なんてのも登場するようなお話なのは知っていたので、小学生の娘連れで行かなかったのだけど、コメディが大好きな娘は、母が「楽しかったーーー」と言いながらるんるんらんらんと帰宅したので怒ってた。

 今週はヴェローナ物語、来週はとってもゴースト。横山脚本ファンの私には至福の日々。

(キャスト感想)

 なんといってもドン・ジュアンの柳瀬亮輔くん。黒いマントとつばの広い黒い帽子が似合って、コスプレが似合っていて、めちゃくちゃかっこいい。ええっ柳瀬くんってこんなに二枚目だっけ???もっと、素朴なイメージだったような。過去に見た彼の舞台を思い出しながら客席で仰天する私。ドン・ジュアンは台詞だけ聞いているとひどい男なんだけど、彼の漂わす毒や嫌味のない端正な雰囲気が、ドン・ジュアンを魅力ある伊達男に見せてしまっていて、女の身で聞いてるとなんじゃそりゃ?な台詞の数々もコメディならのものとして単純に楽しく聞いていられる。

 吉川恭子さんのお芝居は、今津朋子ちゃんに似た雰囲気だなあと思っていたのだけど、「ヴェローナ物語」のジュリエットを見て、土居裕子さんに似ているなあとも思った。前述したような、シャボン玉お佳代的可愛らしさなんだな。

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2006年12月 9日 (土)

パブロフの犬が客席に一匹ーーー「リトルプリンス」

 オーバーチュアが流れたら、いきなり涙腺がぶっ壊れた。

 私にとって音楽座の「リトルプリンス」「星の王子さま」というのはそんなミュージカルなのだけど、金欠ゆえにチケット代金の高い東京芸術劇場には行かず、S席1枚4500円の新宿文化センターの公演に足を運んだ。
 4500円なのに1階の前方センターブロックというものすごく近くて観やすい席で娘と一緒に観劇したRカンパニーの「リトルプリンス」。
 
 著作権の縛りがなくなったようで、原作に非常に忠実なシンプルな作りだった「星の王子さま」(1995,1998等)から、サン=テグジュペリのエピソードを織り込んだ改変を加えていた初演版「リトルプリンス」(1993)に戻しての上演。とはいえ、いくつかの部分は「星の王子さま」になった際の改訂をも残しているけれど。「シャイニンングスター」の歌詞は「輝く星」のままだし。ヘビの雰囲気もリトプリの吉野圭吾くん版よりも「星の王子さま」バージョンの暗さと性別不明の雰囲気に近いかな。リトプリ仕様で台詞は戻ってきたけど。

 音楽が美しい。
 布の動きで形作られ揺れ動く舞台上の砂が美しい。
 どこかに置き忘れてきてしまった何か、あるいは、持ったことすら本当はないのに懐かしさを感じさせてくれる何か。そんなものを思い起こさせる作品。あまりにも美しくて美しすぎて、いつも泣いてしまう。
 「砂漠は美しい」の繊細なメロディに泣き、黄花によって儚いという言葉の意味を知った王子の悲しみに泣き、王子とキツネの親密度の深まる様に泣き、「輝く星」でのクライマックスに泣き。。。。。いくつかのメロディは必ず涙腺を破壊させてくれる(^^ゞ

 終演後、ぼろぼろに泣いてしまって、立つことも喋ることもままならない状態になっているのに、無情にも「どうしたの?」とか尋ねてきた娘。ほっといて泣かせといてちょうだいよーーーー^^;

 さて、キャストについてのごく簡単な雑感ですが。。。。。 

 野田久美子さんの王子。
 キャスティングしたスタッフは絶対、土居裕子さんの面影をこの役に求めていたと思う。演じる野田さんも、多分ゼロから役作りをするのではなく、早すぎる段階で劇団の内部映像かなんかで土居さんの演技をうっかり見てしまったのではないかなあという気が。声の出し方や台詞の抑揚が似すぎている。(土居さんほどには歌で声が伸びないのだけど。)なんとなく王子については昔のイメージを求めてしまうがちがち堅物の旧・音楽座の私としては、この雰囲気というのは安心してみることの出来る雰囲気ではあったかな。

 小林高鹿さんの飛行士。
 一言で表現するなら、非常にぶっきらぼう。とにかくぶっきらぼう。若さゆえのぶっきらぼうというか、成長しきれてない男ならではのぶっきらぼうというか。人が嫌いで苦手だからぶっきらぼうになるんではなくて、人と触れ合いたくてたまらないのにどうふるまっていいのかわからなくて混乱してしまっているからこそのぶっきらぼう。
 そんなぶっきらぼうな男が、いきなり砂漠に出現した王子が見知らぬ星からの来訪者であることをすっと信じて迷いなく受け入れる。
 そんな成り行きに、成長しきれてない男のナイーブさが滲んで見える感じ。

 終演後のロビーでの姿をついつい眺めてしまった。お客さんに接するのに慣れないのか?まだ誰も観客が話しかけにいかない段階の立ち方に、何をしたら良いかよくわからないといった雰囲気が漂いまくり・・・・・・。飛行士のぶっきらぼうな雰囲気はもしかしてこの人の地なのでしょうか。

 星めぐりの場面で実業屋を演じるのが新木啓介さんだ(@_@)
 11年前にタイムスリップしたような気分になったぞ。歌い方がかわらないーーー!(←あまりにも懐かしくて喜んでる^^;)
 ちなみに、リトプリ版冒頭の、砂漠に旅立つ前の飛行士と語る男の役も新木さん。

 一緒に出かけた娘も大変楽しんだ公演だった。終演後、「良かったと思った人の所に行ってみたら?」と声をかけたら、黄花の井田安寿さんの所に行ってパンフにサインをもらって笑顔で握手してもらってた。
 帰り道で突然言う。
「この舞台のヘビって宝塚歌劇の『マラケシュ』のヘビに似てるね」
違うのよ!マラケシュのヘビに似てるんじゃなくて、マラケシュのヘビ《が》似てるのよ^^;

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2006年5月 3日 (水)

Rカンパニー版「とってもゴースト」のプロローグに突っ込みを入れてみる

 今回上演の「とってもゴースト」は、以前上演されたものと大きくかわらないバージョンだったけれど、あえて言うなら一番違って見えるのがプロローグ。

○冒頭、いきなりファッションショーから始まる。

 どうやら服部光司氏のファッションショーらしい。

 時間的に長い。ちょこっとショー的演出っていうんでなく、結構な時間ひたすらファッションショー。その長い時間だと役者さん達はモデルさんとして見えないとまずいんだけど、そうでもなく。ショーとしての趣向が特にこらされているわけでもなく。私にゃ、トップデザイナーの衣装の素晴らしさとかはよくわかんないし。
 衣装依頼にあたってコシノジュンコのファッションショーを舞台に組み込む契約でもあったのかなあ^^;

 作品として考えると、冒頭とラストの現在のシーンは対である方がいい。壮年の服部光司登場と歌から始めてほしい。その方が、物語として美しくまとまっていると思うんだけどな。

○服部光司はどういう経緯で社長となったの?

 以前見た時は、彼がデザイナーとして才覚を発揮したことで会社を創立できたんだと思ってた。あんなにぬぼーっとしたお人よしの男の子がたかだか40代くらいでそんなことできちゃうのだろうか?とかなり不思議だったんだけど、まあそこはそれ、ファンタジーだしあまり突っ込まないようにしよう、みたいに思うことにしてたんだけど。

 今回見たRカンパニー版だと。
 入江ユキ急死後の社内の混乱を服部光司が立て直したことになってる。
 ええっどういう経緯で?結婚したから夫が会社を引き継いだの?でも、婚姻届けは有効なの?入江ユキの死体発見は結婚式のあった日の《未明》ですよね。婚姻届けを出せるのは、どんなに早くても役所があいてからですよね。式の前に出したのかどうか知らないけれど、出したんだとしてもその婚姻届けって、服部光司が入江ユキの遺産を引き継げるような有効性を持つの?

 と、いきなりものすごい疑問符が頭の中をとびかってしまった。

 物語が過去に遡ると、基本的には昔見たのと同じ展開となり、そういった雑念はふっとんでいくわけなのだけど。。。。。

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